第79話 箕浦の戦い
「敵襲でございます!敵の総大将、浅井備前守(浅井長政)殿、はや姉川まで至り、この城を目指しているよし!!」
元亀2年(1571年)5月6日。
木下秀吉が守る横山城にあわただしく物見が駆け込んできて、敵の出現を告げた。
聞けば、数千以上の大軍が南下してくるという。
昨年この横山城が織田家の手に落ちてから、この城は対浅井の最前線となっていた。
いつ果てるとも知れない小競り合いや反織田勢力に使嗾された一揆の発生は日常茶飯事で、常に極大の緊張にさらされている状況にあった。
しかし、城内の様子は必ずしもピリピリしたものではなく、むしろ明るく活発な空気が充満していた。
それはひとえに主将たる人物の性格・振る舞いによるものが大きかった。
「おう、そうか。敵の大将自らお出ましとは、景気のいい話やな。ようし、城内のみんなに出陣すると伝えろ!慌てて刀とか忘れんように準備しろってな。」
城代の秀吉は、どこかのんびりした口調で応じる。
現世からの時代逆行者である彼は、幾多の危険な戦場へ臨みつつも、自分が死ぬとはまったく考えていなかった。
自分がいずれ豊臣秀吉になることを信じて疑わず、従って死の恐怖におびえる必要がなかったのだ。
もっとも、「藤田吉郎」という元の人格からして、物事をあまり深刻にとらえることのない底抜けに明るいキャラクターなだけに、同じ立場のマタスケに比べて格段に図太い神経をしている点は否定できないが。
そのような事情を知る由もない周囲の者たちは、ピンチの時も冷静でいつもと同じように軽口をたたく秀吉を実に頼もしいリーダーだと見ていた。
このため、横山城内はいつも悲壮感とは無縁で、それでいて戦意は旺盛という、前線拠点としてはある種理想的な環境を獲得していた。
「ご注進!敵は押さえとおぼしき一部の兵を残して西へ進路をとり、南下しておりまする。敵の先手は浅井七郎(浅井井規)殿、その勢は一向宗の門徒どもも加わってふくれあがり、5千と称しておりまする。」
「うーん、こっちには来んのか。さては鎌刃城を狙っとるな。よし、これより出陣し、山伝いに南へ向かうぞ!敵の先回りをして、箕浦城で迎え撃つ!!」
浅井軍はいくどかの小競り合いの結果、秀吉が守る横山城を落すことは難しいとみて、攻撃目標を変えてきたようだ。
坂田郡最大の勢力を誇り、秀吉の寄騎として下支えをしている堀家を新たな主目標とし、その本拠・鎌刃城を攻撃しようと軍を南下させはじめたのだった。
「将を得んと欲すれば、まずその馬を射よ。」ということだろうか。
堀家の領国は坂田郡の南部から東部にかけて広がっており、これらが再び浅井家の手に戻れば、秀吉の横山城だけでなく攻め取ったばかりの佐和山城もまた本国との連絡線を断ち切られ、孤立することになるのだ。
これに対し、秀吉は1千の手勢のほとんどを横山城の守りに残し、大胆にもわずか百騎あまりを連れて援軍におもむくことにした。
「堀次郎殿に急使を送れ。箕浦城まで押し出してもらい、ともに浅井軍を蹴散らすんじゃ!」
堀家の総兵力は1千あまり。
そのうち、堀秀村や事実上堀家を動かしている重臣の樋口直房らの主力5,6百を最前線の箕浦城に集結してもらえれば、敵の大攻勢を支えきることができる。
秀吉はそう読んだのだった。
