第142話 沙汰
秀吉とわずかな時間会談をもった牛一は、すぐさま南へと取って返します。
それは友の命を救うため、主君・織田信長への談判のためでした。
秀吉との短い会談を終えた俺は、すぐさま南へと取って返した。
なるべく早く主君である織田信長に会い、秀吉の命乞いをするためだ。
とにかく急がなくてはならない。
信長が秀吉の行動に対してどんな反応をするかわからないが、もしすぐさま処刑命令など出ればすべて終わりである。
その後にどんなに助命嘆願をしても、秀吉が助かる見込みは乏しい。
俺は元来た道を同じように駆け通し、翌日には佐和山城下に与えられた屋敷へと帰り着いていた。
さすがに主君への面会をするためには、旅の塵や泥に汚れた衣服ではダメだ。
キチンとした装束に改めなければならない。
それらについてはあらかじめ用意するよう、出発前に言い含めておいたため、特に混乱なく準備は完了した。
翌朝、俺は供を連れて佐和山を発ち、安土へと向かった。
約6里(約24km)の道のりである。
秀吉のところへ向かったときとは異なり、荷物が多く徒歩の従者もいたためゆっくりした歩みとなったが、それでも2刻(4時間)あまりで着いた。
早速、天主が完成するまで信長が仮住まいしている「仮御座所」へと使いを走らせ、面会を申し入れた。
それと同時に町や他の織田家臣へ聞き込みを行い、秀吉への処分についての情報収集を開始した。
こういう仕事となると側近の安食右近が手慣れていて、今では2人の甥や配下の者たちとともに精度の高い情報をもたらしてくれる。
どうやら、今のところ秀吉への処分は下されていないようだ。
処分が固まる前に信長に面会できれば、あるいは寛大な処分も期待できるかもしれない。
しかし、その面会の機会はなかなかやって来ない。
じりじりしながら待ち続けたが、3日目になっても何の音沙汰もないのだ。
(織田家も大きくなって、信長への面会も随分と厄介なものになったなぁ・・・。以前やったら面会を求めたら、その日か翌日くらいには会えてたのに。)
畿内一の権力者となった信長のもとへは、貴族・有力社寺・大名などからひっきりなしに面会の希望がある。
信長の秘書集団でもある小姓衆がこれをさばき、面会の必要ありとされた人物だけが引見される仕組みとなっており、なかなかうまく機能しているようだ。
ただ、昔に比べて大掛かりになったぶん、信長は家臣が気軽に会えるような存在ではもはやなくなっていた。
結局、面会が許されたのは4日目の午後だった。
取次に話を聞くと、忙しい合間をぬって何とか少しばかりの時間を作ってくれたらしい。
以前に比べてすっかり疎遠になってしまったが、信長は俺に対して多少の融通を聞いてくれるくらいの存在と認識してくれているようだ。
「又助か。久しいな。」
俺が挨拶を言上すると、信長は親しく声をかけてくれた。
心なしか、微笑みながら話してくれているようにも感じる。
何日も待たされたことで、面会を申し入れたことに対し、迷惑と思われていないか心配になっていたのだが、どうやらその気遣いは無いようだ。
「お久しゅうございます。こたびはわざわざお会いくださり、ありがとうございます。」
「うむ。そちの働き、まことに頼もしいと常々五郎佐(丹羽五郎佐衛門長秀のこと)が申しておる。以後も励め!」
「はっ。ありがたき幸せ。」
どうやら、俺のボスである丹羽長秀殿は、俺に対する高評価を信長に報告してくれているらしい。
俺への高評価は長秀の環境づくりのたまものだ。
一見地味だが、実にありがたい上司だ。
長秀も信長から随分と面倒事を押しつけられているはずだが、うまく俺たち寄騎との間の防波堤となってくれていて、実に仕事がやりやすい。
「して、そちがわざわざ会いに参ったのは、何ぞ用があるのであろう。いかがした?」
言われて、俺は信長の多忙な日常について思い出した。
悠長に雑談をしている場合ではない。
単刀直入に用件を切り出すことにした。
「されば・・・羽柴殿のことにございます。」
「ハゲネズミの命乞いに参ったか。」
さすがに信長は察しがいい。
「さようにございます。こたびの陣払い、どのように処断されても文句は言えませぬ。ですが、私は織田家のためを思い、羽柴殿を殺さぬ方がよいと進言しに参りました。」
「何故か。存念を申せ。」
「羽柴殿ほどの切れ者、当家の家中を見渡してもなかなかおりません。調略、戦、政のすべてをそつなくこなし、しかも上様への忠義に厚い。羽柴殿を切れば、余人では代えがたいでしょう。」
「さようなことは百も承知じゃ。だが、あのような気ままを許せば、家中が乱れに乱れよう。聞くところによれば、あやつは北国より帰ってからというもの、連日連夜酒をくらい、遊びほうけておるそうな。かような不届き者を許してはおけぬ。」
秀吉は俺のアドバイスを忠実に実行し、1日中どんちゃん騒ぎをしているらしい。
