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第4話 還俗

出家した又介らの還俗を描く第4話です。


いやぁ、時が流れるのは早いですね。


ついこないだ出家したばかりのような気がする(笑)

 俺が書見をしていると、泰源和尚が呼んでいると小坊主が告げに来た。

 和尚の部屋に赴くと、武衛様からの使者が参ったので同席するようにとのこと。


 和尚ととともに本堂に行くと、兄の新介が座っていた。武衛様からの使者は兄だったようだ。

 兄は和尚に対し型通りの挨拶を終えると、一通の書状を差し出した。

 和尚は黙って読み、チラッと俺に視線を向けてから、兄に話しかけた。


「詳細は承知いたしました。功源をお返しいたしましょう。ゆくゆくはこの寺を背負って立つ者と期待しておりましたが、武衛様の仰せとあれば、致し方ありますまい。」


「ありがとうございます。武衛様もお喜びになりましょう。」


 思ったより呆気なく、俺の還俗(寺を出て俗世に戻ること)は決まった。


 後で兄に聞くと、俺の評判が武衛様こと斯波義統の耳にまで達したらしい。

 寺で学問に励むだけでなく武芸も怠らない将来有望な若者ということで、還俗させて嫡男岩竜丸の側近にしたいと仰せになり、兄がその使者となったそうだ。

 

 兄が帰ったあと、俺は泰源和尚に青源も一緒に還俗させてほしいと頼み込んだ。

 和尚は青源が俺の乳兄弟であることを知っており、快く了承してくれた。


 一旦実家に戻った俺は、髪がある程度伸びてから元服することになった。


 守護館で行われた元服の儀式は厳かなものだった。


 まず「理髪」と呼ばれる役が髪を大人の髪型に結い直す。

 俺の髪がまだ十分に生え揃ってないため、ちょこんとしたちょんまげになったのが少し悲しい。

 道具や切った髪を入れる箱、髪を整える水を入れた器を持つ人もきちんと決められていて、儀式は整然と進められていく。


 最後にまだ幼い主君・岩竜丸が烏帽子を俺の頭に乗せ、成人の儀式が終わった。これからは太田又介定季と名乗ることになる。

 本来は偏諱と言って、烏帽子をかぶせる「加冠」役が自分の名の一字を与えるのが習いだが、元服前の岩竜丸ではそうもいかず、俺の名は父の和泉守が用意したものだ。

 定は太田家が代々受け継ぐ通字で、季は末っ子をあらわす字。

 それによって、父は兄の新介が後継ぎであることを明確にしたかったらしい。

 元々、俺を寺に入れたのもそういう意図があったのだとか。


 同じ日、今度は太田家で青源改め青梅丸の元服が行われた。

 

 「加冠」役に選ばれた俺が、烏帽子をかぶせ、ここに安食右近定夏という武士が誕生した。

 おめでたい場面だが、右近は俺と同じく全然髪が生えてきておらず、ちょんまげを作るのに苦労していて何度も吹き出しそうになった。


 右近は俺の側近第一号として仕えてくれることになる。


 ちなみに、兄の新介の側近第一号は右近の兄の伝兵衛だ。


 こうして守護館に出仕することになったが、俺に与えられた役目は岩竜丸の側近として仕えることだけでなく、学問や弓の手ほどきをすることだった。

 まだ5歳の岩竜丸に文字などを教えていると、前世の大学生時代に小学生相手の家庭教師をしていた記憶を懐かしく思い出す。

 あの時は学習意欲のない子供たちに手こずらされたものだったが、岩竜丸は向上心が強く、教え甲斐のある生徒だった。

 学問も弓術も健気に取り組む姿に、ついつい情が移ってしまう。


 しかし、岩竜丸は健気すぎるのが玉に瑕で、衰えた守護家の力を取り戻そうと子供ながらに気負い過ぎているきらいがある。

 おそらく物心がつく前から周囲に言われ続けた結果なのだろう。


 守護は尾張国の最高権力者のはずだが、今の守護の力が実際に及ぶのは清洲城内の一角にある守護館の中だけと言っても過言ではない。

 目に見えぬ「権威」というオーラのおかげで虚位を保っているが、お飾りの存在でしかない。


 元々斯波家は足利氏の分家の中でも最も高い家格を持ち、室町幕府のナンバー2である管領に就任できる家柄だ。

 最盛期には越前、尾張、遠江の守護を世襲し、奥州探題大崎家、羽州探題最上家などの有力な一族を抱える有力大名家のひとつでもあった。

 尾張守護家はその本家であり、代々左兵衛督や左兵衛佐に任官したことから、唐読みの「武衛」と尊称されてきた。


 しかし、義敏、義廉の家督争いが応仁の乱の原因のひとつに数えられるほどの内紛に発展し、その過程で本拠の越前守護職は守護代(守護の代官)の朝倉氏に奪われてしまった。

 

 さらに、新たに本拠とした尾張国でも実権は次第に守護代の織田氏に握られていく。

 特に先代の斯波義達が今川氏に敗れて遠江を失ったばかりか、捕虜となり頭を剃られて送り返されてくると、まったくその力を失うことになった。

 当代の斯波義統に至っては、守護代織田信友の傀儡に過ぎない。


 ただ、織田家も決して一枚岩ではなく、信友の織田大和守家も尾張国南半分(海東・海西・愛知・知多の四郡)を支配するに過ぎず、本家筋に当たるもう一つの守護代家・織田伊勢守家が岩倉城を本拠として北半分(丹羽・葉栗・中島・春日井の四郡)を治めている。


