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鳴りやまぬ月長石  作者: 弾指
第1章 S中学校囲碁部編
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胎動

 江戸時代後期、相手を叩き潰すほどの苛烈な棋風と、圧倒的な実力で名人まで上り詰め、“強力(ごうりき)無双(むそう)”と謳われた棋士がいた。


 史上最強棋士候補の一人としても名が挙がる、本因坊(ほんいんぼう)丈和(じょうわ)である。

 

 そして現代、丈和と同じく“強力無双”と称えられる棋士が登場する。


 丈和を彷彿とさせるような激しい力碁と、圧倒的な実力で、棋聖・名人・本因坊・王座・天元・碁聖・十段という七大タイトルを独占し、世界棋戦での優勝をも果たし、名実ともに“世界最強棋士”の称号を手にした(ひいら)()白夜(びゃくや)である。


 今年の年明けには、国民栄誉賞まで贈られた。一見して、人が羨むような充実した人生のように思える。

 七月末。そんな白夜の表情は、なぜか冴えない。


「柊木先生は、もう十分に功績を残されたでしょう。そろそろ後進に席を譲ってくれませんかね?」

 ホテルのロビーで対面した紫藤(しどう)(がく)は、明日の対局相手を前にして、先制パンチとばかりに軽口をたたく。


 岳は、まだ二十一歳。数々のリーグ戦でも上位に進み、今もっとも勢いのある若手棋士と言われている。物怖じする様子は、まったく無い。


「もちろん、喜んで譲るさ。僕より強ければね」

 白夜は彼の存在に気づくと、生来の柔和な表情のまま、穏やかに言った。


 挑発するように倒置法で話したのは、もちろんわざとだ。

 岳は、眼光するどく白夜を睨むと、「では、また後ほど」と言って、自分の部屋へと向かって行った。


 今日は七大タイトルのひとつ、『碁聖』のタイトルマッチ、三局目。

 闘争心を燃やしてくれるのは、白夜にとって望むところだった。



 ―――――四時間後。対局室には、多くのフラッシュが焚かれる。


 インターネットニュースの見出しは、「柊木碁聖 タイトル防衛」「挑戦者 寄せつけず」「三-〇 ストレート勝ち」など。

 結局、紫藤岳は、柊木白夜に一度も土を付けることはできなかった。


 碁盤の前でうなだれる挑戦者を前に、もはや興味を失った顔で白夜は立ち上がり、対局室を後にする。

 丸眼鏡の奥の眼差しには、落胆の陰がある。いったい、対局前の威勢は何だったのか。


 いや、口先では、誰もが威勢のいいことを言えるのだ。

 新進気鋭、天才、怪物、史上最年少・・・色んな棋士が僕の前に現れ、期待させては散っていく。


 僕と対等に打てるのは、もはやこの世で、あの美しい三日月(みかつき)家の当主しかいない。


 それなのに五年後、“あの御方”と対局できるのは、僕でもなければ彼女でもないのだ。


 正直、会えるのが待ち遠しい。それほどの棋士なら、僕を、そしてこの棋界を、さらなる高みへと導いてくれるはずだ。


 だが、一方で疑問もある。それほどの棋士なら、なぜまだ世に知られていないのか。


 前人未到の連勝記録を更新し続ける柊木白夜は、ホテルの窓から、どこまでも続く夏の青空を眺めながら、まだ見ぬ好敵手に想いを馳せる。


「・・・その人は、今どこで、何をしているのだろうね」





 白洲まふゆの親戚が経営する碁会所にて、石鳴侘助はアマ七段の神内から碁の指導を受けることになった。


「さて、改めて自己紹介するね。僕の名前は神内ユウジ。A歯科大学の二年生だよ」

 二人とも席に着くと、神内は、きりっとした表情で名乗った。智美の前でだらしなく、くねくね話していた姿とは、まるで別人だ。


 A歯科大学は地元の学校だが、こんなチャラい風貌で歯医者の卵なのかと侘助は少し驚いた。


「石鳴侘助です。S中学の一年生です」

「侘助くんね。碁を始めたばかりだそうだけど、君と僕とでは棋力に差がありすぎて、普通に対局しても、あまり強くはなれないと思う」

 「強くはなれない」という言葉が耳に残り、侘助の顔が曇る。


「はは、大丈夫。どうすれば強くなれるかを教えるから、安心して良いよ。僕が教えれば、初段くらいにはすぐなれるから」

 神内は、そう言って胸を張った。

 あまりに自信満々に調子の良いことを言うので、かえって「胡散臭いな」と侘助は疑いを抱きそうになる。


 それから侘助は、週に一回は碁会所に顔を出して、神内から指導を受けるようになった。

 他の平日は、囲碁部に顔を出している。

 

 囲碁部のメンバーについて、侘助が入部当初の棋力は、以下の通りである。

  片瀬マリナ(部長):五段

  佐々倉凛(副部長):三段

  白洲まふゆ:一級

  東仙みちる:五級

  石鳴 侘助:十五級くらい


 しかし対局するたび、侘助がめきめき強くなっていくので、部員たちは皆、驚きを隠せない。あっという間にみちるより強くなり、わずか一ヵ月で、まふゆと互先で打てるようになっていた。


 侘助は、自分の棋力がみるみる上がっていくのを実感し、当初、神内が言っていた言葉を思い出す。


「碁の勉強の仕方には、代表的なものが三つあるんだ。対局、詰碁、棋譜並べだよ」


 対局は、文字通り碁の対戦をすることで、実践を通じて自分の弱点を確認できる。

 詰碁は、石の死活問題を解くことで、読みの力が強くなる。

 棋譜並べは、強い棋士が打った対局を、順番通り並べてみることで、自分より上手な打ち方を学べる。


 なるほど。碁をやってる人たちは、こうやって練習しているわけか。

 うん。こういう情報が知りたかったんだよな。


 特に神内が推奨したのが、詰碁だった。基本的な布石(ふせき)(序盤の打ち方)や定石も少し教えてもらったが、八割方は詰碁ばかりしている。


 神内曰く、碁は、いかにミスを少なく打つかが重要で、プロでさえ、ミスをしない人はいないと言われるくらいらしい。


 まして、アマチュアの級位者や低段者は、本人も気づかないうちに大きなミスばかりしているのが普通なので、そこを抜け目なく突き崩せるよう、読みの力をつけることが、初心者が強くなる近道なのだそうだ。


 そういうものなのか、と思った侘助は、神内から言われるまま、空いた時間があれば、神内から借りた詰碁の本を解くのを繰り返していた。近道というのは、あくまで効率的な意味であって、やはり相応の努力は必要らしい。


 こうして侘助は、短期間で飛躍的に棋力を延ばしていき、九月五日の大会の日を迎えたのだった。

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