第7話 初陣(後編)
いよいよ小豆坂の戦いのクライマックスとなる第7話です。
残酷描写は極力押さえましたが、気になる方はご注意ください。
敵味方双方の注目が戦場の南側に集まっているなか、今川軍の太原雪斎は秘かに麾下の駿河衆を率いて戦場の北側に移動しはじめていた。
雪斎は前日までに尾張勢の布陣を観察し、尾張勢左翼に織田信秀の下で戦い慣れていない清洲衆が配置されていることを見て取った。
そして、尾張勢のウィークポイントがそこにあると見当をつけ、反対側の尾張勢右翼を激しく攻めると見せかけ、実際には尾張勢左翼を攻撃する策を立てていたのである。
乙川と小豆坂に挟まれた、狭く兵を展開しづらい地形ではあったが、雪斎は子飼いの庵原氏の兵を中心に素早く移動を完了し、一気に坂を登らせ始めた。
俺たち清洲衆がようやく敵のねらいに気づいたのは、大声を挙げて敵が坂を登り始めてからだった。
突然の敵の攻勢に慌てて矢を射掛ける。だが、敵兵は矢を物ともせず、どんどん近づいてくる。
「若、槍を。」
脇に控える右近に声をかけられ、俺は小者が差し出した槍を受け取る。
だが、間近に迫った敵の鬼のような形相を目にして、身体が固まったように動かなくなった。
(怖い・・・!殺されるっ!!)
敵が槍を構え、自分に向かって突き出されるのをまるで他人事のように呆然と見た。
横合いから兄の新介がその槍を跳ね上げてくれなかったら、俺は刺し貫かれて死んでいただろう。
槍をかわされて体勢を崩した敵を兄の横にいた伝兵衛が槍で突き伏せ、とどめを刺した。
恐ろしい形相のまま動かなくなった敵を見て、俺は初めての死の恐怖に怯えていた。
「又介。何をぼーっとしておる。ここは戦場ぞ。」
「申し訳ございません。」
兄の叱声に詫びながら、俺は自分に言い聞かせる。
(俺は太田牛一に転生したんやから、こんな早くに死ぬことなんてないと勝手に思ってた。でも、そんな保証はどこにもない。今も危うく死にかけた。心を引き締めて、死なんように自分で何とかしていかねば。)
それからは夢中だった。
怖いとか、そんな感情はどこかに飛んでいたような気がする。
兄や伝兵衛らから習った槍術を思い出し、右近らと協力しながら敵と戦った。
幾人槍で叩き伏せ、突き、とどめを刺したかよく覚えていない。
目の前の非日常的な光景から無意識に目を背け、人を傷つけ、命を奪うことに対する感情もまた、どこかに封印してしまっていた。
敵の勢いは物凄く、後から後からやってきて、その攻撃はいつ終わるともしれない。
俺や俺の周囲も重傷者こそいないものの傷を負うものが増え始め、このままでは支えきれないと感じ始めたころ、にわかに敵の圧力が減ったように思われた。
「那古屋弥五郎殿の兵が今川軍の脇腹に突っ込んだぞ!」
兄が大声をあげ、味方を鼓舞する。兄によると、視界の隅に弥五郎が手勢を引き連れて横合いから突っ込んでいくのが見えたそうだ。
疲れも出てくるところだったのだろう、敵は勢いを失ってじりじりと後退していく。
「横槍を入れてきたものは退けたぞ、進め、進め!」
今川軍の将の声が響くが、勢いに乗って坂を下る尾張勢の勢いを止められない。
このとき、尾張勢の中で一際目を引く活躍をしたのが、褌一丁のほぼ全裸の兵だ。
先日博打で持ち物をほとんどすった男だった。
周りに比べて身軽で動きのキレが全然違う。
誰から奪ったか知らないが槍を振り回し、みるみる今川兵を数人倒してしまった。
意外な豪傑(?)の活躍もあり、俺たちはついに今川軍を坂の下に追い落とした。
そのまま敵陣に攻め込もうとするも、敵は新手の部隊を繰り出してきて、突出した味方を蹴散らし、その間に前線部隊が撤収していく。
味方がいったん態勢を立て直そうとして少し下がると、その間に敵の殿軍(最後尾で敵を食いとめる部隊)はするすると退却してしまった。
敵ながら鮮やかな手並みに舌を巻く。
兄が庵原氏の旗を指差し、敵将が太原雪斎だと教えてくれた。
僧門にありながら今川きっての名将として後世でも有名な人物だが、その才能の一端を見せつけられた思いがした。
俺たち尾張勢左翼が敵を撃退したことで、他の今川軍も攻撃の失敗を悟り、退却を開始していた。
こちらは雪斎ほど退却がスムーズにいかず、ついには我先にと敗走していく。
踏みとどまって敵を食い止めようとする高名そうな武者も、尾張勢の勢いを止められずにみるみるうちに討たれていった。
今川軍を追い払うと、俺たちは負傷者や戦死者の収容を開始した。
俺は兄の新介らと一緒に歩いていたが、ある死体の前で足を止めた。
首がないために顔はわからないが、体つきや見覚えのある鎧から那古屋弥五郎のものと思われた。
近くで収容した弥五郎の部下の負傷兵に確認させると、弥五郎で間違いないという。
弥五郎は味方の不利を見て、100名ばかりの手勢を引き連れて敵の右側面から突撃したらしい。
突入には成功したが、やがて混乱を収めた今川軍の逆襲にあってしまったようだ。
そして、手勢の半数近くを失い、ついには自分の命も失ってしまったのだ。