 また、清洲三奉行(因幡守家・藤左衛門家・弾正忠家)と呼ばれる有力分家のうち、勝幡城を拠点とする弾正忠家の織田信秀(信長の父)が津島や熱田を掌握して力をつけ、今では主家を凌ぐ勢いを示している。


 清洲城中に目を転じても小守護代と呼ばれる家老の坂井大膳や河尻左馬丞らが実権を握り、若い守護代信友も傀儡化しつつある。


 つまり、現在はどの勢力も尾張一国を統一する力を持っておらず、守護斯波義統はそこに復権の望みをつないでおり、岩竜丸にもその熱い思いが強く影響しているようだ。

 今のところ、義統は信長の父・信秀に肩入れし、守護代織田信友を牽制している形だ。


 だが、俺は「この後」を知っている。


 信長が後を継いでからになるが、義統は信長に肩入れするあまり守護代との確執を深め、遂には攻められて一族とともに自殺に追い込まれてしまう。


 義銀と名乗るようになった岩竜丸は信長に助けを求め、仇討ちを果たすが、父と同じく実権を取り戻そうと画策したため、今度は信長に追放されてしまう。

 やがて帰国を許されるものの、完全に主従関係は逆転してしまい、津川と姓を変えて家臣として信長に仕える身となってしまうのだ。

 家格の高さのため家は江戸時代を通じて残るが、足掻けば足掻くほど今以上に立場が悪くなってしまう運命にある。


 生真面な「教え子」に情が移った俺は、せめて尾張守護・斯波武衛家という形を残すため、「君臨すれども統治せず」を岩竜丸に教えていくことに決めた。


「岩竜丸様は学問に武芸に熱心であらせられますゆえ、あっぱれ良き大将になられましょう。」


「まことか。嬉しいぞ、又介。」


 俺が褒めると、岩竜丸は子供っぽい笑顔で喜んでくれる。


(真面目な子は褒めて伸ばしてあげんとな。にしても、いい笑顔やわ。けど、この無邪気な笑顔が段々と権謀術数にまみれて、どんどん翳っていくんやろな。こんな子供の時から使命を負わされて、本当に可哀想やわ。)


「しかしながら、人の上に立つ者に最も必要なものは民の声を聞く耳でございます。」


「どういうことじゃ。」


「かつて厩戸王は誰よりも多くの民の声を聞く耳を持ち、良い政治を行ったために聖徳太子と尊称されてまいりました。岩竜丸様もいずれ守護となられたあかつきには、民の声を広く聞き届けて良い政治を行うことが肝要です。正道を外れぬよう気を配ってさえおれば、実際の政は良き輔弼の者に委ねても構わぬものなのです。」


「しかし、父上はないがしろにされ、何もできぬといつも嘆いておられるぞ。」


「昔、斉の桓公は、管仲という優れた臣にすべてを委ね、君主自らは何をせずとも国はよく治まり、ついには覇者となりました。管仲を見出した桓公は称賛されたのです。」


「ふうむ。わしにはよくわからぬ。」


「岩竜丸様はまだ5歳でいらっしゃいます。少しずつ学んでいかれればよろしいのです。」


(そうだ。焦ることはない。お互いにちょっとずつ心を通わせていけばいいんだ。)


 帰宅すると、りつさんが迎えてくれる。

 足を拭ってもらい、ほっと一息をつく。


 りつさんは俺が寺にいる間に伝兵衛と結婚し、今では二男一女の母だ。

 おっとりした雰囲気は昔と少しも変わらないが、30歳を目前にして今では奥向きのことをすべて任されるようになっていた。


「殿様がお待ちかねでいらっしゃいましたよ。後で夫が呼びにまいりますので、お部屋でお待ちくださいますよう。」


「ありがとう。」


 部屋に戻り、書見をしながらしばらく待った。

 伝兵衛が呼びに来たので、父の待つ大広間に向かう。


 伝兵衛も20代後半になり、精悍さを増している。

 今では「槍の伝兵衛」の異名を取るほどの剛の者だ。

 

 広間に入ると、父だけでなく兄の新介も待っていた。

 いつになく物々しい雰囲気が部屋中に満ちている。

 俺が着座し、帰還の挨拶をすると、父が厳かに告げた。


「又介よ。そなたの初陣が決まったぞ。新介とともに三河へ行け。」

相変わらず、牛一を含めて架空のお話が続きます。


史実の牛一は還俗後は斯波義統の家臣となったとされますが、斯波義銀(岩竜丸)と行動を共にしていた節がみられるので、岩竜丸に仕える設定としています。


どうせならただの家臣ではなく、もう少し濃い関係にしてしまえ!と教育係のひとりのような立ち位置にしております。


次はいよいよ牛一の初陣です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごく惹き込まれる文章と濃厚な内容で、中世の沼に片足を突っ込んだ身としては待っていましたと言わんばかりの小説です。戦国時代というより、室町時代の延長としての世界観がとても好きです。
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