第6話 初陣(中編)
いよいよ、又介にとっての初陣、小豆坂の戦いが始まろうとしています。
残虐描写は極力抑えましたが、気になる方はご注意ください。
小豆坂は矢作川の支流乙川沿いにある高地だ。
岡崎城の南東、約1里(4km)の場所にある。
山地を抜けて西流してきた乙川が平野部に入ってちょうど北に流れを変えるところに位置し、眼下の乙川沿いには鎌倉街道が走っている。
今川軍が岡崎城救援をしようと思えば必ず通らなければならない要衝の地であり、ここをいち早く押さえた織田信秀の戦術眼は実に確かだった。
信秀は、自軍右翼に当たる戦場の南側が開けた場所であることから最も敵の攻撃を受けやすいと考え、右翼を厚くする形で陣を展開した。
最右翼に実弟織田信光の守山衆を置き、その左に同じく弟の信実の深田衆、信康の犬山衆を並べて配置し、前面が川と丘陵部に挟まれて敵兵が展開しにくい自軍最左翼に又介らの清洲衆を置いた。
そして、信秀直率の古渡衆らは予備として後方に控えた。
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布陣が完了すると、総大将信秀から諸将へ向けて使者が送られた。
清洲衆の将のひとり、坂井甚介の陣にも使者は来た。
「我が主、弾正忠よりの伝言でござる。こたびの戦は今川勢を岡崎へ行かさぬことが肝要。固く守り、一兵たりとも通さぬように奮闘願いたいとのことにございます。」
「・・・わかり申した。弾正忠殿によろしくお伝え願いたい。」
甚介は、使者が帰ると不機嫌を露わにした。
「弾正忠めが。調子に乗りおって!」
甚介は守護代・織田信友の家臣であり、織田信秀とは同格だった。
しかも、甚介の兄・大膳は清洲城内で最も力を持ち、「小守護代」と言われるほどの存在だ。
それが軍議にも招かれず、部下のように軽い扱いを受けたのだ。
「このこと、殿や兄に伝えねばなるまい。弾正忠は、主君を軽んじておると。」
甚介は、今回の戦に嫌々駆り出されたこともあり、信秀への嫌悪感を剥き出しにしていた。
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一方、今川軍は今川義元の本軍の到着を待って軍議を開いた。
すでに小豆坂へ布陣を終えている尾張勢と戦うかどうか、そのことが焦点だった。
「それがしは、小豆坂へ押し出すのではなく、乙川を渡り、北岸を通って岡崎へ進むべきと存じまする。」
数では優勢な今川軍だが、地の利は相手にある。
ここでの決戦を避けて、岡崎城の救援を優先すべきとの声が幾つもあがった。
「いや、それはかえって危険にございましょう。敵は北岸に大平の砦をかまえており、容易に渡ることはできますまい。それに、渡河の最中に側面を小豆坂にいる尾張勢に衝かれれば、大きな被害をこうむりましょう。ここは小豆坂の敵を蹴散らし、岡崎へ向かうべきでございます。」
義元の師で長老格の太原雪斎は、小豆坂への攻撃を主張した。
川を渡っている時に攻撃された場合のリスクが理路整然と述べられると、反対意見は影を潜めた。
今川義元は雪斎の意見を採用し、小豆坂の正面攻撃を決定した。
続いて、攻撃の配置が決められた。
戦場の南側にあたる今川軍最左翼に天野景泰ら三河衆を配し、織田軍右翼を攻撃させることになった。
中央には朝比奈泰能ら遠江衆をあて、最右翼には駿河衆の先陣を配置した。
一見、今川軍の攻勢は兵を展開しやすい左翼及び中央を主攻とし、右翼を助攻としてくるだろう、と織田信秀が想定した通りの展開であった。
「恐れながら、拙僧に考えがございます。」
太原雪斎は最後に発言を求め、秘策を披露した。
総大将今川義元はそれを容れ、前線部隊の指揮を雪斎に委ねた。
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俺たち尾張勢が布陣を完了してから3日目の朝、今川軍の攻撃が始まった。
両軍とも矢の射程範囲に入ると、矢の応酬が始まった。
腰に下げた袋からこぶし大の石を取り出し、石を投げつけて攻撃する兵もいる。
意外なことにそのような遠距離戦が長く続き、両軍の距離はなかなか縮まることがない。