ずいぶん派手にやらかしているのか、早くも信長の耳にも達したようだ。
「それは、羽柴殿なりの忠義の証でございましょう。」
「何を申す。わしに悪いと思うならば、門を閉じ、身を慎むべきであろうが!」
「門を閉じ、引きこもっておれば、羽柴はひそかに刃を研いでおるようじゃと噂が立ちかねません。軍を解き、門の内までさらすは、羽柴殿に二心がない証でありましょう。」
いまは信長も秀吉も互いに相手の考えを測りかねている状況だ。
こんなときに秀吉が引きこもっていれば、こっそり軍勢を準備して信長を襲おうとしていると言われかねない。
長浜に帰城してからすぐに軍勢を解散し、どんちゃん騒ぎをしているということは、そんなつもりは一切ないとアピールしているわけなのだ。
秀吉はその気になれば4千の兵をたちどころに動かせるだけの実力者だ。
しかも、居城の長浜から安土までは約8里(約32km)の距離しかなく、その気になればその日のうちに安土へ攻め寄せることができる。
信長もそのことを憂慮し、折しも反乱を起こした大和国の松永久秀討伐のために呼び寄せた嫡男・織田信忠の軍を安土城下にとどめ、万が一に備えていた。
「・・・であるか。」
そう言ったあと、信長は沈黙した。
俺の進言の是非について、思考を集中しはじめたのだろう。
その瞳には俺の姿は映っていても、知覚はしていないに違いない。
ややあって、信長の口からふっと息が漏れた。
次いで、乾いた笑い声が溢れ出す。
その笑声は次第に哄笑へと変わっていく。
「ハゲネズミめ。やりおる。これでは手は出せぬわ。」
「さすれば・・・?」
「うむ。何も咎めだてはせぬ。」
「それは良うございました。」
「そうじゃ、そちからあやつへ告げてやるがよい。」
「私が!?」
「おおかた、そちとあやつは裏で示し合わせていたのであろう?そちから知らせ、安心させてやるがよかろう。播磨への出陣の支度もせよとあわせて申し伝えい!」
「・・・気づかれておりましたか。」
「わからいでか!」
(この人はすべて気づいたみたいやな。そのうえで、俺やヨシローがまだ「使える」と判断した。リアリストの信長が熟慮して決めたことなんやから、この判断が簡単にくつがえることはないやろう。あくまで、現時点ではという条件付きやけど。)
「そうじゃ、普請に精を出すのも良いが、史の方はどうなっておる?」
「お恥ずかしい話ですが、ただ書き散らしたものが増えていくばかりで・・・。」
「であるか。いずれ見せよ。」
「かしこまりました。」
(家臣の数もずいぶん増えただろうに、この人は俺のライフワークのことを覚えてくれている。人事とか信長の決定には納得できないところもあるけど、良くも悪くもその実態をこれからもなるべく書いていかなければ。)
信長のもとを辞去したあと、俺はすぐ長浜へと向かった。
自然、足取りも軽い。
俺が来意を告げると、秀吉は自ら出迎え、奥に案内してくれた。
「で、どうなった?」
「おとがめなし!」
「ホンマに?良かった、ビビりながら宴会やってた甲斐あったわ~」
「けど、今後の保証はないぞ?」
「うん!?」
「いまは生かして使うだけの利用価値があるから許されたけど、次同じことしたらどうなるかわからんでってこと。」
「それなんやけどな・・・ねねと話し合ってな、上様ともっと絆ってやつを強くしようと思ってるねん。」
「どうやって?」
「うち、去年石松丸をなくしたやろ?跡継ぎの男の子おらんから、上様の息子さんを養子にもらおうかなって。」
「うーん、なるほど。」
天正4年(1576年)11月、跡取りとして期待された石松丸がなくなり、それ以来羽柴家は子のいない状態が続いていた。
実子が生まれる兆候もなく、いずれ養子を取る必要がある。
いっそのこと信長の息子を養子に迎え、血縁関係を結ぼうというのが夫婦で出た結論だそうだ。
夫婦の間に子ができないことを気に病んでいたらしいねねさんの提案だという。
「ちなみに、誰を養子に迎えたいって申し出るつもりなん?」
「於次丸様をお願いしようって思ってる。」
於次丸は信長の4男で、現在7歳だ。
長男の信忠は織田家の世継ぎ、次男の北畠信意(織田信雄)と3男の神戸信孝はすでに他家へ養子に出ているから、残っている子の中で最も年長の子どもを迎えたいということだろう。
実現すれば、羽柴家は織田家の分家になる。
そうなれば羽柴家が潰される可能性もぐっと減る。
秀吉が殺される恐れはほぼなくなるし、隠居を迫られることになってもまだ10年は先の話だろう。
なるほど、うまい策を考えだしたものだ。
(やっぱ、ねねさんはええ奥さんやな。秀吉の出世はもちろん本人の能力や努力が大きいけど、ねねさんの力も大きいよな。)
「ああそれと、すぐ播磨へ出兵する準備しろってさ。」
「おう、よろこんでやるわ!北陸行く前、ある程度準備始めてたからな。20日くらいで出陣するわ!」
そう叫んだ秀吉の顔は、早くも新たな仕事への意欲に燃えていた。




