非才な青年
俺はときどき夢にみる。
トラックに轢かれて、気がつけば神さまが目の前にいて、「お前は死んだ、これからは勇者として異世界に転生させよう」と言われ、剣と魔法の世界で頼りになる仲間と共に色んなところへ旅をし、魔王討伐する。そして、想いを寄せていた人と結婚し、生涯を共に過ごしていく……
まぁ、そんな非現実的なことは起こらないのが、俺がいるこの世界なんだろうがな。
人前でこんなことを言えばきっと笑われるが俺は断言しよう。
【俺は”主人公”になりたい!】
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春の晴れた日の午後。
和原 一織は自身のノートパソコンに湧き上がっていく文字の羅列を必死に目で追っていた。
文字の羅列は瞬く間に増え、気付けばつい先程まで数行程度の文章だったものが画面の中央部を文字が埋め尽くしている。
指が止まらない。止められない。
2LDKの小さいリビングにはキーボードを打ち付ける音と沸騰してきたケトルの音だけがある。
そんな空間をぶち壊すかのように一織は叫ぶ。
「なぁぁぁぁ――クッソ、なんでそうなるんだよぉぉぉ!!」
耳にしていたイヤフォンが外れ、大音量で聞いていたゲームのサウンドトラックが漏れる。
「なんで、俺の思うように動いてくれないんだ……」
その後も、文句を言いながらも文字を打つことを止めない。
ようやく一織がノートパソコンから手を離したのはそれから数時間後、窓の外が暗くなり、空に星が見え始めてきた頃だった。
おもむろに立ち上がった一織は台所に向かい、好みの珈琲を淹れる。
「ぬる……そういや昼に沸かしたんだっけ」
ひと息つくと一織は慣れた手つきで料理の品々を作り始める。
一織はかれこれ2年間、一人暮らしをしている。今も簡単なものしか作ることは出来ないが、それでも全く料理が出来ない状態から作れるようになったのは凄いことだ。
多めに作った回鍋肉をフライパンから2枚の皿へと移す。
冷蔵庫に常備されている銀のビールを二本、手に取るとリビングの決して大きいとは言えない短脚の木製テーブルに回鍋肉と共に置く。
その時、高声電話機がなる。
この家で高声電話機がなる時は宅配か、もうひとつしかない。
「おかえりなさい。丁度今、出来たところですよ」
玄関の扉を開くとそこには、童顔に黒髪ミディアム、それにスーツを着た女性がいた。
その表情は疲れており、少女のような可愛らしい彼女はそのまま、お邪魔します〜と至極当然のように一織の家へと足を踏み入れる。
「一織くん、もしかして……今日は回鍋肉?」
「まぁ、手抜きですけどね」
彼女はスーツ、ニーソを脱ぎ、ラフな格好になるなりテーブルに置いてある回鍋肉をひと口。
「ん〜〜っま!! やっぱりさ、一織くんは私の妻になりなよぉ〜承諾してくれればずっと養ってあげられるのになぁ」
「冗談はよしてくださいよ……俺と沙織さんとじゃあ全然釣り合ってないですし、養ってもらう気もないです。何より俺は……」
沙織は一織の話を横目に聞きながらも回鍋肉を頬張り続ける。一織も結局、考えるのをやめて沙織と夕飯を一緒にした。
「そういえばさ、1週間くらい前に書いた小説見て欲しいって言ってたけど書き上げた?」
缶ビールを飲みながら話は小説の話になっていた。
神楽坂 沙織は名のあるレーベルの出版社で若手なのにも関わらず、アニメ化、ドラマ化作品を受け持つ、やり手の編集者である。
「さっき書きあがったばかりです。どうぞ」
書き上がった原稿用紙を渡すと沙織はありがとと一言言うと、目の色を変えずボーッと何百枚もあるものをパラパラと流すように読み、数十分間部屋には沈黙があった。
そして、読み終えた彼女が放った一言。
「これじゃあ、一次選考で落選するね。文章の構成がワンパターンだし、絶対書く前に見た創作物に影響されてるよね?」
小説を書く上で知ってる、又は好きな作品に影響を受け、無意識に同じような似通った作品が生まれてしまうのはよくある話である。
「確かに、この作品を書く前に”俺ガイル”とか”妹さえいればいい”を読んで感化されて書き始めました」
沙織はため息をつくと、原稿用紙をテーブル上に置く。
「一織くん。これは編集者としての自論なんだけどね、面白い作品を書こうと思って書く作品と自分が読みたいことを書く作品での完成度は後者の方が完成度が高いの。つまり何が言いたいかと言うと、小説って言うのはね、自分自身で感じるの。自分自身が主人公になれなきゃ楽しくないからね。とにかく、主人公になって君が考える世界で旅をする。それが出来れば文章なんてあとから着いてくるから、ね?」
「期待はしてなかったんですけど、面と言われると結構キツいっすね……」
本来、容易に編集者からのアドバイスを受けることは出来ない。方法としては各レーベルの大賞に応募し、ある程度のところまで生き残ってからようやく審査員や編集者の評価シートというものが貰える。
「まぁ、頑張りたまえ! ゴクッゴクッ――プハァ!!」
その後も沙織は呑み続け、担当作家さんの愚痴やら文句を延々と聞かされ、家を出る頃にはかなり酔っていた。
一織が肩を持つがもぐったりとしていて、辛うじて立てるくらいだった。
沙織の家は一織の隣室なので何とかなるが、
それでも男の家で無防備になる沙織を一織は心配しながら彼女を家まで運ぶ。
「沙織さん、鍵出してください」
沙織は朦朧とした状態で鍵を取り出す。
それを受け取った一織は家の鍵を開け、玄関へと足を踏み入れる。
一見、何か変な気が起きるそうに思える状況だが生憎、このやり取りは日常になっているので一織は慣れてしまっている。
「沙織さん、玄関で下ろしますけどちゃんと部屋に戻って寝て下さいね!」
「うぃ〜」
一織は彼女の家を出て、部屋に戻ると飲みかけの缶ビールを手に持ちベランダに出る。
外はそよ風が吹いていてそれがとても心地よい。
空を見上げると星は見えないが、月の光が地上を照らしていた。
「もっと頑張らなきゃな……」
無意識に出たその言葉は誰に聞かれることも無く、夜に消えていった。
登場人物紹介
和原 一織…ラノベ作家をめざしている青年。文章に才がなく苦悩しながらも好きな作品を日々描いている。
神楽坂 沙織…一織の隣室に住む出版社で働いている現役編集者。一織のことが大好き。