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第52話 奮戦

 近隣の城が信長に降っても、猿啄城主・多治見修理は態度を変えなかった。

 織田方の誘いに応じず、一色家に属し続けたのだ。


 伊木山城に陣を構えていた信長は猿啄城の調略を諦め、武力による攻略に切り換えることにした。

 信長軍の先鋒を受け持ったのは、最近売り出し中の丹羽長秀だった。


 長秀は東美濃の取次を行ってきたことから、猿啄城の地形には通じていた。


 猿啄城は木曽川を挟んで向かい合う山の一方に築かれ、周囲には広い平地がないため、大軍で攻めるには不向きな城だった。

 城の前面を流れる木曽川の流れはかなり早い。

 城の背後は尾根伝いに山が続き、隙間なく包囲することも難しかった。

 長期戦に持ち込むにしても、どの程度の期間を要するかもわからない。


 長秀は作戦を練りに練り、ついにひとつの結論を導きだした。


「やはり、大ぼて山じゃな。かの山をとり、逆落としに攻めるしかあるまい。」


 猿啄城の背後に「大ぼて山」という変わった名前の山がある。

 この山は猿啄城の補給路のひとつであり、さらにはいざというときの脱出路でもあった。

 大ぼて山をとれば、城ののど首を押さえたも同然であり、上下から城を攻撃することができる。


 ただ、その攻撃は簡単ではない。

 ろくな道もない険しい山中に分け入り、足元も視界も悪い条件のなかで敵の抵抗を排除しなければならないのだ。

 どれだけの犠牲を払うことになるのか、本当に成功するのか見当もつかない。


 だが、長秀はこの作戦に賭けた。


 木曽川河畔から信長本軍が攻撃を開始し、城の水汲み場を狙ったのを言わば陽動(ようどう)(おとり)とし、長秀は山を分け入って大ぼて山へと向かった。


 幸い、守備兵不足のためか前面の信長を警戒してかわからないが、大ぼて山方面の敵勢はわずかだった。

 苦労して山に登った長秀の手勢は短時間の戦闘で敵を追い散らし、大ぼて山を占拠した。


 にわかに裏手の山に現れた丹羽勢を見て、多治見修理をはじめとする猿啄城の将兵は大いに驚いた。

 既に麓からは信長軍の本軍が攻め寄せ、水の手(水源地)を押さえられたところだった。


 城内には雨水を溜めた水がめはいくつもあり、たちどころに飲み水に困る心配はなかったが、城の背後に通じる補給路を失ったのは大きな痛手だった。

 ここを使って水を手に入れるプランも使えなくなったからだ。


 持久戦の大前提となる安定した飲料水の確保ができなくなったうえ、上下から攻められる状況下に、城主・多治見修理は心くじけた。

 信長に降伏を申し入れ、城を明け渡して退去することとなった。


 猿啄城が落ちたことで、犬山周辺の木曽川は織田家の支配下に入った。


 ……………………………………………………………


 一方、徐々に信長の侵略を許す立場となった美濃・一色家では、焦りが生じつつあった。

 前君主の義龍が若死にし、まだ年端もいかぬ龍興が後継者となったことで、指導力の低下は隠せない。


 一色家の混乱のなかで、龍興のかわりに東美濃方面の総責任者と言うべき地位にあった長井隼人佐(はやとのすけ)道利は、反撃の有効な手が打てなかった。

 犬山城が落ちたあと、またたく間に木曽川沿岸の地域を奪われ、まるでなすすべもないといった状況だった。


 永禄7年(1564年)9月、道利は遅まきながら、織田軍への反撃を試みた。

 道利が狙ったのは、織田家の勢力圏のなかで最北端に突出した形になっている加治田城だった。

 美濃で真っ先に信長に味方した佐藤紀伊守・右近右衛門父子の城だ。


 長井道利は、攻撃の拠点として加治田城の南方25町(約2.7km)の堂洞(どうほら)に砦を取り、岸勘解由左衛門を配置した。

 また、猿啄城から逃れてきた多治見衆を堂洞城に入れ、戦力を強化した。


 その上で、道利は鍛治職人で有名な居城・関城(せきじょう)を出て、東に50町(約5.5km)のところに軍を進め、本陣を置いた。


 ……………………………………………………………


 加治田城からの救援要請は、ただちに信長のもとへ届いた。


「長井隼人めが加治田へ寄せる前に、堂洞をたたく。出陣じゃ!」


 いつもながら、信長の反応は早かった。


 9月28日、俺たち信長軍は伊木山の本陣をたち、堂洞城に急行した。

 そして、城を包囲して攻撃を開始した。


 堂洞城は三方を谷に囲まれ、唯一東側だけ丘が続いていた。

 長井道利が戦局の挽回のために選んだ土地なだけあって、なかなかの要害だった。


 信長は城の周りを馬で駆け回り、その地形をつぶさに調べた。

 俺も馬廻たちとともにお供をし、偵察に加わった。


 城の周りは三方が谷とは言え、城のそばまで寄せていくことはできる。

 だが、周囲には塀が巡らされていて、谷から高台にある城へ攻め上がるのは困難が予想された。


(ここは唯一高さが変わらない東から丘伝いに攻めるべきか。いやいや、それは敵も予想してるはず。谷側にも兵を割き、一斉に攻め込むべきか。)