(この人は俺たちを助けてくれたばっかりに・・・死んでしまったんや・・・。)
弥五郎の無残な姿を見つめる視界が、だんだんとぼやけてくる。
思わず頬に手をやると、両目から涙がとめどなく流れていた。
短い付き合いだったが、親身に接してくれていた弥五郎の死が無性に悲しかった。
俺は那古屋弥五郎という名を生涯忘れるまいと心に決めた。
小豆坂の戦いはたった一日で終わったが、激戦だった。
尾張勢の右翼では信秀の遠縁にあたる織田信房が敵の槍で突かれて負傷し、左翼では清洲衆の那古屋弥五郎が討ち死にした。
だが、勝利は尾張勢のものだった。今川軍は小豆坂を突破できなかった。
尾張勢は右翼や中央での追撃の際に潰走する今川軍に追いすがって戦果を拡大し、特に信秀の嫡男信長の代理として参戦していた内藤勝介が今川方の将を討ち取る活躍をみせた。
他にも下方貞清、佐々正次、佐々孫介、中野一安、赤川景弘、神戸市左衛門、永田次郎右衛門、山口教継らが武功をあげた。
今川軍は正田原に築いた砦まで引き上げ、態勢を立て直して再度攻めようとしていたが、今川の敗報を聞いて三河南東部・渥美半島の大族戸田氏が反旗を翻し、東三河の今川方の重要拠点・今橋城を窺う動きをみせた。
今橋城はつい数ヶ月前まで戸田氏の勢力下にあり、ここぞとばかりにその奪還に動いたのだ。
急報を聞いた今川義元は、退路を絶たれることを恐れ、戸田氏と戦うために撤退していった。
織田信秀は今川軍の撤退を確認すると、岡崎城へ兵を進めた。
救援の望みが絶たれたことを知った岡崎城主松平広忠は、わずか4歳の嫡子竹千代(後の徳川家康)を人質に出して降伏した。
ここに事実上、西三河は信秀の支配下に入った。
信秀は庶長子の織田信広を安祥城に入れ、尾張に向かって帰路についた。
清洲衆も同じく帰路につき、俺の初陣は勝利のうちに終わった。
だが、帰り道を馬に揺られながら、俺は戦場の怖さ、命の儚さについて考え続けていた。
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同じ頃、三河南西部の吉良・大浜に展開していた今川軍の支隊を、別の織田軍が打ち負かしていた。
この年元服したばかりの信秀の嫡男信長が平手政秀の補佐を受けて今川勢を追い払い、付近に放火して引き上げつつあった。
そう、俺と信長は戦場こそ違え、奇しくも同じ時期に初陣を迎えることになったのだ。
「のう、九郎次郎。今川は大したことなかったな。」
「さようでございましたな。我らの姿を見て、じきに散り散りになり申した。」
信長の呼びかけに、後ろに続く山口九郎次郎教吉が答える。
両者とも初陣にあたる合戦に勝利し、機嫌が良い。
合戦とは言えないくらいの小競り合いだったが、勝ちは勝ちだ。
「若、かの敵勢は今川とは言え、枝葉の衆にござる。」
初陣で首尾良く初勝利を挙げて軽口を叩く信長に、平手政秀はため息まじりに言い聞かせる。
主君の後継ぎの初陣だ。
危険な激戦地へ連れて行くわけにはいかない。
今回は確実に勝てると政秀が判断した相手と戦い、長居は無用とさっさと火を放って引き揚げて来たのだ。
「わかっておる。かような敵ばかりではないと言いたいのであろう。だが、わしも次はもっと強うなる。」
「それがしも微力を尽くしまする。」
信長が宣言するように言い、教吉が協力を誓う。
政秀は信長の様子にはやや危うさを覚えつつも、次世代の織田家の将来には明るい希望を持った。
教吉は笠寺の領主・山口教継の嫡男だ。
教継は知勇を兼ね備えた男で、織田信秀を助けて随分と働き、鳴海城を与えられていた。
今回の小豆坂の戦いでも武功をあげていた。
その教継の嫡男が次の当主となる信長に協力を明言しているのだ。
政秀はそこに将来の織田家の安泰を見る思いがしたのだった。
教吉は性格も穏やかで心根の綺麗な若者だった。
癖の強い信長とは良い主従になるかもしれぬ、と政秀は思った。
戦勝の喜びに包まれ、陽気に進む集団のなか、信長は馬上で胸をそらし、歩を進めていた。
その顔からは希望があふれ、その目はらんらんと輝いていた。
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※小豆坂の戦いの両軍配置図を追記しました。
牛一の初陣は無事勝利に終わりました。
だが、親しくなった人物の死やリアルな戦闘の恐ろしさに牛一は後味の悪さを感じている様子。
今後牛一はどのように乗り越えていくのでしょうか!?
奇しくも、信長も同時期に初陣を迎えました。
こちらは純粋に勝利を喜び、次回への強い決意も見せています。
時期は同じながら、帰り道の2人の様子は対照的なのでした。
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小豆坂の戦いの両軍の配置や戦闘の展開などは、筆者のオリジナルです。
ちなみに、那古屋弥五郎さんは、お亡くなりになった記述だけしかありません。
また、吉良・大浜の戦いも同様です。
「この物語はフィクションです。」