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第5話 初陣(前編)

いよいよ又介の初陣です。


長くなるので3話に分け、第5話は前編となります。

 1ヶ月後、俺は三河へ向かう尾張勢の中にいた。

 俺を含む清洲衆は、織田信秀への援軍として加わっている。

 信秀は敵対する岡崎松平氏を攻め、西三河を完全に支配下に置こうとたくらんでいた。


 信秀の三河侵攻が本気度を増したのは、今から3年前の天文13年(1544年)だ。

 この年、かつて松平氏の本拠だった、矢作川(やはぎがわ)西岸の安祥城(あんじょうじょう)が織田の手に落ちた。

 以後、信秀は次第に東に向かって勢力を広げつつあった。

 

 これに対して、尾張守護斯波義統は信秀を全面的に支持していた。

 信秀が東へ進んでいけば、かつての領国である遠江を取り戻してくれるかもしれない。

 遠江を諦めきれない斯波家は、三河への侵攻に言わばお墨付きを与えていた。

 そして、信秀も国内の他の勢力からの援軍を得るため、守護の権威を必要としていたのだった。


 今日の行軍の目的地は織田信秀が三河支配の拠点としている安祥城だ。

 清洲からはおよそ12里半(約50km)。


 俺たち清洲衆は昨日未明に出発し、途中古渡城(ふるわたりじょう)で総大将の織田信秀勢と合流し、途中の沓掛城(くつかけじょう)付近で一泊した。

 今日の夕方には安祥城に着く予定だ。

 安祥城に入った後は、岡崎松平氏の本拠、岡崎城へ攻め寄せる予定だった。


 安祥目指して人馬は整然と進む、と言いたいところだが、思い描いていた行軍風景との違いに昨日から戸惑い続きだ。

 さすがに近現代のグースステップの軍隊行進(足と手をピシッと伸ばし、高く上げて歩く行進)を思い描いていたわけではないけれど、時代劇で見たような整然とした行軍風景を予想していた俺は、現実との落差にびっくりした。


 まだ尾張国内を進んでいるからだろうか、とにかく私語がやかましい。

 調子外れの唄を歌うやつまでいて、規律のカケラもないように思える。


 夜はもっとひどい。


 数千の軍勢ともなると、沓掛城には入りきれなかった。

 さらに、付近の寺や民家などを宿として利用できるのは一部の上級武将たちだけだ。

 

 見通しの良い開けた場所を宿営地として素早く確保し、見張りを立てると、あとは車座になって宴会を始める、博打をうつ。

 そんな手合いがごろごろいる。


 酒は兵糧米から作る「どぶろく」で、これを後先考えずに作っては飲んでしまうので、腹を空かせているやつが珍しくない。

 まるでアル中の群れだ。


 博打うちはもっとひどい。

 熱中するあまり、鎧兜や刀、さらには着ているものまで賭けてすってしまい、ほとんど褌一丁になって、何しにやって来たかわからない風体になってしまったやつまでいる。


 軍勢の後ろにはどこからともなく商人の群れがくっついてきて、博打で巻き上げた品を買い取ったり、法外な高値で食べ物を売りつけたり(酒づくりで飢えてるやつが結構いるので意外と売れている)、果ては女の世話までする。

 そこかしこで夜通し、耳をふさぎたくなるような声があがっていたのはそのせいだ。


 とにかくやかましく、昨夜はろくに寝れやしなかった。

 

 出立前に兄の新介からは見苦しい振る舞いはするなと何度も言われていたが、言われるまでもなくこんな馬鹿騒ぎにはとても付き合い切れない。


 しかし、こんな無秩序な軍隊で本当に大丈夫なのだろうか。


 不安になった俺は、上司にあたる部隊長に疑問をぶつけずにはいられなかった。

 那古屋弥五郎という清洲勢の将のひとりで、30代半ばくらいの目鼻立ちの整った、渋いオジサマである。

 昔から俺たちの父和泉守に色々と世話になったとのことで、随分と親切にしてくれていた。


「那古屋様。兵たちがゆるみきっているように思われてなりません。このような有様で大丈夫なのでしょうか。」


「心配はいらぬ。最初から気を張っていては、戦場において気が萎えてしまう。また、酒や博打を禁じれば、かえって鬱屈した兵どもが刃傷沙汰に及ぶこともある。悪くすれば、軍が崩壊することもありうるのじゃ。弾正忠殿(織田信秀のこと)は戦巧者で鳴らしたお方でな、その辺りはよく心得られておられる。」


「では、このまま戦場に臨むわけではないということですね。」


「うむ。少なくとも安祥城に入るまでであろうな。それに、今も弾正忠殿は物見(敵がいないか周りを見に行く人のこと)をたくさん出し、警戒は怠っておられぬはず。皆が安心しておるのも、弾正忠殿の将としての力量のゆえじゃよ。」


