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第133話 第一次木津川口の海戦

逆転勝ちをおさめ、しばらくはにらみ合いが続くはずだった石山本願寺攻め。


ところが、思いもよらぬ方角からの攻撃により、戦局は一変します。


敵がしかけてきたのは、今まで信長が戦ったことのない海戦でした。

「どうやら、こたびの敵は村上海賊衆が主だと言うぞ!?」


「あの目ん玉が飛び出るくらい高い帆別銭(ほべちせん)(通行料のこと)を取り立てる、村上海賊衆か。強い、強いとは聞くが、どれほどのものかのう。」


「さて、どうじゃろうな。ただ、数は7,8百艘はあるそうな。」


「では、我らの倍以上ではないか・・・!」


 木津川河口を固める織田方の水軍衆の面々は、間近に迫っているという毛利水軍の噂で持ち切りだった。

 朝から船を並べて沖を警戒し続け、今のところはこれといって変わったことはない。

 夏のクラクラするような日差しもようやく和らぎはじめ、海を渡る風が少しばかり涼しさを感じられるようになっている。

 恐らく今日もまた敵は来ないのであろう、そう思い始めた織田水軍の兵たちからは緊張の色が薄れ、それとともに雑談もボツボツ出はじめていた。


 彼ら織田水軍は石山本願寺攻めにおいてなかなか重要な役割を担っていた。

 現代風に言えば、海上封鎖というべき作戦だった。

 先月天王寺周辺の戦いに勝利した織田信長は、敵を石山本願寺の城砦内に押し込めると、周囲に多くの付城を築いて長期的な包囲戦に作戦を切り替えた。

 それに伴って彼ら織田水軍は住吉近くの海岸沿いに新たにもうけられた城に拠り、毎日多くの船を木津川河口付近の海に遊弋させ、木津川や海を使って食料等を補給しようとする一向宗側の補給路を断つミッションを与えられていた。


 守備範囲の広さで言えば、陸上のどの部隊よりも広い範囲をカバーせねばならず、これがなかなか大変な任務だった。

 3百艘という大規模な船団を擁していても、完全な封鎖は難しかった。

 何しろ、夜陰にまぎれて小舟で川を上り下りして物資を運ぼうとする者は後を絶たず、昼夜を問わず繰り広げられる捕り物によって、日夜神経をすり減らされる日々を送っていたのだ。


 だが、そんな困難な警備がかすんでしまうほど重大な脅威が間近に迫っていた。

 安芸国を本拠とする毛利家が石山本願寺と同盟を結び、配下の大船団を使って大坂へ物資を運び込もうとしているのだ。

 知らせでは、毛利水軍はすでに淡路国(現在の兵庫県淡路島)辺りに進出し、今日明日にもやって来る勢いだと言う。


 なお、毛利水軍は指揮官こそ児玉・粟屋・浦といった毛利家の直臣が上に立ってはいるが、事実上主力を形成しているのは瀬戸内海の雄・村上海賊衆だった。

 彼らは能島の本家を筆頭に因島、来島の分家に分かれ、現在では「しまなみ海道」として知られる安芸から伊予にかけての海域を実効支配していた。

 必ずしも一枚岩ではない時期もあったが、現在は能島村上本家の当主・村上武吉の下で一定のまとまりを保持し、1つの独立した連合勢力として存在感を放っている。


 彼らが一応独立を保っていられるのは、瀬戸内海という特殊性を活かした高い経済力と、それに裏打ちされた海軍力によるところが大きい。

 彼らは実効支配する芸予の海を通る船から通行料を取り、それは多い時には積荷の1割にもなるという。

 陸上における関所とそこを通る際に支払う関銭(通行料)の海バージョンだ。

 瀬戸内海はこの時代の西国交通のメインストリートであり、特に大小数百はあるという芸予海域は必ず通らなければならない場所だ。

 この狭い海域をしっかりと確保し続けていられる以上、村上海賊衆はまるで鴨が葱を背負って来るかのようにやって来る船から安定した収入を得られるのだった。


 さらに、彼らは得られた金を海軍力の強化に注ぎ込んだから、その強さは瀬戸内海随一のものとなっていた。

 その力は周辺地域のキャスティングボードを左右するほどのものとなり、実際に弘治元年(1555年)の厳島の戦いでは劣勢の毛利家に味方し、海上封鎖によって厳島に上陸していた陶軍の退路を断って毛利に勝利をもたらしている。