時代劇の合戦シーンと違って、突撃してチャンバラをするような展開はなかなか起こりそうになかった。
俺のいる尾張勢左翼は特に敵の矢数もまばらで、ほとんど脅威を感じない。
矢を射掛けながら、疑問を押さえきれず、隣にいる兄の新介に聞いた。
「兄上。両軍とも飛び道具で攻撃するばかりで、刀を交えようとする者がおりません。どうしてでしょうか。」
「真っ先に飛び出して敵に向かっていくと、敵の攻撃を一身に受けてしまう。下手をすれば、たちまち討ち死にじゃ。」
言われてみれば、敵に突っ込んでいくということは手柄を立てるチャンスである一方で、負傷や戦死のリスクが高い。
当たり前のことだが、みんな無駄死にはしたくないのだ。
「だが、だからこそ、先駆けした者は勇士として重んじられる。主君のために戦い、キズを受けた者も、その忠義を賞されるのじゃ。」
(なるほど。矢だけなら全然脅威を感じないけど、そうやって勇気を振り絞って進み出す者がいるから、戦が動くんだな。)
「おっ、始まったようじゃ。」
兄が指差す方を見ると、今川軍の左翼から数十人が雄叫びを挙げながら突っ込んでくるのが見えた。
よく見ると、みな身長の倍くらいの長さの槍を持ち、鎧兜に身を固めた武士を中心にした小さな集団を作って進んでくるようだ。
甲冑姿の武士は普段馬に乗る身分だろうが、全員が徒歩で突撃してくる。
俺や新介の馬もそうだが、合戦が始まる前に降り、みんな小者に言いつけて後方で安全を確保させている。
追撃するときや敗走するときなど、いざ必要となる時まで傷つけないようにしているのだ。
矢が雨のように降り注ぐ中を高価な馬に乗って突撃する者など、そうそういない。
向かってくる敵に対して、たちまち尾張勢から放たれた矢が集中し、腕の部分などに矢が突き立ったりするが、ひるまずに進んでくる。
顔の部分などに当たれば、流石に動きが止まるが、軽傷ならばまた前進を再開する。
それは「勇猛」というより「蛮勇」といってよい光景だった。
矢では突進を止められないとみたか、織田軍から槍を構えて迎撃する者たちが進み出た。
後は乱戦である。
両軍から後に続けとばかりに男たちがわらわらと出てきて、そこら中で武器を振り回して戦っている。
その様子を見ていて、俺は刀で戦っている者があまりいないことに気づいた。
考えてみれば当たり前で、槍よりもリーチが短いので、野外の白兵戦では圧倒的に不利なのだ。
槍が折れてやむなく刀を抜いた者もいたが、たちまち討ち取られてしまっていた。
ましてや、キンキンと刀を打ち合わせてチャンバラをしている者など皆無である。
どちらも刀で戦っている者もいたが、お互い交えた刀を押し合うようにしていて、遠目には固まっているように見える。
遂には一方が押し勝ち、決着が着いたが、大きく肩で息をしていた。
あのままでは新手の敵との戦いは難しいだろう、と思う間もなく、槍で突き伏せられてしまったのが見えた。
「敵の三河衆や遠江衆は手強いが・・・やはり地の利がある分、織田勢を崩すところまではいかぬな。」
戦況を見ていた兄が冷静につぶやく。
東三河衆に岡崎衆の一部も加わっているらしい敵左翼の攻撃は激しかったが、坂を登っての不利な攻撃となるため、迎え撃つ織田勢が何とか食い止めているようだった。
劣勢の箇所には織田信秀の本陣から増援が送られており、突破される気配はない。
今回の道中で那古屋弥五郎に聞いた話では、織田信秀は尾張国で最も富強を誇っており、その富を活かして親衛隊である旗本衆の他に槍衆や弓衆をそれぞれ2,3百人は抱えているとのことだった。
本陣からの増援部隊はおそらくその者たちだろう。
それらの部隊は足軽と呼ばれる低い身分ではあるが、俺たちのような戦闘ごとに編成された寄せ集めの部隊ではなく常備軍であるため、信秀にとっては動かしやすい便利な存在であるという。
俺は全然攻めてくる様子のない正面の敵からついつい目を離し、戦場の反対側で行われているリアルの戦闘に目を奪われていた。
ちょうどその頃、正面の今川軍の後方に秘かに集まりつつある、敵の新手の存在にはまったく気づかなかった。
何やら敵陣に動きが・・・。
又介たちの運命やいかに!?