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第146話 孤軍

簡単に播磨国を制覇してから2ヶ月あまり。


羽柴秀吉が引きあげてからではわずか1ヶ月足らずで、再び播磨の国内情勢は流動的になりました。


西の大敵毛利軍が、ついに播磨へと侵攻してきたのでした。

「急げ!早くせんと手遅れになるぞ!!」


 小柄な男が声をからしながら、馬を駆けさせていく。

 男の前後には数千の兵が取り巻き、猛烈なスピードで西へと向かっていた。

 文字通りの強行軍だが、集団の長である羽柴秀吉は焦燥感に包まれていた。


 毛利軍の播磨侵攻について、第一報が秀吉のもとへ届いたのは、天正6年(1578年)1月末のことだった。

 その後続々と送られてくる情報は、毛利軍が陸路を使って播磨を目指していること、宇喜多軍の援軍として派遣されたのか大した規模の軍勢ではないことを伝えていた。


 秀吉はそれを聞いて出陣の準備を始めたが、当初はそれほど慌ただしいものではなかった。

 毛利軍の狙いがわからなかったこともあるが、遠路はるばる陸路だけを用いた敵の侵攻作戦にそれほど脅威を覚えなかったためだ。


 ところが、2月も半ばを過ぎたころ、播磨国で最も頼りとする黒田官兵衛からの急使に接し、秀吉の認識は一変した。

 毛利領全体で大規模な軍事行動を準備中、との情報だったのだ。


 7年前の元亀2年(1571年)に毛利元就が死去して以降、毛利家の家督は若い孫の輝元が継いでいた。

 現在の毛利家は彼を補佐する2人の叔父によって安定した領国経営がなされている。

 具体的には山陰地方を元就の次男・吉川元春が、山陽地方を三男・小早川隆景が担当し、睨みをきかせていた。


 この図式でいくと秀吉が直接対峙するのは小早川隆景ということになるが、小早川配下の軍勢だけでなく輝元の本国・安芸や元春の指揮下にある山陰諸国でも出兵準備が始まっているとの諜報が得られたのだ。

 必ずしもそれらすべてが播磨へ向けられるとは限らないが、上月城には毛利の宿敵・尼子家の残党が入っている。

 播磨へ大規模な侵攻作戦を行ったとしても不思議はないのだ。


(俺に情報が伝わってきたってことは、播磨国中にはもう広まってるやろな・・・。毛利の大軍にビビッて裏切るやつも出てくるかもしれん。ちょっとでも早く播磨へ入って、織田の勢いを見せつけとかんと!!)


 2月23日に長浜を進発した秀吉は、わずか2日で播磨へとたどり着いたが、そのまま歩を緩めず嘉古川(かこがわ)(加古川)へ入った。

 ここは別所家臣の賀須屋(かすや)(糟屋)武則の居城で、西播磨への連絡線として重要な城だった。

 秀吉は賀須屋からこの城を借り受け、自軍の兵を込めて中継基地化した。


 ひとまずの連絡路を確保すると姫路へと向かい、黒田官兵衛と合流して周辺情勢について情報を得た。

 その後、秀吉は姫路城の北約2里(約8km)にある書写山へ移動し、同山の圓教寺を接収して本陣を置いた。


 ここからは実弟の羽柴秀長が入る但馬国竹田城が北へ約15里(約60km)、上月城が北西へ約12里(約50km)離れている。

 毛利軍が但馬方面へ来る可能性も否定できない現状では、書写山は両方に対処できる拠点として都合の良い場所だった。

 元々大規模な堂宇伽藍が備わるこの山は、これらの建築物が防衛施設に容易く転用できるだけでなく、小規模な城砦よりも快適な居住性を得られるというメリットがあった。


 また、播磨国内は毛利家の攻勢を前に動揺が広がっており、もし誰かが裏切って羽柴軍の本営を急襲されるという最悪の事態が起こった場合にも、平地に建つ姫路城よりも天然の要害である書写山の方が敵を撃退しやすいという立地条件も見逃せない。


 秀吉は、流動的になった播磨、特に西播磨の鎮定を目指し、現時点で望みうる最良の対処を行った。

 安土城の主君・織田信長へもマメに情勢の報告を行い、仮に毛利軍の大攻勢が現実のものとなればすぐに援軍を派兵してもらえるよう手はずも整えていた。

 毛利がどのような動きに出ようとも、柔軟に対応が可能なはずだった。


 ただ、それはあくまで東播磨を通る連絡路が安全に保たれていることが前提となる。

 そのために嘉古川に兵を割いて中継基地化したのだが、問題は秀吉が思いもよらぬところに潜んでいた。


 ……………………………………………………………


「なぜ急に織田と手切れを?わしは納得できぬ!!」


「兄上、毛利はすでに上月へ寄せて来ておる。しかのみならず、安芸など毛利領のあちこちで陣触れを受け、続々と兵が集っておるとのこと。これへ宇喜多勢が加われば、どれほどの大軍となるか想像もつかぬ。羽柴の兵などひとたまりもあるまいて。羽柴が敗れ、この城を毛利に取り巻かれてから降っても、何の恩も売れぬ。毛利へつくなら今じゃ!!」


「毛利の馬が彼方でいなないたからとてこれへすぐ返るなど、信義にもとる。さようなことでは、当家の信は立たぬわ。」


 秀吉が書写山へ本陣を構えたころ、東播磨の三木城では別所重宗・吉親による兄弟喧嘩が勃発していた。

 実際には当主・別所長治をはじめとして別所家の主だった者が集い、今後の別所家の戦略を決定するための会議の場だったのだが、家政を主導する立場の2人の後見人がひとたび激論に及べば、もはや口を挟む者などいようはずもない。


