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第127話 家督

岩村城攻めに成功した織田信忠は岐阜へと帰還します。


その信忠を待っていたのは、数々の栄典でした。


それとともに、織田家内部の変質が始まります。


信長は岐阜を離れ、その目を京へ、さらにその先へと向けようとしていました。

 岩村城の戦いの顛末を岐阜で聞き、俺はその処置について考えていた。


 具体的には、なぜ岩村城の将兵を皆殺しにしたのかということだ。

 降伏を申し出ていた敵兵をだまし討ちにしたことは、不義理でもあり、今後敵が織田へ降伏しにくくなる恐れがあるのではないかと思ったのだ。


(信長は秋山虎繁をそれほど恐れていたのか?)


 秋山虎繁は、信玄時代から名将として知られ、武田家中において伊那郡代という重要な地位にあり、対織田最前線の責任者であった。

 元亀3年(1572年)に武田軍が岩村城を攻略したとき、これを主導した人物も虎繁だ。


 だが、いくら虎繁が優れた人物であるとは言え、殺さなければならないほどの危険な人物だろうか。

 今回の岩村城攻めは作戦開始からほんの2ヶ月ほどで成功に終わっているし、城攻めに至るまでの調略合戦においても虎繁は武田の劣勢を食い止めることはできなかった。

 もちろん、武田家の威信が傷ついたのは長篠の大敗が原因であり、参戦すらしていない虎繁には何ら責任はない。


 結局、虎繁が有能とは言っても、劣勢明らかな武田の威勢を取り戻すほどの力まではないのであり、信長が彼を殺さねばならないほどの脅威は感じていないのではないか。


(あるいは、偽りの降伏と疑ったのか?)


 長篠の戦い以降、東美濃の国衆たちの多くは織田家になびいたが、岩村城は武田家への忠誠を曲げなかった。

 降伏したとはいえ、簡単に織田へなびくとも考えにくく、いずれ刃向かってくることは十分に考えられた。

 その恐れを払しょくするためには、殺してしまうしかないとの判断だったのだろうか。


(降伏してきた者をだまし討ちにして殺してしまえば、次から降ってくる敵はずいぶん少なくなってしまう。信長の目的が九州など西国の征服だとすれば、こんなことを続けていればかなり不利に働く。そのデメリットに目をつぶってまでも、秋山らの処刑は必要なものだったということなのか。じゃあ、それによって得られるメリットって何なんや!?)


 信長の考えはわからない。


(案外、単に秋山虎繁らの存在が気に食わなかったっていう感情的な理由かもわからんな。なかなか味方になろうとしない連中なんて、目ざわりって言えば目ざわりやし。それと、周辺の勢力に対する見せしめの意味なんかもあるのかもな。)


 あれこれ考えるうちに、俺の思考はついに最も安易な考えに行きつく。

 感情論で国家戦略を決めるなんてことは普通では考えにくいが、信長による独裁が確立している今の織田家ならばありうることではあるのだ。


 ……………………………………………………………


 天正3年(1575年)11月24日、岩村城攻めに勝利した織田信忠が岐阜へと帰還した。

 武田の勢力を一掃し、長年の懸案であった東美濃の直接支配を確立させる勝利を挙げた凱旋将軍らしく、威風堂々とした帰城だった。


 信忠は稲葉山山麓に与えられた自分の屋敷へいったん入り、戦塵を落し、身を清めてから登城した。

 主君である父・信長に戦勝報告をするためだった。


 信忠は、父と性格があまり似ず、実直な息子だった。

 常に容儀を整え、穏やかな性格で周囲にも優しく、理想的な若様と仰がれていた。

 家臣の助言をよく聞いて忠実に与えられた職務をこなし、まずまず無難に織田家の後継者としての力量を見せていた。


 信長が今の信忠と同じ19,20歳ごろなどは、だらしないとしか言いようのない格好をしてぞろぞろと歩き回り、多くの家臣から白い目で見られたものだ。

 当時の姿だけしか知らない者からすれば、現在の織田家の繁栄は不思議な感じがすることだろう。


(果たして、父上に喜んでいただけるだろうか・・・。)