ひそかに横山城を出た秀吉は、敵の物見に見つからぬよう山際に沿って進み、約3里(12km)の道のりを1刻(2時間)強で踏破して箕浦城に入った。
その行軍の素早さは、敵の浅井軍どころか味方の堀家の兵よりも早く箕浦城に着くほどのすさまじさだった。
やがてやって来た堀秀村や樋口直房と合流した後も、秀吉は時間を無駄にしなかった。
箕浦城の守りを点検し、可能な限り補強を行ったのだ。
応急処置が終わり、さしあたって敵を迎え撃つ態勢が整ってからしばらくして、ようやく浅井軍の先手が見え始めた。
「何じゃ、ありゃ?」
箕浦城の櫓から敵の様子を見ていた秀吉は、思わず素っ頓狂な声をあげた。
傍らには堀秀村と樋口直房の姿があった。
ゆったりと押し寄せてくる浅井軍のなかに、正規の武士とおぼしき兵の姿は予想外に少なかった。
大多数は軍装もまちまちな一揆勢だ。
槍や刀で一応の武装はしているが、思い思いの武器を持ってきたという感じで、統一感がまったくない。
防具にしても、足軽が着込む胴丸など身に着けていればまだいい方で、革の鎧やなかには普段着とほとんど変わらない格好で参戦している者も目につく。
また、通常の部隊であれば主を中心にきちんとした秩序があり、まとまって進退するのが当たり前なのだが、寄せ集めの一揆勢には明確な指揮系統がないのか、ただ群れているだけにしか見えない。
おそらく、実戦経験が乏しいか、あるいはまったくない連中なのだろう。
すでに戦場での経験を豊富に積んでいる秀吉の目から見れば、敵軍の質の悪さは明らかだった。
「あんな敵なら、わざわざ籠城するまでもないわ。一気に蹴散らしましょう!」
「しかし、木下殿。敵は5千を超えると言うぞ。ここは岐阜や佐和山へ後詰を頼んではいかがか?」
「わが殿のおっしゃる通りでござる。敵はわが方の数倍、後ろ巻きの軍がなければ勝利はおぼつきませぬ。」
即時出撃を主張した秀吉に対し、まだ若い秀村は敵の数の多さにしり込みしたのか、弱気だった。
知勇兼備の将として近江国では知られた存在である樋口直房も、家臣の立場ゆえか主君の意見に同調していた。
(何じゃ、張り合いがないのう。ちゃんと見たら、たいしたことない敵やとわかりそうなもんやのに。ぐずぐずしてたら、もっと敵が増えてきて、太刀打ちできんようになるぞ・・・!)
「たとえ籠城するにしても、敵に一当てして勢いをくじけば、こちらの士気も高まる。もし最初から城に居残っていたら、堀家は臆病者と言われますぞ!」
「しかし・・・」
「確かに木下殿の言葉にも一理ありまする。深入りせぬよう、サッと引き上げればようございます。」
さすがに臆病者のそしりを受けるのは問題とみたのか、樋口直房が賛成に回り、ようやく出撃と決まった。
ただ、明らかに敵の数を恐れて腰が引けている感じで、何とも心もとない。
堀家は秀吉の寄騎となっているため、一応秀吉の指揮下には入っているのだが、秀村は信長の家臣という立場で言えば秀吉と同格なので、なかなか頭ごなしに命令しにくい。
悪いことに、上官である秀吉よりも堀家の方が領地が広く、兵の動員力でも上回っているのだ。
家柄も京極家の家臣として続いてきた筋目正しい堀家と氏素性の怪しい秀吉ではてんで比較にならず、仕草や言動に仕方なく従っている様子が見て取れた。
(まぁ、ええわ。城を出たら、こっちのもんや。無理やり引っ張って行って、戦に巻き込んだる!)