 親織田の立場を堅持し続けようとする兄・重宗と播磨が毛利一色に塗り替えられる前に鞍替えして毛利家へ恩を売ろうと画策する弟・吉親の意見は真っ向から対立し、到底折り合う気配などなかった。


「信などと申せば、織田こそ信なき者。昨日に公方様を押し立てて上洛したかと思えば、今日は用済みとばかりに放り捨てる。どこに信義があると思し召す?今や公方様を奉じて天下へ義を顕す者は、毛利にござる。」


「わしが大事と思うは当家のこと。ひとたび卑怯者とそしられれば、危急のときにどこからも後詰めは期待できぬと申しておるのじゃ。毛利強しとは言え、到底織田にはかなわぬ。織田との盟を固く守り、当家の安泰を図るべきじゃ。」


「近頃の織田は手詰まりの気味と見えまする。加賀で上杉に負け、大坂や雑賀を落とすこともかなわず。このところ織田の勝ち戦と言えば、松永弾正を討ったくらいのもの。大和半国すら領しておらぬ松永をようやっと倒した織田軍など、恐るるに足らぬのではありませぬか!?」


「馬鹿な!織田が浅井・朝倉を討ち滅ぼし、武田を破ったのを忘れたか?」


 無知というものは恐ろしい。

 吉親は畿内の情勢に暗く、織田軍の戦いじたいも見たことがない。

 表面だけを見て、織田軍の勢いがかげっていると判断しているのだ。


「手取川の戦い」で上杉軍に敗れた原因は、渡河撤退中に後方から攻撃を受けたからに過ぎない。

 大坂の石山本願寺や雑賀をなかなか攻略できないのは、湿地や小川が入り乱れる河口地帯という立地の悪さと雑賀衆が抱える数千挺の鉄砲があるからだ。

 この時代では防御兵器として無類の強さを発揮する火縄銃をそれだけ守備側に集められてしまえば、どこの軍隊でも攻めあぐむに違いない。


 雑賀攻めに直接参加した重宗は、織田軍に対してまったく違う印象を持っていた。

 織田軍は雑賀衆の猛烈な火力にさらされながらも、その拠点を次々に攻め落とし、雑賀荘の狭い地域に押し込むところまでは持って行った。

 結局雑賀衆を完全に屈服させることはできなかったが、他の軍隊がみな同様の戦果を挙げられる、とは重宗は思わなかった。


 特筆すべきは、その数の多さと一部の猛者の存在だった。

 連年戦つづきの織田家では戦闘経験豊富な将兵が大勢おり、各隊には軍記物から抜け出して来たのではないかと思うほど恐れも知らずに先陣切って突っ込んでいく猛者がゴロゴロいた。

 彼らはもはや蛮勇というのがふさわしいほどの勇気を発揮し、キリを突き立てるように敵陣に穴を開けていく。

 その後を織田の大軍が付け入り、うがたれた穴を広げ、敵陣を引き裂く。

 同じ戦法は城攻めでも有効で、たとえ堅城でも規模の小さな城ではわずかな時間で陥落をみた。


 かつて尾張で戦っているころは織田の主力と言えばどこよりも長い柄の槍を持った足軽衆だったが、織田家の規模が拡大して平地での戦いが減るにつれて現在の形に落ち着いていた。

 実戦を重ねた上での軍事変革であるため、これは進化と言えるだろう。


 重宗は、この強大な織田軍の戦闘力が別所家の領国へ発揮された場合、ひとたまりもなく滅ぼされてしまうと恐れた。

 そして、その危惧を吉親らと共有できぬことを歯がゆく感じていた。


「ならば、羽柴を先に討てばよろしかろう。今我らが立てば、羽柴は孤立いたし、容易に討ち取れましょう。羽柴を討てば播磨の織田勢は総崩れ、しばらくは播磨を攻めるどころではありますまい。」


「それは良いお考えじゃ。それがしは叔父上に賛同いたす!」


 吉親の「作戦」に対し、ここぞとばかりに甥で当主・長治の弟である友之が賛意を示した。

 吉親が言う通り、別所家が離反すれば秀吉の後方連絡線は切断されたも同然で、孤立せざるを得ない。

 それを合図だったかのように、他の重臣も次々に毛利との同盟を主張し始めた。


 その様子を見て、重宗は相当に根回しが完了しているのを実感した。

 どうやら自分は家中においてすっかり少数派に転落してしまっているらしい。

 重宗はなお織田と手を結ぶことのメリットを訴え続けたが、大勢を覆すには至らない。

 毛利と結びたいというよりも、織田の残虐性を恐れて離れたいという意識も見え隠れする。


「・・・相分かった。みなの意をくみ、織田とは手切れといたそう。」


 最後にそれまで沈黙を続けていた当主・長治が発言し、議論は終わりを告げた。

 長治は、どちらかと言えば織田との盟約を守り抜きたいという想いが強かったが、別所家中の多数意見が親毛利に傾いた以上、これを無視することはできなかったのだ。


 その夜、重宗はひそかに城をぬけ、西へと走った。

 書写山の秀吉本陣へ行き、別所家離反を告げるためだ。


 こうして、播磨国内はより一層混迷を深めていくことになった。

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