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第139話 手取川の戦い(前編)

紀州攻めに事実上失敗した織田軍。


これにより、大坂を短期で攻め取るすべはなくなり、持久戦を続けるほかなくなりました。


そんななか、思わぬ方面から救援要請と新たな敵との戦いがもたらされることになります。

 羽柴秀吉は、目の前で行われている軍議に対し、白けた顔を向けていた。

 特に軍議を主宰する柴田勝家が熱っぽく語るのを見るにつけ、秀吉の心は冷えていくようだった。


(コイツ、アホちゃうか。)


 何度叫びそうになったことだろう。

 さすがに口に出すのはこらえていたが、何とか抑えるのに必死だった。

 怒りと軽蔑を押し殺すあまり、秀吉の顔はどんどん仏頂面になっていく。


(コイツは自分の身が可愛いだけや。今の状況で進撃するのは危険やっていうのに、自分のメンツのことしか考えてへん。)


 秀吉は信長に北陸方面への援軍を命じられ、越前国主・柴田勝家が率いる「北陸方面軍」に合流し、加賀国へ入っていた。

 援軍は秀吉の他に滝川一益、丹羽長秀、西美濃三人衆(氏家直昌、安藤守就、稲葉良通)といった重臣クラスの軍勢や斎藤利治、長谷川秀一、堀秀政といった信長の近臣たちで編成された軍勢によってなり、勝家麾下の軍と合わせて4万と号する大軍だった。


 そもそものきっかけは、天正5年(1577年)閏7月に信長のもとへやって来た能登畠山家からの救援要請だった。

 畠山家は隣接する上杉家からの侵攻を受け、前年には本城・七尾城へ攻め込まれる事態に陥っていた。

 これは何とか撃退したが、今年も敵の大軍に七尾城を取り囲まれ、進退窮まって織田家へ援軍を求めてきたのだった。


 畠山家の能登国と織田領の越前国の間には一向一揆が実効支配を続ける加賀国があり、その抵抗を排除しつつ進軍することは困難が予想された。

 それでも信長は上杉家の勢力拡大を嫌い、支援を決定した。

 もちろん、上杉軍と一向一揆勢を向こうに回して戦うのだから、柴田勝家指揮下の軍勢だけでは心もとない。

 こうして遣わされたのが秀吉らの援軍だった。

 援軍を得てふくれあがった織田軍は8月8日に越前を発し、加賀国へと向かった。


 織田軍の進軍は最初から波乱含みだった。

 加賀国のうち、南部の江沼・能美両郡は先年の越前国再征服のときに織田軍に征服されたはずだった。

 しかし、その後一向一揆の反撃にあい、織田軍の支配が確実に及ぶのは越前国との国境に近い江沼郡大聖寺城の周辺に縮小していた。

 このため、織田軍は立ちはだかる一揆勢を撃破しつつ進むしかなく、大軍を要しながらも能美郡の最北にある小松城を攻略するまで実に1ヶ月近くを要した。


 苦戦続きの織田軍だったが、一向一揆だけでなく自然もまた敵に回った。

 小松城の北には加賀一の大河・手取川が流れている。

 秋の長雨の影響で日に日に水かさを増し、いつ渡れなくなるかわからないくらいの状態になっていた。

 もし渡れたとしても、今度は引き返すことができるかどうかも定かではなかった。


 また、この間に加賀国の北部から能登国にかけての情報はほとんど入って来ていない。

 上杉軍の動向もまた不明であった。

 間に一向一揆の支配地域が横たわっているから当然といえば当然だが、雨でぬかるみ増水した大地は織田軍の索敵能力を大幅に奪っていたのだ。


 進むべきか、自重すべきか。


 織田軍は進軍を停止し、軍議を開いた。

 秀吉が冷めた態度で臨んでいるこの軍議のことである。


 軍議の冒頭から、主将の勝家は興奮の面持ちで進撃を主張し続けていた。

 一刻も早く手取川を越え、能登国へ向かおうというのだ。


 そして、それは冷静さを失っていない秀吉には、極めて危ない主張にしか思えなかった。


(敵は上杉謙信やぞ!?しかも、能登の様子も上杉軍の動きも全然わかってへん。そんな状況で洪水になりかけの川を渡って進撃するなんて、バカのするこっちゃ。何でこんなんに付き合わなアカンねん。上様の命令やなかったら、さっさと帰っとるわ!)


