第62.5話 永禄12年当時の織田軍ってどんな感じ?
※ 本編にはあまり関係ないですので、興味がある方のみお読みください。
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第63弾です。
今回のテーマは、永禄12年当時の織田軍ってどんな感じ?です。
伊勢平定に乗り出した織田軍の構成についての考察です。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「永禄12年当時の織田軍ってどんな感じ?」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
織田軍の構成?何か難しそうな話やな。
大田勇介
美濃奪取と上洛戦の成果として織田軍の規模は大きく膨れ上がったはずなんやけど、実は『信長公記』でそれが最初に確認できるのが大河内城攻めの時なんよ。
ヨシロー
そう言えば、本文中でも長々と武将の名前が出てきたなあ・・・。
マタスケ
あれでも短くした方なんやけどな。出てきた名前を拾っていくと、やはり信長の出身国・尾張の武将が多い。丹羽長秀や柴田勝家、木下秀吉、佐久間信盛といった有名どころがズラッと並ぶ。それと、前田利家をはじめとする信長の側近たちも圧倒的に尾張出身者が多い。
ヨシロー
そりゃ、そうやろな。
マタスケ
あと、美濃出身者の名が意外に少ないことがわかる。しかも、元から美濃の領主やった者は西美濃三人衆(氏家卜全、稲葉一鉄、安藤守就)だけで、他は坂井政尚にしろ、森可成にしろ、不破光治にしろ、みんな信長に古くから仕えてきた者ばかり。
ヨシロー
それがどうしたん!?
マタスケ
最有力勢力である三人衆以外の領主は独立した部隊を率いる存在ではなかったと考えられる。おそらく西美濃の小領主たちは三人衆の、東美濃の領主たちは坂井や森の寄騎として参戦していたか、国元の防衛を任されていたと考えられる。
ヨシロー
それってホンマなん?
マタスケ
あくまで筆者の妄説や。けど、他国で一番最初に信長の支配下に入った美濃はそれだけ信長の統制力が及んでいたと考えられるから、部隊指揮官となった者だけが記録されたんやろうと思われるんや。
ヨシロー
ほんなら、他の国のヤツらはどうなん?
マタスケ
まず北近江の浅井家家臣・磯野員昌が参戦してるけど、これは浅井の援軍とみるのが妥当やろな。
ヨシロー
ほかには?
マタスケ
進藤、後藤、蒲生といった旧六角家の家臣たちが目につく。これは少なくとも南近江一帯が信長の支配下に入り、戦争に動員されるくらいの関係性ができてることを示している。
ヨシロー
南近江もかなり信長に統制されてるってことやな?
マタスケ
それが何とも言えん。
ヨシロー
何でや!?
マタスケ
彼らは南の山に陣取っていると記述されてるけど、表記の仕方を見ると、信長の弟・信包や重臣の丹羽長秀と一緒に名前が並んでいる。これを筆者は彼ら六角旧臣たちの独立性のあらわれと見る。
ヨシロー
南近江の連中が信長の弟や重臣と同格ってことか?
マタスケ
少なくとも独立して部隊を率いる存在としては、同格の存在と言っていいんじゃないかな。それだけ、信長の南近江領主に対する統制力は弱かったと考えられる。『信長公記』の書き方から、筆者はそういう結論に達したんや。
ヨシロー
そう言えば、北伊勢はどうなん?
マタスケ
見たところ、北伊勢の武将の名前は見当たらん。滝川一益あたりの寄騎として参戦していた可能性もあるけど、おそらくは多くが動員されなかったんじゃないか。
ヨシロー
何でそう思う?
マタスケ
信長は北伊勢のいくつかの勢力はつぶしたけど、俗に48家と呼ばれる領主たちのほとんどは温存されてる。となれば、南近江の武将と同様に独立部隊の長として記録されても不思議はない。にもかかわらず、全然記述がないんやから、ほとんど動員されんかったんやろ。長野家に入った信包は名前があるけど、信長の三男が養子に入った神戸家の名前が見当たらん。織田に関係の深い家がそうなんやから、他も推して知るべし、や。
ヨシロー
そないみると、信長軍の数は増えてそうやけど、信用できるのは尾張と美濃の兵隊だけやったんやな。
マタスケ
そう。この頃から織田は大軍を動員してるんやけど、内情はかなり弱々しい感じがするな。威勢(伊勢)はいいけど、足かせもいっぱいあって、負う身(近江)には辛いものがあるってとこやな。
ナレーション
お後がよろしいようで。