秀吉は手勢に堀家の兵を加えて出撃すると、一気に北上して城から30町(約3.3km)ばかりまで迫っていた浅井軍に攻めかかった。
北国街道をダラダラと南下してくる敵軍に対し、秀吉は槍を構えた足軽衆を先頭に突っ込んだのだ。
質の織田軍に対し、量の浅井・一向一揆連合軍。
やはり戦場では数の優位というものが存在し、当初はさしもの織田軍も苦戦を強いられた。
特に数の上では主力となる堀家の兵に損害が目立つ。
だが、武器もまちまちで指揮もちぐはぐな敵軍は一度崩されると容易に立ち直ることができず、混乱が次々に波及していく。
とりわけ戦闘経験豊富で統制のとれた木下勢の槍ぶすまは、烏合の衆の群れをたやすく切り裂いていった。
下長沢で始まった戦いは短時間で織田軍の勝利に終わり、浅井・一向一揆連合軍は数十人の死者を出して逃げ出し始めた。。
「よし、追撃じゃ!!」
秀吉は手を緩めず、逃げる敵に追い打ちをかけた。
勢いに乗った秀吉の手勢が「おう!!」と応えて走り出し、つられて堀の兵までこれに加わった。
30町(約3.3km)ほど北に行った下坂のさいかち浜という場所で、敵軍は新手の兵を加えて態勢を立て直そうとし、追ってきた織田軍と再度戦端が開かれた。
しかし、勢いづいた織田軍に対し、一度負け癖のついた一揆主体の兵がかなうはずもない。
たちまち、みじめな潰走がはじまる。
「まだ、まだ!!」
秀吉は貪欲に戦果を求め、攻撃を下命し続ける。
さらに20町(約2.2km)ほど北へ押し戻し、八幡下坂まで追い崩し、やっと軍に停止を命じた。
すでに敵軍は散り散りになって敗走し、総大将の浅井長政も敗北を悟って小谷城へ引き上げていったらしい。
織田軍の大勝利だった。
いくら一揆が主体の相手とはいえ寡兵で数倍の敵を蹴散らし、織田軍の強さと木下秀吉の力量をこれでもかというくらいに見せつけた一戦となった。
この戦の様相はすぐさま近隣にも知れ渡り、浅井を見限って織田に寝返ってくる者も増えることだろう。
箕浦の戦いはその内容はともかく、織田家と木下秀吉にとって大きな意義のある戦勝となった。
「やあ、樋口殿。堀家のつわものどもの働き、見事でございましたな。おかげさまで、大勝利でござる。」
兵をまとめ、引き上げる途中で堀家の将・樋口直房をみつけ、秀吉は声をかけてねぎらった。
当初は消極的だったとはいえ、堀の兵が最後まで攻撃に参加してくれたおかげで勝つことができた。
それは動かしようのない事実である以上、秀吉としても気をつかわねばならないのだ。
「いやぁ、まことにめでたい。これでしばらく敵はおとなしくしておるでしょうな。ところで、木下殿から弾正忠様にぜひ言上していただき儀があるのだが・・・。」
「ほう・・・何でしょう!?」
「実は、わが家来の多羅尾相模守と申す者、こたびの戦で討ち死にしてござる。」
「それはまことに残念ですな。大切なご配下の死、お悔み申し上げます。」
「いやいや、話にはまだ続きがござってな。多羅尾の討ち死にを知り、その家来の土川平左衛門なる者、主の後を追うと称して敵中に斬りこみ、あっぱれ討ち死にを遂げてござる。樋口の、いや、堀家の武士の鑑というべき忠勇の者ゆえ、ぜひ弾正忠様のお耳に届くようお計らいいただきたい。」
「・・・わかりました。」
「これで多羅尾や土川も浮かばれるというもの。いや、重畳、重畳。」
上機嫌で去っていく樋口に対し、秀吉はにこやかな顔を向けながら、心の中で毒づいていた。
(ったく、あんだけ出撃に反対しといて、いざ勝ったら全部自分の手柄のように言いやがる。樋口の家来のそのまた家来が戦死したから、ウチの殿さまに褒めてもらいたい、だ?なんつー厚かましさや。)
おそらく、多羅尾も土川も実際に比類ない働きをし、見事な散り際を見せたのだろう。
ただ、信長の機嫌をとりむすぶため、彼らの死を利用する直房のやり口が、どうにも不愉快だった。
上官にあたる秀吉にではなく、信長にアピールしたがる態度も気に入らない。
そもそも、秀吉が援軍にかけつけたことへの感謝も、勝利をもたらした作戦指導についての称賛も、堀や樋口からはまったく感じられないのだ。
(クソッ!!今に見とれよ・・・!)
坂田郡における織田軍の最高司令官というべき立場にある秀吉だが、まだまだ浅井家との戦うために堀家の機嫌をとり、なだめすかし、時には脅して従わせねばならない。
彼らが再び浅井につけば、秀吉の地位など一瞬で吹き飛んでしまいかねないのだ。
大勝利の後とは思えない後味の悪さをかみしめながら、秀吉は手勢を率いて横山城への帰途についた。