第64.5話 朝倉攻めは不意打ちだった?
※ 本編にはあまり関係ないですので、興味がある方のみお読みください。
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第65弾です。
今回のテーマは、朝倉攻めは不意打ちだった?です。
京をおさえ、伊勢を平定した後に、なぜ信長が越前朝倉家を攻めたのかについての考察です。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「朝倉攻めは不意打ちだった?」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
第65話を見た感じ、朝倉家は攻められると思ってないみたいやな。
大田勇介
確かに朝倉家は敦賀郡において、これといって有効な防衛準備をしてる様子がない。ただ、攻められることを予想してなかったかどうかについては疑問が残る。
ヨシロー
どうして?
マタスケ
数万規模の軍勢、しかも朝倉家とは決して友好的とは言えない織田信長が率いる大軍が北上してくるという情報が入った時点で、普通に考えて朝倉家は警戒するはず。自分たちは攻められないと考える可能性は限りなく低いと思わられる。
ヨシロー
じゃあ、何で朝倉は敦賀郡を手薄にしたんや?
マタスケ
理由としては次の2つの説が考えられる。
①戦場が若狭国だけに限定されると考えたから。
②木ノ芽峠を防衛ラインとし、敦賀郡と敦賀郡司の朝倉景恒を切り捨てようとした。
ヨシロー
筆者の考えはどうなん?
マタスケ
どちらもありうるけど、両方正解でより②の方が動機として強いかなと考えてる。
ヨシロー
どういうこと?
マタスケ
まず①の説について考えてみると、若狭国は武田信玄の遠い親戚にあたる若狭武田家が代々守護を務める国やった。ところが若狭武田家は内紛を繰り返して衰退し、チャンスとみた朝倉家の侵攻を受けて事実上その支配下に入っていた。
ヨシロー
ふん、それで?
マタスケ
ここからは朝倉側の思考の話になるんやけど。当時の国主・武田元明は足利義昭の甥にあたるから、義昭は若狭武田家を復権させるために信長に出兵させたのだろう。となると、あくまで関係するのは若狭国やから、越前国まで戦火が飛び火する可能性は低い、ということになる。
ヨシロー
実際どうなん?
マタスケ
朝倉側がそう考えた可能性はある。信長は若狭国を確保すれば戦争の目的を達成できるから、それ以上攻めてこない可能性が高い、と。ただ、それ以外の可能性についても考えてたとは思う。
ヨシロー
つまり、②やな。
マタスケ
そう。木ノ芽峠を防衛ラインにして嶺北を守り抜くかわりに、敦賀郡は切り捨ててもかまわん、って考え方やな。防衛のしやすさを重視した考えやけど、筆者はそれだけやないと考える。
ヨシロー
どういう意味?
マタスケ
敦賀郡を治める敦賀郡司家は、有名な朝倉宗滴の家なんよ。宗滴は朝倉家の軍奉行と敦賀郡司を兼ね、若い当主・朝倉義景を助けて朝倉家の政治・軍事を主導していた。事実上の朝倉家当主と呼んでも過言ではないほどの権勢を誇っていた。そのせいもあってか、宗滴の死後、敦賀郡司家と当主・義景、義景の従兄弟で大野郡司の朝倉景鏡らとはうまくいってない。特に朝倉景鏡との仲は険悪で、重臣筆頭の地位を巡って敵対関係と言っていいくらいの間柄やったとされる。
ヨシロー
それって、敦賀郡司家が嫌われてたから、切り捨てられたってことか?
マタスケ
そういうこと。嫌いな敦賀郡司家を見殺しにして、守りやすい木ノ芽峠で守ろうとした可能性があるってことや。
ヨシロー
証拠はあんの!?
マタスケ
サボタージュの証拠となると、ハッキリしたものはない。ただ、足利義昭が亡命してきたときに、どっちが上位の席で迎えるかで敦賀郡司と大野郡司が争ったとする話や、加賀一向一揆との戦いの際に総大将を外された悔しさから敦賀郡司・朝倉景垙が自害した事件などが伝えられていることからみて、仲が悪かったのは確かやと思う。
ヨシロー
状況証拠ってやつか。
マタスケ
せやね。ただ、朝倉義景や景鏡の思惑はともかく、信長は嶺北にも兵を進める気マンマンやったから、朝倉軍全体としてみれば、有力な味方を見殺しにして自分の首を絞めただけやった。
ヨシロー
アホらしい話やな。好き嫌いで動いて、自分もピンチになってたら、世話ないわ。
マタスケ
ま、結果論やけどね。朝倉家内部の溝は浅くなくて、悪知恵を働かせた結果、浅ましい結果になった、と。
ヨシロー
今回はだいぶ被せてきたな。
ナレーション
お後がよろしいようで。