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第66.5話 金ヶ崎の退き口はそんなに激戦じゃなかった?

※ 本編にはあまり関係ないですので、興味がある方のみお読みください。


大田勇介マタスケ藤田吉郎ヨシローの対話コーナーの第67弾です。


今回のテーマは、金ヶ崎の退き口はそんなに激戦じゃなかった?です。


秀吉の出世の糸口になったとされる金ヶ崎の退き口についての考察です。

ナレーション

 さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「金ヶ崎の退き口はそんなに激戦じゃなかった?」です!!では、おふたり、お願いします。


藤田吉郎ヨシロー

 おっと、モロに俺と関係ある話やな?


大田勇介マタスケ

 せやな(笑)


ヨシロー

 確かに、今作やったらそんなに激戦って感じになってないけど、今までの作品ではどうやったん?


マタスケ

 これまでの小説や大河ドラマなんかでは、信長軍の敦賀・若狭からの撤退戦、いわゆる「金ヶ崎の退き口」はかなりの激戦やったとされてきた。特に最後尾で朝倉・浅井軍を食い止める役目を担った木下秀吉・明智光秀・徳川家康らの撤退戦は彼ら武将たちも命を落としかねないほどの苦戦をくぐりぬけ、ようやく京までの撤退に成功したっていう感じの描写がされていた。


ヨシロー

 今作とエライ違いやな。


マタスケ

 もちろん、撤退する際に追撃を受けて激戦になり、殿軍を務めた武将が討ち死にするケースは珍しくない。だから、「金ヶ崎の退き口」が激戦となった可能性は十分にある。ただ、筆者はその説を取ってない。


ヨシロー

 何で!?


マタスケ

 主な理由は次の2つや。

 ①『信長公記』に撤退戦が激戦となったとする記述がないこと。

 ②激戦で甚大な被害をこうむったはずの秀吉、光秀、家康の軍勢について、直後の軍事行動に大した影響がみられないこと。


ヨシロー

 ①はわかるけど・・・②について、もう少し詳しく!!


マタスケ

 「金ヶ崎の退き口」が伝えられているとおり激戦やったとしたら、殿軍を務めたとされる秀吉らの軍勢は甚大な被害をこうむってるはずや。部隊の大将にまで落命の危険があったとなれば、単純に死傷者がかなりの数にのぼっていたやろうし、少しでも逃げ足を早くするために食料や鎧などの防具、果ては武器まで捨てて逃げた者もいたはずや。おそらく、京へ帰り着いたころには追いはぎにでもあったような着の身着のままの状態の集団がバラバラに逃げてくるような感じになるやろう。となると、それ以降の軍事行動との整合性が取れん。


ヨシロー

 どういうこと?


マタスケ

 まず、そんな状態の集団は軍隊とは言えん。少なくとも失った武器などを整え直さなアカンし、失われた規律や指揮系統も復活させなアカン。戦闘組織として立て直しが急務になるんや。何より、重傷者や死者によって生じた欠員をどうにかせんといかん。手っ取り早く募集をかけて金で集めてくるにしても、元からの兵隊の装備を復旧する金もかかるから十分な数を集められるかはわからんし、そうやってかき集めた兵隊が即戦力になるとは限らん。おそらく完全な立て直しには少なくとも数ヶ月はかかるやろう。ところが・・・。


ヨシロー

 ところが?


マタスケ

 秀吉にしても家康にしても、わずか2ヶ月後には織田軍の一翼として戦争に参加してる。それもかの有名な「姉川の戦い」にな。そして、姉川の戦い以後も特に軍事行動に大きな停滞は見られない。これは南近江の確保のために動員された明智光秀についても言える。


ヨシロー

 つまり、ボロボロになって逃げ帰って来たはずやのに、すぐピンピンした状態で動き出してる。おかしない!?ってことか。


マタスケ

 そういうこと。だから、実際にはそれほどたいした戦闘は起きず、被害も少なかった。だからこそ、すぐに「姉川の戦い」を戦うことが可能やったんちゃうかっていうのが、筆者の説やな。


ヨシロー

 じゃあ、何で激戦やったって話が出てきたって思うんや?


マタスケ

 おそらくは「話を盛った」んやろな。無事に殿軍を務めるだけでも十分な手柄やけど、激戦の末に困難な撤退を成し遂げたってなれば、より「武勇伝」としての価値が上がる。何十年も経って、実際の撤退戦の様子がわからなくなってきてから、徐々に話が盛られてきたんちゃうかな。


ヨシロー

 何でそんなことになったと思うん?

 

マタスケ

 特に身分の固定がはじまった江戸時代以降のことになるけど、先祖の功績が子孫の繁栄につながる。先祖が有名な戦に参加し、しかも手柄を立てたとなれば、それが家の由緒となって子孫が家禄(給料)をもらう根拠となる。実際、「金ヶ崎の退き口」に徳川家康が関わっていたとするのは江戸時代に成立した『寛永諸家系図伝』や『徳川実紀』に初めてみえる話。実際にはたいした戦闘が起こらなかった撤退戦に、後からどんどん脚色していろんな人が関わって手柄を立てたことにし、それがまことしやかな説の根拠になったんちゃうかって筆者は考えてるわけや。


ヨシロー

 ふうん。けど、小説のファンタジー要素が減ってしまうのは残念な気もするな。


マタスケ

 ま、面白さはずいぶんと落ちるかもしれんけど、「史官」になろうとしている主人公の話やねんから、こういうこともあるわな。そぎ落とした部分をぜい肉と見るか、ごちそうと見るか。


ヨシロー

 これまたお堅いことで。


マタスケ

 物語を「()()」させないための工夫と言ってくれ。


ヨシロ―

 「()()」だけにか!?


ナレーション

 お後がよろしいようで。

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