ルール
「一年生の石鳴侘助といいます」
月曜日の放課後。幼馴染の東仙みちるに、囲碁部の部室へ連れてこられた侘助は、みちるを含めて四人いる部員たちの前で、かるく自己紹介した。
「部長の片瀬マリナです。石鳴くん、歓迎するわ」
マリナは手を差し出し、侘助と握手を交わした。
彼女はウェーブのかかったフワフワの栗色の髪と、いつもニコニコしている穏やかな表情が特徴の、中学三年生の女の子である。
侘助は、碁をしているという文科系の女子に対して、勝手に地味で根暗なイメージを持っていたが、お嬢様風のきれいなお姉さんという雰囲気だった。
しかし、と侘助は部室に入った時から若干、渋い表情をしている。
「私は副部長の佐々倉凛。三年生よ」
と言ったのは、女子にしては背が高く、ベリーショートで、名前のとおり凛とした、吊り目の女の子。顔が小さくて手足もすらりと長く、モデルのような容姿である。
「あ、あたしは白洲まふゆ。二年生です」
最後に自己紹介したのは、上級生ながら年下かと勘違いしてしまいそうな、身長が低くて目が大きく、おっとりした童顔の女の子だった。すこし、おどおどした印象を受ける。
侘助は「よろしくお願いします」と平静を装いながら、心の中では「この部、女子ばっかりじゃないか。居心地が悪いぞ!」などと叫んでいた。思春期の男子丸出しである。
「ふふ。これで大会にも出られるし、あの石鳴くんが入ってくれて、嬉しいわ」
部長の物言いに、侘助が引っ掛かる。
「・・・すみません。あの、というのは?」
「あら。あなた、有名人じゃない」
両手を握りこぶしにして、バットを振るような仕草をしてみせる。
「たしか、キャッチャーよね?私の弟もリトルリーグに入ってたから、あなたのチームとの試合も見たことあるのよ」
「そ、そうですか」
侘助が所属していたチームは地元では強豪で、他のチームとの試合も多かった。身内がリトルリーグにいたのなら、たしかに自分のプレーを見る機会はあったのかもしれない。
「弟が言ってたわ。打撃はそこそこだけど、あなたの守備は小学生離れしてるって。特にリードは、まるで心を読まれてるようだって噂になってたそうじゃない」
「打撃はそこそこ」って、わざわざ言わなくても良いんじゃないか? 侘助は微妙な顔になる。
「あの、俺、交通事故で腕を壊して。もう野球はやめたので」
「えっ!?そうなの?・・・ごめんなさい」
本当に知らなかったようで、無神経だった自分の発言を恥じるように謝罪する。
「だけど石が鳴るって、もう名前が良いわよね。碁にピッタリ!」
話題を変えて盛り上がる部長を、侘助は冷めた気持ちで眺めていた。
どうせ一ヵ月しかこの部にいないから、あまり期待されても困るんだけどな。
「だけど、やったことは無いのよね?まずはルールから教えないと・・・みちるちゃん、お願いしても良い?」
「もちろんです!」
部長からの依頼に、みちるは爽やかな笑顔で即答した。
「よろしく、侘助。侘助なら、ルールもすぐ覚えられるよ」
みちるは「えへへ」と嬉しそうに笑った。
部室の端っこの机に碁盤と碁石を用意し、みちるは張り切って説明を始める。
「まず、これが『碁盤』といって、この上に黒石と白石を交互に置いていくの。打てるのは線が交差してるところで、最初に打つのは黒石ね」
「ん?あっちで部長たちが使っているものより、ずいぶん小さいな」
「よく見てるね」と、みちるは笑顔になる。部長は少し離れた席で、まふゆという二年生と対局していた。
「碁盤が大きくなるほど、タテヨコの線が増えていくの。九本×九本、十三本×十三本、十九本×十九本といった種類があるんだけど、公式戦とか一般的には、部長たちが今使ってる十九本×十九本の『十九路盤』と呼ばれるものが使われるの。これは、初心者への説明用に使ってる九本×九本の『九路盤』」