 俺が色々と考えを巡らせていると、信長の声が響いた。


「みな松明をつくり、塀ぎわまで寄せ、四方から投げ入れよ!!」


 その声を聞いて、俺はう〜むと唸ってしまった。


 たしかにこの日は風が強く吹き、空気も乾燥していた。

 火攻めにはもってこいの日和だ。


(思いつかんかった・・・。やっぱ、俺に武将は無理やな。俺が戦で役立つとしたら、弓くらいのもんやわ。)


 信長は長井道利の軍勢に対する押さえの兵数百を残し、残る全軍1千足らずで城攻めを開始した。

 命令通り無数の松明が投げ入れられ、たちまち城の二の丸は猛火に包まれた。


 やがて城兵たちは焼き崩れた二の丸を捨て、本丸に立て籠った。

 たいした被害もなく二の丸を奪取したことで、信長軍の勢いは天を衝くばかりだ。

 馬廻や小姓たちが先を争って本丸に取り付いていく。


(信長の作戦、バッチリ当たったなぁ。この様子なら、今日中にカタがつくかも。)


 どこか傍観者のように戦場を進む俺の目に、高い建物が飛び込んできた。

 焼け残った二の丸入り口の櫓だった。


(ここや!!ここからなら、本丸の敵にも矢が届く!)


 櫓によじ登ると、案の定、眼下に敵味方がハッキリと見えた。

 俺はよく敵を見定め、遠矢を射かけた。

 かつてない境地に達したものか、俺の放つ矢は一本のムダもなく、すべて敵に吸い込まれていく。


 俺の働きは信長の目にもとまったらしく、「又介の働き、小気味よし!」と3度も使者をつかわして褒めてくれた。


 あっさりカタがつくかに見えた城攻めだが、本丸に引きこもった敵の抵抗は頑強で、その死にものぐるいの奮戦ぶりに、信長軍の被害も続出した。


 午の刻(正午ごろ)から始まった攻撃は、酉の刻(午後6時ごろ)にようやく佳境を迎えた。

 最初に本丸に突入した河尻秀隆、次いで突入した丹羽長秀の手勢によってようやく城は制圧され、敵の大将格はみな討ち果たされた。


 何とか日が暮れるまでには終わったが、緒戦の調子良さを考えれば、ウソのような激戦だった。


 夜、信長は加治田城に佐藤父子を訪ね、その忠義を称えた。

 その日はそのまま息子・右近右衛門の屋敷に泊まり、身をもって父子への信頼を示した。

 佐藤父子は言葉もなく、ただ感激の涙を流した。


 翌29日、信長は堂洞城下の町で首実験を行い、特に河尻秀隆の先陣の功を認めて、奪い取った猿啄城の城主とした。

 俺も称賛の言葉とともに加増(領地が増えること)を受けた。


 だが、好事魔多しとはこのことか。


 引きあげにかかった頃、井口(いのくち)(稲葉山城の城下町)からの援軍を加え、3千ほどにふくれ上がった美濃勢が押し寄せてきた。

 前日、堂洞城を攻められながら、長井道利が援軍を出さなかったのは、これを待っていたのだろう。


 昨日の激戦の結果、こちらの稼働戦力はわすがに7,8百に過ぎず、帰心に染まっていたこともあって、最初から押されまくった。

 多数の負傷者・死者を出しながら、南に向かって退却し、広い野原に出た。


 信長は自ら馬を駆って味方を鼓舞し、立て直しを図った。

 いつもながら、落ち着いた振る舞いだった。

 主君が泰然と振る舞うのを見て、浮き足だった信長軍の将兵も落ち着きを取り戻した。


 信長はまず戦力とならない負傷者や小者(雑用係の使用人)を後方に移すと、追撃してくる敵に備え、長柄の槍を構えた足軽を前面に出して備えさせた。


 やがて騎馬武者を先頭に立てて美濃勢が追撃してきたが、今度は意気が違う。

 正面からぶつかり、跳ね返した。

 さすがに広々とした戦場では織田軍は強い。


 攻めあぐねた敵は、割とあっさり引きあげていった。

 後で聞いた話では、敵のなかには前日の堂洞城攻撃中に後ろから襲っていれば、もっと簡単に勝てたはずだったと悔やむ者が多かったらしい。


 美濃勢が戦を投げ、退却したことで、信長はやすやすと軍を撤退させた。


 東美濃の攻略は順調に進んでいるが、一色家の底力も侮れないと実感させられた戦役だった。


 ……………………………………………………………


 ※犬山城攻略から堂洞城攻めまでの状況を図解しました。


 ☆東美濃関係図(犬山城攻め~堂洞城攻め)

挿絵(By みてみん)

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