 城内を歩きながら、信忠の頭の中を占めていることはそれだけだった。


 一代で尾張半国に満たない小領主から押しも押されもせぬ大大名に成り上がった偉大な父を持ち、信忠には気負いがあった。

 いずれ、自分がこの織田家を継ぎ、守っていかなければならない。

 いや、その前に信長の後継者としての地位を確かなものにしなければならない。

 信忠の胸中には、誰よりも父に認められたいとの思いが充満していたのだ。


 しばし別室で待たされたあと、信忠は父への面会が許された。

 いくら親子と言えど、公的な立場のある者同士、そう簡単にホイホイと会うことはできない。


「こたびの岩村(おもて)の戦、上様(織田信長のこと)のご威光により、御味方の大勝利と相成りましてございまする。」


「であるか。」


「はっ。後の仕置きはこの信忠に一任するとの仰せにより、攻め取った岩村城へは河尻秀隆を入れ置きました。」


「・・・苦労であった。」


「ありがたき幸せ。・・・では、これにて。」


 何ともアッサリした問答だが、この親子の会話はいつもこうだ。

 元から言葉数の少ない信長と、余計なことを言わない真面目な信忠の会話はいつも単なる事務連絡に終始し、傍目には親子の情が感じられないくらいだ。

 信忠が父の信頼を得ようと躍起になるのも、こういう素っ気ない関係性も影響していた。


「・・・待て。本日はそのほうに申し伝えることがある。先日、朝廷より内意があった。そのほうを秋田城介(あきたじょうのすけ)に任ず、とのお達しじゃ。ありがたくお受け仕るように。」


「・・・身に余る光栄にございまする。」


 信忠は平伏し、謝意を示した。

 その両肩がわずかに震えている。


 秋田城介は出羽国(現在の山形県と秋田県)秋田城とその周辺を支配するために置かれた官職で、事実上出羽北部(現在の秋田県)を統括する役割を果たしていたが、次第に形骸化して出羽守(出羽国の国司)が兼務することとなった。

 やがて武士が台頭するとその名門が就任する名誉職となり、鎌倉幕府の重鎮であった安達家などがこれに就いた。


 織田家の支配領域からはるか離れた地の官職であるため実質的な恩恵はほとんどないが、武士として名誉の任官だ。

 信忠に箔をつけるため、信長が朝廷に働きかけてくれたに違いない。

 その証拠に、信長が右大将(右近衛大将)に任じられた日と同じ11月7日にさかのぼって任官することになると言う。


(父上はわたしの働きをお認めくだされたのだ・・・。)


 早く後継者として認められようと気を張ってきた信忠にとって、今回の任官は大きな一歩に思えた。

 いくらなんでも、デキの悪い息子への任官を働きかけることはあるまい。


「まだある。わしは織田の家督をそのほうに譲る。」


「家督を・・・それがしに!?まことにござりまするか!?」


 思わず信忠の声がうわずった。

 織田家の家督を譲るということは、当主の座を信忠に譲るということだ。

 今まで後継者として十分に認められていないのではないかと自問し続けてきた信忠にとって、思いもよらぬ展開だった。


「数日のうちに相続の儀を行う。いずれこの岐阜もそのほうに譲るつもりじゃ。」


「岐阜を!?して、父上はどうなさる?」


 あまりの展開の早さに、いつもは謹直な信忠にも動揺がありありと浮かんでいる。

 言葉遣いも、すっかり崩れてしまっていた。


「近江よ。近江に新しき城をつくり、そこへ移る。近江から京へは馬でも船でも1日で行けるゆえな。」


(なるほど。父上は家督を譲られても、隠居なさる気まではないようじゃ。)


 岐阜から京へは2,3日はかかり、いまひとつ便利が良くない。

 かと言って京に住めば、来客はひっきりなしだし、何かと朝廷や寺社のもめ事に巻き込まれかねない。

 その点、南近江あたりに新たな居城を築けば、つかず離れずの絶好の距離に身を置くことが可能となる。

 それはつまり、信長が政権トップとして朝廷との関わりを今後も持ち続けていくということだ。


「そのほうには東国のことを任せたい。徳川殿を助け、武田に当たれ。」


「委細、承知つかまつりました。」


 信長の意図を理解し、すっかり落ち着きを取り戻した信忠は、いつもの謹厳さで応じた。


 信忠に与えられた役割は、言ってみれば「東部戦線」の総責任者だ。

 すでに遠江・駿河方面では徳川家康が武田軍と激闘を繰り返しているが、信忠はこれを支援し、隙あらば武田領の信濃へと侵攻する働きが求められる。


 現実にはまだまだ武田は健在であり、狭隘な木曽口・伊那口から信濃へ侵攻することは困難だ。

 むしろ、武田の逆襲によって東美濃を攻められる可能性だって十分にある。

 まずは信長が他の方面へ専念できるように、東美濃防衛体制の確立が急務となるだろう。


 こうなると、信長が行った武田家の伊那郡代兼岩村城主・秋山虎繁の処刑が大きな意味を持ってくる。

 武田家もまた、「西部戦線」の総責任者がいなくなったことにより、南信濃の支配体制を見直す必要に迫られているはずだからだ。


 尾張・美濃の国衆の多くを寄騎として持つことになり、これまで以上に格段に大きなプレッシャーを抱えることになった信忠にとって、これは大きな安心材料だ。

 一見、たいした理由もなく行われた虎繁の処刑は、実は信長がひそかに息子を気遣うあまりになされたものだったのかもしれない。

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