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第54話 開運

 永禄10年(1567年)8月、織田信長の前途は一気に開けた。


 長年手が届かなかった美濃の稲葉山城を奪取し、国主・一色龍興を伊勢へ逐った。

 これにより、濃尾平野のほぼ全域が織田信長の支配下に入ることになり、一気に有力大名の仲間入りを果たした。


 また、尾張国西部の海西郡や北伊勢方面でも進展があった。


 かねてから信長は、美濃攻撃と並行して七弟の織田信興と滝川一益に河内(海西郡)の服部友貞への攻撃を命じていた。

 伊勢国長島の一向宗勢力と手を結んで強靭な抵抗を見せる服部党に対し、一益らは徐々に優勢となり、服部党が根城とする輪中に小木江城などの拠点を設けていた。


 稲葉山城攻めの前、春ごろからいよいよ伊勢に侵攻を開始し、まず伊勢国で最も北東部に位置する桑名郡に乱入していた。

 信長が美濃を制圧したころには、一益らも長島周辺を除く桑名郡をほぼ勢力下に置くことに成功していた。


 さらに、美濃から逃れた一色龍興を追って信長も伊勢に入り、員弁(いなべ)郡に軍を進めた。

 龍興は長島に逃げ込んでいたが、信長はそちらへは目もくれず、領土の切り取りに走ったのだ。


 それにしても、チャンスと見れば駆け出すように動く信長の行動力は尋常ではない。

 美濃を取って1ヶ月足らずで北伊勢に出兵するのだから。

 普通ならば占領地の不安定さを憂え、踏み切れないだろう。


 もちろん、信長とて美濃の状況が気にならないわけではない。

 今回の伊勢への親征は十分な準備がされたわけでもなく、小手調べの意味合いが強かった。

 一当たりして簡単に引きあげたが、小勢力が割拠する北伊勢を組し易しと見たに違いない。


 伊勢は尾張と同じく伊勢湾に面する国で、言わば同じ経済圏に属する。

 伊勢国を押さえれば、この巨大な経済圏が信長のものとなる。

 伊勢湾交易で潤う熱田や津島から上がる「商業税」が織田家の重要な収入源となっているが、より莫大な収益が期待できるのだ。


 美濃帰還後も、信長の精力的な活動は続いた。


 まずは戦後処理として寺社や各村への禁制(きんぜい)(軍隊の立ち入り禁止を認めた文書)を大量に発給(はっきゅう)(発行)し、占領地の安定を図った。


 それが一通り落ち着くと、今度は安堵(あんど)状(土地などのこれまでの権利の保持を認める文書)の発給だ。

 美濃を支配していた政権が滅び、新しい政権が成立したのだから、権利関係も大きく変化を余儀なくされる。

 美濃の領主たちは新たに織田家と「主従契約」を結ぶ必要があるのだ。


 こうして美濃の新国主として忙しい信長だったが、俺たち配下の者たちも目が回るような忙しさだった。


 いきなり美濃攻めに動員されたかと思えば、休む間もなく伊勢出兵に従軍。

 1ヶ月足らずで帰ってきたら、待っていたのは書類の山だ。

 美濃国内各所に向けた禁制、安堵状、その他の書状。


 当初は信長の記録係兼ボディーガードの役割しか与えられなかった俺も、寺育ちで文章が書けることから行政文書の草案づくりの仕事を与えられるようになった。

 松井友閑や村井貞勝といった、歴史上そこそこ有名な人たちと机を並べ、黙々と筆を走らせる。


 この時代にはパソコンやワープロなんてないから、全部毛筆で手書きしなければならない。

 書札礼(しょさつれい)という書状の書き方に従い、ミミズがうねったような草書体で書いていく。


 そうして出来上がった文書に信長が花押を据えて、初めて効力が発生する。


 ただ、政治的に重要な文書には重臣の副署が必要となる。

 例えば、文書の案件の担当重臣や織田家の官房長官みたいな位置づけにある、筆頭家老の林秀貞に署名をもらわなければ有効にならない。


 忙しい重臣や主君・信長に「決裁」を仰ぐのも思ったより時間がかかり、骨が折れる。

