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第50話 転機

 永禄5年(1562年)1月15日、信長の居城・清洲城に大物の訪問があった。

 岡崎城主・松平家康、後の徳川家康だ。


 信長と家康は2年前の桶狭間の戦い直後から同盟を模索し、家康の母方の実家・水野家を仲介として水面下で交渉を持っていた。

 トップ同士は早くから停戦と同盟の意思を互いに確認していたが、長年敵対してきた両家の溝はなかなか埋まらなかった。


 そして、この日ようやく正式な同盟締結にこぎつけたのだ。


「清洲同盟」の成立という歴史的な場面に、俺は片隅ながら居合わせることができた。

 もっとも、目の前で展開された光景は、思い描いていたものとは随分と違い、俺は終始戸惑っていた。


 現代の外交と違い、華やかなセレモニーや仰々しい協定書、フラッシュが眩しい記者会見なんかはない。

 ただ、トップ2人が会見し、和やかに話しているだけに見える。


「お久しゅうございますなぁ。昔はよく遠乗りに連れて行っていただきましたな。ほんに懐かしい。」


「うむ。あの時の(わっぱ)と、かように再び(まみ)えようとはな。」


 病院の待合室のおじいちゃんみたいな昔話をしているのが、かの有名な織田信長と徳川家康なのだ。

 しかも、これが「清洲同盟」締結のための会見なのだから、拍子抜けしてしまう。

 家康はかつて尾張で人質生活を送っていたことがあり、その頃に信長と親交があったらしいが、もっと政治的な話ばかりすると思ってた。


 ひとしきり昔話に花が咲いたあと、ようやく今後の両家について話題が移った。

 両家が同盟関係にあることが確認され、将来信長に娘が生まれたら、2年前に生まれたばかりの家康の長男・竹千代(後の徳川信康)に嫁がせることなども話題にのぼった。


 こうして両家の同盟は公式に成立し、水野家を加えた三家が共同歩調を取ることになった。


 会見の間、俺はひたすら家康の様子を観察していた。


 言わずと知れた戦国の三英傑のひとり。

 戦国時代を終わらせ、江戸時代を切り開いた英雄だ。

 いったいどんな男なのか。


 俺の目に映った家康は、歳の割には落ち着いた、いかにも思慮深そうな若者だった。

 織田の家臣たちに対しても腰が低く、織田家中での評判は上々だった。


 苦労人らしく、若年ながら人格も練られた好青年。

 俺が感じた家康像はそういったものだった。


 だが、家康の腰の低さは、単なる性格だけで片づけられるものではないだろう。

 今川家から独立したばかりの家康の勢力基盤はとても弱く、織田家との同盟は切実な願いだったはずだ。


 このような状況では、同盟関係は対等ではありえない。

「清洲同盟」が最初からアンバランスな同盟だと、俺は実感していた。


 ……………………………………………………………


 永禄5年(1562年)は犬山勢との小競り合いに明け暮れた1年だった。

 美濃と手を結んだ犬山城主・織田信清の勢力は侮りがたく、一気に打ち破ることはできなかった。


 それでも信長は優勢に戦いを進め、戦線を徐々に北へ押し上げていった。


 そんななか、信長は大勢の供回りを連れ、二宮山に登った。二宮山は清洲城の北東6里(約24km)、犬山城の南東2里(約8km)に位置していた。

 ここを身軽に訪問できるということは、それだけ信長の勢力が犬山勢を押し込んでいることを示していた。


 また、ここには尾張国の二宮(尾張国で二番目に権威ある神社)があり、その建物を利用すれば簡単に要塞化が可能と見込まれた。


 二宮山に出城でもつくるのだろう。

 そして、今日はその下見であろう。

 そう考えていた織田家臣たちは、信長の言葉に仰天した。


「近々、清洲よりここへ移転いたす。皆もここへ屋敷を移せ。」


 言うが早いか、ここの峰は誰、あそこの谷は誰が屋敷をつくれ、などと家臣の屋敷地の割り振りを始めた。


 その日のうちには終わらず、一旦清洲に帰ったが、後日また出かけていき、残りの家臣の屋敷についても割り振りを命じた。


 どうやら信長が本当に本拠地を丸々移転する気だとわかり、家中は騒然となった。


「何ゆえ、さような山中に引っ越さねばならぬのか・・・。」


「せっかく清洲での暮らしにも慣れたというに、難儀なことじゃ。」


 身分の上下を問わず、誰もが迷惑がった。

 それでも、主君の命令とあれば、従わなければならない。


 皆が渋々準備を始めたころ、今度は別の命令が下された。

 信長が二宮山への移転をやめ、小牧山へ移ると言い出したのだ。


「聞いたか?小牧山へお移りになると言うぞ!?」


「おうよ!小牧なれば、川を使って家財も運べよう。ありがたいことじゃ。」


 みな、引っ越し先が小牧山へ変わったことを喜び、先を争うように与えられた敷地に屋敷を建て、移転を開始した。


「どうじゃ、又介。我が策、当たったであろうが!?」


 小牧山城や城を取り巻く家臣たちの屋敷の普請現場を視察しながら、信長が得意そうに俺へ語りかけてきた。

 それを聞き、俺は以前信長が意味ありげに何かを思いついたと話していたことを思い出した。


(なるほど。最初から小牧山に移ると言えば、嫌がる者は多かったはずや。人間は保守的な生き物やし、住み慣れた場所を離れたがらんからな。そこで先に二宮山に移転する話を出したことで、二宮山に行かされるよりは、と皆が喜んで小牧山へ引っ越した。上手いやり方やな。)


「感服つかまつりました!」


 俺は得意そうな信長に対し、素直に称賛の言葉を贈った。

 実際、人間心理を読み切った信長の作戦勝ちだ。


 また、信長の作戦はさらなる戦果を生んだ。


 小牧山から北へ20町(約2.2km)ほど隔てたところに犬山方の於久地城(おぐちじょう)(小口城)があった。


 小牧山城が次第に出来上がっていくにつれ、於久地城の将兵は不安に駆られていった。

 小牧山は丘と言っていいくらい低い山だが、だだっ広い平野のなかでポツンと置き忘れられたように唯一の高地となっており、遠くまで見晴らしがきいた。

 於久地城からすれば、常に城内を見下ろされることになるのだ。


 於久地城では守りきれないと判断し、犬山の本城へ退去してしまった。

 信長はただ本拠地を移転するだけで、岩室長門守の命を奪った敵城を手に入れたのだ。


 もはや、犬山勢の劣勢は明らかであり、再び信長の前に美濃への道が開けようとしていた。


 ……………………………………………………………


 ※小牧山への移転を図解しました。


 ☆小牧山移転関係図

挿絵(By みてみん)

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