第51話 羨望
「はぁ〜、なかなかうまくいかんわ。美濃衆に粉かけても、木下?誰それ?やからな・・・!」
俺の家にやって来て、美濃国の地侍(小さな領主)への調略(敵の一員を味方に誘うこと)の不調を嘆いているのは、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉)だ。
その中身は俺と同じく戦国の世に転生した、俺の幼なじみである藤田吉郎だ。
秀吉は普請奉行(工事の現場監督)や台所奉行(経理責任者)として評価をされてはいたが、今のところ対外的な知名度は全然なかった。
低い身分の出で戦場での目立った武勲もないのだから、これは仕方がないだろう。
結果、これはと目をつけた敵の地侍に織田家へ味方するよう働きかけにいっても、全然取り合ってもらえないのだ。
本当に信長の家臣なのか疑われるケースまであるそうだ。
「最近じゃ、丹羽様が日の出の勢いってやつよ。俺がやりたいこと、全部丹羽様にやられてる感じや!」
俺は丹羽長秀のことを思い浮かべた。
確かにこのところ、織田家中では丹羽五郎左衛門長秀の存在感が増していた。
長秀は元々信長が10代の頃から小姓を務めていた男で、信長にとっては古くから馴染みのある部下だ。
頑固な一面はあるが常に落ち着いていて、クセのない性格だった。
目立った特殊能力があるわけではないが、何をやらせてもソツなくこなし、いつも平均点以上を出すイメージだ。
一緒に仕事をするなら、こういう人がいいなぁと思わせてくれる存在だった。
本人は地味で堅実な人柄だが、このところの成果は華々しい。
長秀は小牧山築城の総責任者を命じられたばかりか、東美濃方面の取次(外交責任者)のような位置を占めていた。
永禄6年(1563年)7月に小牧山城への移転が完了したあと、犬山方の大物ふたりが丹羽長秀を通じて寝返りを申し出てきた。
そのふたりとは黒田城主・和田定利と於久地城主だった中島豊後守であり、犬山城の家老でもあった。
そんな大物たちが信長に味方するというのだから、犬山城はガタガタになったも同然だった。
長秀はさっそく信長の了解を得ると、和田・中島の手引きで犬山城へ攻め込み、城の周囲を焼き払ってはだか城にしてしまった。
さらに城の周囲に鹿垣を二重三重に張り巡らせ、厳しい警戒態勢を取って包囲を開始した。
こうなっては、犬山の落城は時間の問題だ。
となると、さらなる寝返りの連鎖が起こって当然だった。
犬山城の包囲が続くなか、犬山の北を流れる木曽川から北へ5里(約20km)離れた加治田城主・佐藤紀伊守、右近右衛門父子が美濃・犬山方に見切りをつけた。
信長に臣従する意思を固めたのだ。
佐藤父子は岸良沢という人物を使者として送った。
良沢が向かったのは、またも丹羽長秀のところだった。
さっそく長秀は良沢を信長に目通りさせた。
「以後は上総介様をただ一筋に頼りといたしまする。なにとぞ、よしなにおはからいくださいませ。」
良沢が主君・佐藤父子の言葉を伝えると、信長はとても喜んだ。
東美濃へ勢力をのばすため、美濃国内に味方を得たいと願っていた信長にとって、待ち望んだ味方が現れたのだ。
「まず兵糧を集め、蔵に蓄えおくべし。」
信長は金50枚を良沢に渡し、佐藤父子に贈った。
加治田城は東美濃における信長方のクサビとなり、長秀は大いに面目をほどこした。
以上の活躍は、まさに秀吉がやろうとしている仕事そのものだ。
「前世の飛び込み営業でも、もうちょい上手くいってたし。なかなか結果が出んのも、なんだかな〜って感じやわ。つーか、秀吉が知名度で負けてるのも納得できん。」
珍しく弱気な秀吉に対し、俺は励ました。
「現代やったら丹羽長秀を知らん人はおっても、豊臣秀吉を知らん人はほとんどおらんよ!今のところは丹羽長秀の方が信用も知名度もあるかも知れんけど、このまま頑張ったらそのうち逆転できるって!!」
「・・・せやな!落ち込むヒマがあったら、一件でも多く営業に回らんとな。ヨメさんのためにも頑張らなアカンな。」
「そうやで。せっかくあんな可愛らしい奥さんもらってんから、頑張らな!!」
秀吉の奥さんとはもちろん、かの有名なねねさんだ。
3年前の永禄4年(1561年)8月に結婚し、俺も結婚式に招待された。
ビックリしたのが、普段住んでる長屋が会場で、ワラと粗末な敷物が敷かれただけで何の装飾もなく、全然晴れの舞台には似つかわしくなかったことだ。
ねねさんの実母があまりこの結婚に乗り気じゃなかったらしく、ささやかな結婚式となったらしい。
そんなシチュエーションでも、この時代には珍しい恋愛結婚を成就させたふたりは幸せそうだった。
ねねさんはクリクリとよく動く黒い瞳が印象的な可愛らしい女性で、よくしゃべり、よく笑う。
秀吉ともずっと陽気にしゃべり倒し、何かの拍子に盛大な夫婦喧嘩をしたかと思えば、次の瞬間にはふたりで大笑いしている。
いつも底抜けに明るい木下家は、俺にとって楽しい息抜きの場となっていた。
ちなみに、秀吉とねねさんは10歳離れていて、結婚当初のねねさんは14歳でしかなかった。
現代に置き換えると、中学生と結婚したことになる。
「オイオイ、犯罪ちゃうんか!?」と俺がツッコむと、秀吉は「郷に入っては郷に従えって言うやん?」などとトボけていたものだ。
「そうそう、これから「営業」しに行くんやったら、犬山の対岸にある木曽川沿いの城がええんちゃう?犬山城もボチボチ落ちそうやし、加治田城の寝返りで動揺してるやろうし。」
「おう、さすがマタスケやな。それならターゲットは宇留摩城(鵜沼城)とか猿啄城やな。さっそく今から行ってくるわ!!」
さすがにフットワークが軽い。
秀吉は手早く変装すると、そのまま美濃へ「営業」に行ってしまった。
しばらく後、ついに犬山城が落ちた。
犬山城主・織田信清は城を捨てて逃亡し、甲斐国まで逃れて武田信玄に身を寄せた。
犬山城を手に入れた信長は、木曽川対岸の伊木山に美濃攻略の拠点となる出城を築きはじめた。
この伊木山城が機能しはじめると、北東約10町(約1.1km)に位置する宇留摩城や同じく15町離れた猿啄城は、常に見下ろされることになる。
宇留摩城主・大沢基康は抗戦を諦め、織田家に降参することにした。
大沢がコンタクトを取ったのは、顔なじみとなっていた木下秀吉だった。
初めて秀吉が対外的な成果を出した瞬間だった。
地道な「営業活動」が実ったと言えるだろう。
また、秀吉がかねてから誘いをかけていた松倉城主・坪内利定も、秀吉を通じて信長に味方することになった。
加治田城と宇留摩城が織田についたことにより、ついに秀吉の勧誘に応じたのだった。
相変わらず丹羽長秀の実績の方が大きいが、秀吉も確かな功績をあげ、信長からの信頼を勝ち得ていた。
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※犬山城攻略前後の状況を図解しました。
☆犬山城攻城関係図