 特に信長が据える花押はとんでもない数にのぼり、彼がどんなに超人的でも滞りが生じがちだった。


「又介、どうじゃ!?」


 ある日、信長が得意そうに見せてくれたのは、小さな丸いハンコだった。


「これは・・・?」


 俺が不思議そうな顔をしていると、信長はいたずらっ子のような笑顔を見せ、紙に捺して見せた。


「天、下、布、武でございますか。えっ、天下布武?」


「そうじゃ。わしは今に京へのぼり、五畿内を我が手におさめてみせる。その決意を知らしめるのに、以後文にはこれを捺す。それに、花押は面倒ゆえな。」


 たしかに、花押を一枚一枚据えるのは大変だが、かわりにハンコをペタンと押すようにすれば、時間も手間も大幅に軽減できる。

 別に信長の独創ではなく、既に東国では広く使われているらしい。

 ちなみに、小田原北条家の朱印は捺すと虎の絵が浮かび上がるため、「虎の印判」と呼ばれているそうだ。


(それにしても、このタイミングで「天下布武」の印判使うんか。天下に武を()くって、武力で天下取るってことやろ?そんな物騒な意思表示を信長がしてたのは、うっすら前世の記憶あるけど、こんな早い時期やったとは・・・。ん、まてよ!?)


「天下とは、畿内のことでしょうか?それとも、日本(ひのもと)のことでしょうか?」


「無論、畿内じゃ。しかし、日本か。又介は面白いことを言いおる。畿内を得、日本を望む、か。」


(とすると、現時点では近畿の支配は狙ってても、日本全体は視野に入っていないらしい。現実主義者の信長らしいと言えばらしい目標設定やな。)


「おお、それと又介。そちが以前に申した浅井との同盟じゃが、いよいよ成りそうじゃ。今は妹の市の輿入れ(嫁がせること)の日取りをまとめさせておる。」


「それはおめでとうございます。」


 美濃を攻めるために構想した浅井家との同盟だが、残念ながら美濃攻略前に結実することはなかった。

 だが、一色龍興も浅井家との同盟を模索していたため、その牽制にはなっていた。


 信長が東美濃で優勢となると、浅井家は美濃への侵攻を行うようになり、一色家を共通の敵として関係は悪くなかった。

 信長は正式な同盟関係を望み、妹のお市を浅井家の当主・浅井長政に嫁がせようとしていたのだ。


「うむ。この岐阜を足がかりに、我が運はさらに開けようぞ!」


「岐阜、でございますか?」


「そうじゃ。新たに我が町をつくるにあたり、わしが選んだ名じゃ。良い名であろう?」


 聞けば、政秀寺の住職・沢彦に町の名を考えさせ、出てきた「岐山」「岐陽」「岐阜」の3つの候補のなかから信長が岐阜を選んだらしい。


 沢彦は城のある稲葉山(金華山)を中国の周王朝発祥の地・岐山に見立て、それにちなんだ名を用意したのだ。

 ちなみに、岐山はそのまんま、岐阜は山を阜(丘)に置き換えたもの、岐陽は岐山の南の町を意味する。


 信長はその由来を聞き、最も独自色が強い岐阜を選んだらしい。


「わしは岐阜の町を「楽市楽座」にするつもりじゃ。」


「楽市楽座?」


「うむ。岐阜の町では誰もが市(市場)に店を出せ(楽市)、座(商業組合)を通さず商いができる(楽座)のじゃ。商人が諸方より集い、焼けた町もみるみる立ち直ろうぞ!」


 稲葉山城の城下町・井口を焼き、壊滅状態にしてしまったのは信長自身だ。

 信長は手っ取り早く町を復興させるため、井口の町にあった特権や取り決めを白紙にし、権利関係の自由な新たな町として岐阜の町をつくっていこうと構想していたのだ。


 信長の思惑どおり、焼け野原からスタートした岐阜の城下町は急速に人が集まり、建物が建てる(つち)の音が至るところで聞こえだした。

 岐阜は織田家の新たな首都としての体裁をしだいに整えていった。

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