「なるほど」
チェスは八×八の六十四マス、将棋は九×九の八十一マスだけど、碁は十九×十九で三百六十一ヶ所、石を置ける場所があるということか。
「めんどくさそうだな」
「めんどくさくないよ!」
すぐにみちるが否定する。まだ説明の入り口なのに、「やっぱりやめた」と言われるのを恐れたのだろう。
「それでね。碁は、最後にお互いの石で囲った陣地を比べて、広い方が勝ちっていう陣取りゲームなの。ちなみに碁盤の端っこは、石を置かなくても囲ったことになるよ」
「陣地は『目』って数えるの。この場合だと、黒地(黒石で囲った陣地)が三十四目、白地が二十五目で、黒地の方が広いから、黒の勝ちだね」
「ふうん」
「それから、相手の石の上下左右を囲ったら、その石を取り上げることができるの。石を取り上げることを、囲碁用語では『殺す』と言い、取り上げられた石を『死ぬ』と言うの」
「・・・けっこう物騒な表現するんだな」
取り上げた石は、対局が終わった後、相手の陣地をつぶすのに使うことができる。つまり石を取ると、取った石の分だけ自分の陣地は増え、相手の陣地を減らすことができるので、ただ陣地を囲うよりも二倍の成果をあげることになる。このため、ただ陣地を囲うより、相手の石を殺しにかかる方が好きな人も多いのだそうだ。
他にも『二眼』とか『コウ』だとかいうルールについての説明も受けたが、侘助はだんだん説明を聞くのが億劫になってきたので、やりながら覚えようと、説明を聞き流した。
興味は無かったのだが、やり方を知ると早くやってみたくなるのが人間の性というものなのだろう。
「よし。じゃあ一局、打ってみようか」
さっそく二人は、九路盤で対局をはじめてみた。侘助にとっては、生まれて初めての対局だ。「どこでも打って良いよ」と言われ、ルール自体は簡単だと思ったが、いざ打つとなると、どこに打つのが正解なのか分からない。
数手打ち進めてみて、どちらが優勢なのかよく分からないが、みちるの様子を見てると、自分が負けてるんだろうなと、なんとなく察した。というか、なんか鼻歌を歌ってるし。
石同士をつなげながら打つ侘助に対して、石同士がぽつんぽつんと離れたところに打っていくみちる。
なるほど、そういう風に打つのか。侘助は、抜け目なく対局相手を観察していた。
彼は、強豪リトルリーグチームの元正捕手である。ピッチャーをリードし、各ポジションに指示を出すキャッチャーに何より大切なのは、洞察力と分析力、そして抜け目のなさだと教えられていたし、元々あらゆる局面から情報を読み取り、分析するのが好きな性質だった。
一局目は、黒地がほとんど無くなって完敗。五分もかからなかったので、すぐに二局目を打ち始める。
「あっ」とみちるが声を漏らす。侘助が打ち方を変えてきたからだ。先ほどと違い、石を少し離しながら置いていく。うん、こちらの方が陣地を広げるのが早いな。
しかし結局、八目ほどの差で、みちるが勝利した。
「ふうん」
さっきよりは戦えようにはなったが、また負けた。侘助は、みちるの打ち方と自分の打ち方の何が違うのかを、改めて分析する。
序盤のみちるは、四隅の方から石を置いていた。なぜ、わざわざ石同士を遠いところへ離して打っていたのか。その理由を考えみて、一つの結論に至った。
ああ、そうか。碁盤の端は囲う必要が無いから、隅の方が効率的に囲いやすいのか。シンプルに見えて、なかなか奥が深いな。
三局目。侘助も四隅を優先的に打ってみる。お互い六手ほど打ったところで、みちるはもう、笑ってはいなかった。