「よくわかりました。」


 確かに、ちょっとしたケンカなどで軍が崩壊する、ということはいかにもありそうだった。


 俺自身を例にとってみると、俺が馬に乗っていて、乳兄弟の右近ら槍や弓をもって周囲を固める武士が5人いて、これら全てを合わせて「1騎」と数える。

 それだけではなく、俺の弓や鎧箱、煮炊きの道具を運んだり、馬のくつわ取りなどを行う「小者」と呼ばれる雑用係が6人いる。

 なお、小者の人数は行軍距離によって必要な人数が毎回変わり、国内での短期決戦ではもっと少ない人数の場合もあるそうだ。


 今回は兄の新介も伝兵衛をはじめとする同数を従えて加わっているので、太田家は総勢24人で参戦しているが、実際の戦闘要員は2騎、12人ということになる。


 ちなみに、戦闘員である武士は普段から太田家に仕える者たちだが、小者は領内の農村から臨時に招集した者だ。

 小者の選抜は村に任せているが、役に立たない者が来ても困るので、元気な若者や経験者を出すよう伝えている。


 村ではあらかじめ出す者を決めてあって、農家の次男坊や三男坊以下、あるいは各家で銭を出し合って雇った者などが触れに応じてやってきた。

 彼らは村では将来が保証されておらず、このままでは田畑も持てず、妻を迎えることもできない。

 この機会に何とか身を立てるきっかけをつかもうと、案外やる気満々の連中だ。


 こんな風に、家ごとの小さな部隊を集めて部隊が編成され、それらの部隊が集まって軍となっているので、近現代の軍隊とは全然中身が違う。

 構造上、同じ家中の者同士となる最小単位での繋がりは強いが、それ以上の大きな単位ではすぐバラバラになってしまう危険があるのだ。


 その日の夕刻、俺たちは予定通り安祥城にたどり着いた。

 沓掛城と同様、城内には全軍が入れるスペースがないため、俺たち清洲勢を含む一部は城外に昨夜と同様の宿営地を確保し、これまた同じように宴会や賭博場が開かれる次第となった。


 喧騒に辟易しながら、俺と新介は城内の軍議に参加した那古屋弥五郎の帰りを待っていた。

 明日からの攻城戦に向けて、何らかの指示があるはずだった。


 俺が事前に周囲から聞き込みをして集めた情報では、織田信秀は安祥城の東、矢作川までの支配を固めており、敵の岡崎城はそこからすぐだ。


 おそらく岡崎城主松平広忠(徳川家康の父)は籠城(城から出ず、守ること)するだろう、と尾張勢の誰もが予想していた。


 岡崎松平氏といえば、つい10年ほど前の天文4年(1535年)には広忠の父清康が三河国のほとんどを切り従え、尾張国に攻め込むほどの勢力を誇っていた。

 だが、陣中で清康が暗殺されると、以後の岡崎松平氏の勢力はものすごい勢いで落ちていった。

 

 幼い後継者広忠は、一時岡崎城を織田信秀の義兄弟(妻同士が姉妹)にあたる大叔父の松平信定に乗っ取られ、駿河の今川氏の援助を受けてようやく復帰できる有様だった。

 広忠が当主の地位を確かなものにしたのはつい4,5年ほど前に過ぎない。

 

 その後も転落が続き、安祥城を奪われたばかりか、すでに岡崎城の南の上和田を治める松平忠倫ら松平分家の一部は信秀に味方している。

 それだけではなく、織田信秀の勢力は岡崎城の東、三河山地以西の地域にも伸び、乙川の南岸・北岸にそれぞれ作岡砦と大平砦を築いて東三河との連絡を断ち切り、岡崎松平氏は事実上孤立しているのだ。


 辰の刻(午後8時)ごろ、弥五郎が帰ってきて、俺と新介は呼び出しを受けた。

 弥五郎の陣所には他の清洲勢の将たちが続々と集まってくる。

 

 皆が揃うと、弥五郎が口を開いた。


「明朝我らはこの地を出立し、岡崎城の南東、小豆坂へと向かう。小豆坂において今川軍を迎え撃つ。」


「今川軍でございますか!?岡崎へ向かうのではございませんので?」


「うむ。今川軍が作岡の砦を破り、小豆坂前面の正田原に達したそうじゃ。急を聞いて安祥城から発した弾正忠殿の手勢が先に小豆坂へ陣取ったため、今川勢は正田原に砦を築いているらしい。ただ、小豆坂の味方は小勢のため援軍を求めてきている。」


「とすると、今川は大軍でございましょうか。」


「今のところは三河衆と遠江衆の一部の姿しか見えぬようだ。だが、岡崎城の救援に向かっていることは明らかゆえ、これからどんどん数を増してこよう。」


「岡崎城攻めはどうなさるので!?」


「いまは捨て置くとのことじゃ。おそらく今の岡崎城から出せる兵は1千程度であろう。周囲はすでに我が方に囲まれておるゆえ、松平広忠は下手に動けまいとのご判断じゃ。」


 明日からの攻城戦についての通達があるものと考えていたところに今川軍の接近を告げられ、みな緊張が隠せない様子だった。


「明日は夜明けとともに進軍を開始する。そのつもりで準備をしてくだされ。」


 那古屋弥五郎が最後にもう一度念押しし、諸将がそれぞれの陣所に引き取っていく。

 

 俺も新介とともに帰陣し、明日に備えて眠ることにした。

 

 昨日あれほど気になった宿営地の騒がしさは、不思議と気にならなくなっていた。

 それよりも、著名な合戦に参戦できることに興奮を覚えていた。


(自分の初陣があの小豆坂の戦いになるなんてな。あの戦いの実態は諸説入り乱れてて、よくわからなかったはず。せっかく参加できるんやから、たくさん記録をつけねば!)


 後から思えば、合戦を観戦しに行くような気持ちで臨んでしまったことが、俺の初陣を後味の悪いものにしたような気がしてならない。


 ……………………………………………………………


※小豆坂の戦いの行軍図と関係図を追記しました。


☆行軍図

挿絵(By みてみん)


☆関係図

挿絵(By みてみん)

今回から物語が本格的に史実と絡み始めました。


それに伴って、筆者の独自解釈も幾つか入っております。


ふーん、こんな考え方もあるんだ、と気楽に読んでいただければ嬉しいです。


次回はいよいよ小豆坂の戦いです。


これに参加させるために牛一の出家期間をちまちま調整しておりました。


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