 容易ならぬ強敵と言っていい。

 織田水軍の各兵たちの面上に、不安の色が浮かんだ。


「なに、7,8百艘と申しても、半分以上は兵糧などを運ぶ荷船(輸送船)じゃ。攻めてくる数は、我らと大して違わぬ。」


 臆病風に吹かれた配下たちを見て、力強い言葉を発したのは真鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)貞友だ。

 七五三兵衛は和泉国に領地を持つ国衆であり、真鍋海賊衆を率いる親玉でもあった。

 同じく和泉国の海賊衆である沼野伝内とともに信長から織田水軍の指揮を任され、木津川口の海上封鎖にあたっていた。

 敵の接近につれて配下が悲観的になるのをみて、鼓舞しようと口を挟んだのだ。


「それに・・・おぬしら、いまどこにいると心得る!?かような大船、芸予の者どもは持ってはおらぬ。恐るるに足らぬわ!!」


 七五三兵衛らが乗船しているのは「安宅船」と呼ばれる大型の船だ。

 まるで城のような屋形を備えた巨船で、速度は遅いものの櫓走が可能なため意外に小回りが利き、単体で十分な戦力を発揮する。

 現代の軍艦に例えるなら、「戦艦」クラスの戦闘力に秀でた巨船であった。

 しかも、今回は防衛側ということで、不利な機動力はさほど重要ではなく、存分に力を発揮できるはずだ。


 一方、この時代の軍船の主流は「関船」という、船足は早いがせいぜい数十人しか乗り組めない中型の軍船だった。

 その戦闘力は「安宅船」に大きく劣り、装甲が薄いために防御力も劣っていた。

 速力は脅威だが、間近まで寄せてきたとしても、織田の「安宅船」に搭載した鉄砲によって盾ごと貫通することも十分に期待できた。


 集めた情報によると、毛利水軍は遠征に不利な大船をほとんど連れてきておらず、中小の船によって構成されているらしい。

 七五三兵衛が言う織田水軍の強みは、十分に根拠のあるものだったのだ。


「かの名高き村上海賊の者どもをあまさず海へ漬け、大坂の塩の辛さを味わわせてやろうぞ!」


 七五三兵衛が大音声で呼びかけると、周囲の兵からは歓声があがった。

 すっかり戦意を取り戻し、敵をいまや遅しと待ちかねているような雰囲気だ。


「ご注進!おびただしく、帆らしきものが見えまする!敵が寄せて参ったかと。」


「頃はよし!他の船にも伝えよ。ゆめゆめ不覚をとるな、とな。」


 他の船でも敵影に気づいたのだろう。

 急速に周囲が慌ただしくなってきた。

 そうこうするうちに、茜色に染まりつつある西の空を背景にして敵の船団が次第に大きくなってくる。


「みよ。やはり敵の半分は荷船じゃ。」


 七五三兵衛は喜びの声をあげた。

 敵の大船団のうち、後方の半分以上の船が停止している。

 戦闘能力を持たない輸送船団なのだろう。

 自分の予想が当たるのを目の当たりにして、七五三兵衛は勝ちを確信し、満面の笑みを浮かべた。


 ……………………………………………………………


(どうして、こうなった・・・!?)


