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第143話 諦観

牛一マタスケの暗躍(?)により、秀吉に降りかかった危機は回避されました。


同じ頃、信長の嫡男・信忠は安土を発って南下を開始します。


畿内をまたにかけて活躍した老星が、堕ちようとしていました。

「・・・もはやこれまでのようじゃな。」


 眼下に聞こえる喧騒を聞きながら、松永弾正少弼久秀は静かにつぶやいた。

 そのしわがれた声には、もう何の感情も込められていないかのようだ。


 久秀が籠もる天守のはるか向こう、闇のなかにこだまする騒音は、敵味方の激闘によるものである。

 夕刻、突如として久秀の居城である大和国信貴山城へ総攻撃をかけてきた織田軍に対し、不意をつかれた松永軍はそれでも激しい抵抗をみせた。

 日が落ち、周囲が明るさを失っていくのとは対照的に、戦は激しさをどんどん増していった。


 だが、やはり不意をつかれたことは、松永軍に不利に働いた。

 元々数的な不利もある。

 両軍が作り出す干戈の音が、じりじりとこの天守に向かって近づいてくるのを、歴戦の戦士である久秀は敏感に感じ取っていた。

 どうやら敵の先手は、いよいよ本丸に迫りつつあるらしい、と。


 久秀にとって、それはある程度想定していたことであった。

 織田の大軍が直接松永領へ侵攻を開始してからというもの、松永軍には勝利の見込みはほとんど期待できなくなっていた。

 籠城戦で粘るうちに、何らかの事情で織田軍が撤退することを願うしか、勝利の目は残されていなかったのだ。


 そもそも能登を制圧し、加賀で織田軍を破った上杉軍がそれ以上の進軍を停止して本国の越後へ引き上げてしまったのが運の尽きだった。

 久秀は上杉軍があっさり帰還せず、ある程度の期間北陸で織田軍との緊張状態が続くことを期待して挙兵したのだが、目論見は外れてしまった。


 また、久秀は挙兵の直前は大坂の石山本願寺包囲網の一角を担っていたが、挙兵を決意してから預かっていた砦を勝手に放棄して本拠の信貴山城へ立て籠もっていた。

 あわよくば他の織田諸将の動揺や離脱、本願寺勢の出撃などの動きがあることにも淡い期待を寄せていたが、これも不発だった。

 本願寺の首脳部は下手に出撃して堅固な織田の包囲陣相手に戦力をすり潰すことを恐れ、積極的に松永家を助けようとはしなかったし、久秀以外に信長に反旗を翻す武将は現れなかった。


 さらに、織田家の東部戦線を担当する織田信忠が麾下の軍勢だけでなく、佐久間・羽柴・惟任・丹羽の諸勢を引き連れてきたことも誤算だった。

 信忠は武田、佐久間は石山本願寺、惟任は丹波国衆、羽柴と丹羽は上杉と対峙し、こんなに早く大和へ進軍してくることはないはずだったのだ。

 他の戦線に手を取られ、せいぜい筒井順慶ら大和衆や細川藤孝ら山城衆、山岡景隆ら近江衆の一部が動員されてくる程度だろうと久秀は見積もっていたのだが。


 現実は、松永家は孤立して織田の大軍に攻められ、しかも本城は陥落寸前に追い詰められていた。

 同じように戦場を勝手に離脱した羽柴秀吉は許され、急きょ動員されて松永攻めに加わっていたが、ただ離脱しただけでなく信長が派遣した松井友閑の説得を拒絶し、挙兵に踏み切った久秀には死以外の道はもう残されていなかった。


(あとは死ぬだけよ。)


 絶望的な状況に関わらず、久秀の表情はサッパリしている。

 何か肩の荷が下りたような清々しさすら漂っているかのようだ。


 思えばここ数年、正確に言えば旧主の三好義継が敗死した4年前の天正元年(1573年)から、久秀は思い悩むことが多かった。

 それは三好家へ殉じることができなかった後悔と自分が興した松永家を守らなければならないという重圧によるものだった。


 三好家の最盛期を築き上げた三好長慶によって低い身分から世に躍り出た久秀は、三好家への忠誠心が厚い。

 長慶の死後は台頭してきた三好三人衆を嫌い、若き当主義継をもり立てた。

 義継も有能な久秀を頼りにし、両者の仲は緊密なものとなっていった。


 しかし、長慶の信任を受けて辣腕を振るい、第13代将軍・足利義輝暗殺の首謀者とも目された久秀には人望が集まらず、三好三人衆との戦いは常に劣勢に立たされた。

 本国の大和国への進軍を許したときは、東大寺に陣をかまえた三人衆の軍勢を奇襲して破ったものの、戦火で大仏殿が焼失し、大仏の首も落ちたためにさらに久秀の悪名が高くなってしまった。