 前方の手取川を渡るのも危険だが、渡ったあと、今度は退却するのも困難となる恐れがある。

 にもかかわらず、川向うの敵味方の動向がまったくと言っていいほどわかっていないのだから、無謀としか言いようがない。

 勝家が死ぬのは勝手だが、それに自分たちも巻き込まれてはかなわない。


 その間にも、勝家の「演説」は続いている。

 いわく、「上様の命令は能登七尾城を救えとのこと。何が何でも成さねばならぬ。」

 さらにいわく、「我らは武田すら破った。謙信強しと言えど、何ほどのことがあろう。」


(勝手にほざけ。)


 秀吉は心のなかで悪態をついていた。

 勝家の主張をよくよく聞いてみると、前方の敵ではなく後方の信長を意識しているようにしか思えない。

 信長は能登畠山家の救援を命じたのであり、途中で進撃をやめれば命令に反することになる。

 さらにその間に七尾城を見殺しにすることになれば、今回の軍事行動はまったく何の意味も持たなくなる。

 そうなってはかなわないから、進撃し続けようと言っているように聞こえるのだ。


(別喜右近が飛ばされたから、ビビッてるんちゃうか!?)


 先ほど織田軍の支配地域が大聖寺城周辺に縮小してしまっていたとの話が出たが、大聖寺城を居城として江沼・能美両郡を任されていたのが、別喜右近(旧名:簗田広正)だ。

 彼は元々織田家のなかで特別目立った存在ではなかったが、信長にその才能を評価され、重臣の地位にまで引き上げられた。

 別喜の姓は信長がわざわざ朝廷に掛け合って名乗ることが認められた九州の名族の姓であり、将来の九州攻めを見越したものだった。

 江沼・能美両郡を任されたのは、信長によって将来を嘱望されていたからだ。


 ところが、別喜は失敗した。

 反撃に転じた一向一揆勢を支えきれず、かろうじて大聖寺城を守り通すことしかできなかった。

 自前の兵力が乏しい別喜に、一向宗による支配が百年も続く加賀の最前線を任せることじたい無謀とも言えるが、失敗は失敗だ。


 別喜右近は大聖寺城主を更迭され、江沼・能美両郡の支配権も取り上げられた。

 彼に残されたのは尾張国の自領と、織田信忠配下の一武将としての地位だけだった。

 有り体に言えば、別喜右近は左遷されたのだ。


 別喜が去ったあと、大聖寺城と加賀南部の支配を任せられたのが柴田勝家である。

 勝家は甥の佐久間盛政を入れ、越前から援軍を派遣して何とか大聖寺城の確保に成功した。


 しかし、目の前で重臣があっさり左遷されたことは、勝家の心に信長に対する恐怖を植え付けたのだろう。

 何が何でも信長の命令を順守しようとする勝家の姿勢は、その恐怖のあらわれかもしれなかった。


(けど、そんな理由で一か八かの戦をされても困るわ。ようし・・・!)


「ここにとどまり、物見の知らせを待つべきでござる!」


 突如反対意見を述べ始めた秀吉により、勝家の進撃論一辺倒だった軍議の雰囲気は一変した。


「川の水は引く気配もなく、また敵の動きもまだつかめぬとか。いま川を渡れば、いざというとき退くに退けなくなります。ここは下手に動かず、敵の動きを見定めてからでもようございます。」


「ならぬ!向こう岸に敵はおらぬというに、何でとどまっておられよう。川を渡るべきじゃ!!」


 秀吉と勝家の丁々発止のやり取りが繰り返される。

 重臣同士がモメてしまえば、軍議はいつ終わるともしれなくなる。

 それを危惧した不破光治ら他の列席者たちは、2人をなだめにかかった。


「ご両者の申されることは、いかにも最もでござる。しからば、こういたしてはいかがか。対岸に水島と申す地がござる。かの地へと進み、そこで物見を待たれては?」


「それは名案!水島なれば、川の様子もよく見えましょう。いよいよ溢れんばかりになったならば、そのときは退けばようござる。」


 この折衷案というべき案は多くの将の賛同を得、ついに手取川を渡ることに決した。

 織田軍は手取川の北岸にある水島へと陣を進め、この地で数日停止して北方の情報を集めることとなった。


 しかし、水島へ進んでも、織田軍の索敵ははかばかしい進展をみせなかった。

 周囲に有力な敵軍こそいないようだが、能登方面の情報は皆無であった。

 その状況を受け、再び開かれた軍議において、決定的な事件が起こってしまうのだった。

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