 1刻(2時間)ほどのち、七五三兵衛は灼熱地獄のように燃え盛る船内に立ち尽くしていた。

 威容を誇った「安宅船」は焼けただれ、みすぼらしい木塊と化していた。

 七五三兵衛の周囲を固めていた兵はすっかりまばらとなり、もう幾人も残っていない。

 至るところで起こっている火災を消し止めるためにあたふたと散らばり、火に巻かれて倒れたか、もはやこれまでと海へ飛び込んだかのどちらかだ。

 誰の目にも、船の運命は明らかだった。


 これもすべて、思いもよらぬ敵の戦法によるものだ。


 最初、押し寄せてきた敵船団を遠望していた七五三兵衛らには、ずいぶんと余裕があった。

 敵の船はなんの変哲もない中型軍船の「関船」や小型軍船の「小早」ばかりで、数は多くとも迫力に欠けていたからだ。

 その数も味方と大差なく、特に脅威を感じなかった。


 織田水軍の慢心は、敵船が鉄砲の射程圏内に入ってきたときに頂点に達した。


「見よ、敵は鉄砲も持たぬようじゃ。一向に射って来ぬ。」


 味方の船からは敵に向かって数百挺もの鉄砲が火を吹き、乾いた銃声が響くなか、敵船からはまったく応射する様子がみられなかったのだ。

 銃弾にあたったらしく、のけぞった体勢のまま海へ転げ落ちる者もチラホラ出ていたが、敵は一心不乱にこちらへ向かって漕ぎ寄せてくる。


 この時点で、七五三兵衛は勝利を確信した。

 こちらの防衛プランどおりの展開だったからだ。

 織田軍のプランは、まず「安宅船」の強靭な防御力を活かし、敵の攻撃を食い止める。

 そして攻めあぐねる敵に銃撃を浴びせ、機を見て敵船に乗り移り、的確に倒していくというものだった。


 だが、織田軍の甘い未来図は敵が接近してくるとたちまち突き崩された。


 矢の射程範囲内に入ると、敵船は一斉に火矢を射掛け始めた。

 もちろん、織田軍も負けじと火矢を放つ。

 こうやって始まった矢戦の決着は、あっという間に着いてしまった。


 織田軍の放った火矢がすぐ敵兵の手で消し止められたのに対し、毛利軍が射た火矢は激しく燃え続け、なかなか消火できなかったのだ。

 その原因は、矢の構造の違いにあった。


 織田軍が使っている一般的な火矢は、先端部分に燃料となる布切れを巻きつけたり、油を入れた筒をくくりつけたりしたものに火をつけて放つ。

 一方、毛利軍、いや村上海賊衆が使っている火矢は、竹製の矢柄(棒のように細長い部分)を2つに割り、中に火薬を詰め込んだものだった。


 当然、燃え方が全然違う。


 織田軍の矢が先端部分だけ燃え、周囲を巻き込む火力に欠けていた。

 ところが、毛利軍の矢はまるで爆発するように激しく燃え、容易く周囲に燃え広がった。

 消火することが困難なだけでなく、そもそも火矢に近づくことすら難しかった。


 それ以上に猛威を振るったのが、接舷してきた敵が投げ入れた焙烙玉(ほうろくだま)と呼ばれる手榴弾のような兵器だった。

 これは玉のように丸い陶製の容器に火薬を詰め、導火線をつけたものだ。

 これが船に投げ込まれると爆発を引き起こし、周囲を火の海にした。


 小型の船はこの焙烙玉1つで全焼、中型の船もほんの数個で戦闘能力を失った。

 七五三兵衛が海上の城とみなしていた「安宅船」も例外ではなかった。

 なかなか消えない敵の火矢の消火に追われるうちに敵の接近を許し、焙烙玉を多数投げ込まれて火だるまにされたのだ。


(沼野もやられたらしいな・・・。)


 七五三兵衛の視線の先には同じく織田水軍の将である沼野伝内の船があった。

 同じように大きな「安宅船」だが、これも夜の闇を焦がすかのごとく、どこもかしこも火に包まれていた。

 あれでは、もう長くは持たぬであろう。


(それはわしも同じこと。・・・熱い、もはや耐えられぬ。)


 7月13日夕刻に始まった海戦は、こうして一方的な展開に終わった。

 夜が明けると、戦場に残ったのは勝った毛利水軍の船ばかりで、織田水軍の船はほとんど残っておらず、それも黒焦げになったものしかない。

 真鍋七五三兵衛、沼野伝内ら主だった将はほとんど戦死し、織田水軍は壊滅的な損害を被った。

 毛利水軍はそのまま木津川をさかのぼって物資を補給したあと、意気揚々と西へ引き揚げていった。


 敗戦を知らせる使者はただちに信長のもとへと飛び、2日後の15日には安土へともたらされた。

 信長は毛利水軍接近を知り、すでに出陣の準備をはじめていたが、もはや後の祭りだった。

 佐久間信盛が住吉海岸の城に攻め寄せた敵を撃退した、敵とは比べ物にならないくらいささやかな戦果に我慢するほかなかった。

 信長は出陣を取りやめると、真鍋ら城将を失いつつも何とか確保できた海岸の城へ新たに保田安政らを入れ、包囲を継続するよう命じた。

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