 くしくも、ちょうど10年前の永禄10年(1567年)10月10日のことである。


 こうしてさらなる悪評を集め、いまや諸悪の根源のような存在とされてしまった久秀に味方する者はその後もなかなか現れず、ついに三好三人衆を倒すために織田信長という外部勢力を畿内へ引き入れる決断に至った。


 それによって三好三人衆に勝つことはできたが、長慶がつくった三好政権じたいもなくなってしまった。

 その後は将軍・足利義昭と織田信長の争いに巻き込まれ、義昭についた主君の三好義継が敗死してしまい、三好家も滅亡してしまった。


 結果的に久秀は三好政権崩壊のきっかけをつくり、滅亡する三好家を見殺しにし、ただひとり自分だけが生き残った。

 自分が興し、徒手空拳で育て上げてきて大和北西部を支配するまでになった松永家の保全と引き換えに。


 久秀は自分なりに最適の選択をしてきたつもりだ。

 にもかかわらず、この辛さはどうしたことだろう。

 安堵の気持ちよりも後悔の念の方が強く、しかもそれは時間とともに増していった。

 あるいは、久秀は無意識に死に場所を求めていったのかもしれない。


「・・・酒を持て!」


 覚悟を決めた久秀は、酒宴の準備を命じた。

 その酒宴が末期の酒となることは、その場にいる全員が理解していた。

 誰もが、その最期をいかに見事に飾るか、そのことへと意識を移していた。


「そうじゃ、平蜘蛛の釜も持ってまいれ。」


 久秀秘蔵の「平蜘蛛の釜」は、世に聞こえた茶釜である。

 蜘蛛が這いつくばったような形をしていたことからこの名がつき、織田信長から所望されても譲らなかったことから、天下の名器としてさらに名高くなった。

 それほどの逸品であるから、周囲の家臣は久秀が愛蔵の品との今生の別れをするつもりだろうと考えた。


 しかし、久秀の意図はまったく違うものだった。


「これへ酒を注げ。」


 なんと、茶の湯を楽しむための茶釜に酒を注ぐように命じたのだ。

 およそ茶器を盃がわりに使ったものなど、久秀のほかにはいるまい。


「早うせぬか!」


 久秀は戸惑う小姓を急かして釜へ酒を注がせると、底の方にわずかにたまったそれをグイと飲み干した。

 時間がない。

 ぐずぐずしていては、敵が乗り込んでくるかもしれない。


「かような贅沢、天下広しと言えどわしの他にだれができようか!もう何も、思い残すことなどないわ!!」


 言うやいなや、久秀は手に持った「平蜘蛛の釜」を勢いよく床に叩きつけ、砕いた。

 信長をはじめ、多くの茶好きにとって垂涎の的となっていた釜は見るも無残な姿となった。


「わしが死んだら、この天守に火をかけよ。落ち延びたき者は落ち延びよ。わしに続かんと思う者は黄泉にて会おう。」


 久秀は周囲を見渡したが、誰も席を立とうとする者はいない。

 どうやら全員が久秀とともに自害する決意を固めたようだ。

 いわれのない悪評も浴び、人望には恵まれなかった久秀だが、最期の瞬間にはともに旅立つ存在に恵まれた。

 久秀の口元には笑みがこぼれていた。


 久秀は脇差を抜き、目の前の床に置いた。

 そして着物の前をくつろげ、シワの寄った腹部を露出させた。

 背後には刀を構えた寵臣がじっと主君の様子を見つめている。

 その目には光るものが浮かんでいたが、久秀にはわからない。


 久秀は小さく息を吐くと、脇差のさやを払った。

 白刃が灯火にきらめき、その眩さに久秀は少し目を細めた。

 次に瞬間、その刀身は勢いよく久秀の腹部に吸い込まれ、それとほぼ同時に背後から刀が振り下ろされた。


 久秀の死を見届けたあと、嫡男の久通らその場にいた者たちも次々に後を追った。

 誰かが放った火が、久秀が日本で初めてつくらせた天守をなめ、包んでいく。

 やがてそれは業火となり、まるで豪勢な供養塔のように闇夜を照らし始めた。

江戸時代以降、「平蜘蛛の釜」とともに鉄砲の火薬で爆死したとの話が流布され、現代では「爆弾正」とのあだ名までついている松永久秀。


『信長公記』では信貴山城の天守とともに焼け死んだとあるだけで、爆死したとの記述はありません。


おそらく、他の武将と同様に自害したあとに城へ火を放ったものと思われます。


しかし、せっかくの有名エピソードですので、筆者独自の味付けで「平蜘蛛の釜」を登場させてみました。

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