転入
四月。冬が明けて草木は鮮やかな色を取り戻し、薄紅色の桜が咲き乱れ、三日月家の庭園は、春の息吹に彩られていた。
開け放たれた障子から入る風が心地良い。そんな三日月家の屋敷には、里の外から客人が訪れていた。
客間にて、屋敷の主、三日月真衣の向かいに座って碁石をつまんでいるのは、一八〇センチをゆうに超える体格で、丸眼鏡をかけ、柔和な顔立ちをした、和装姿の青年だった。
現時点で日本棋界最強と謳われる、柊木白夜である。
「・・・真衣さんも、人が悪いなあ。この僕に、会ったこともない少年の推薦をさせるなんて」
「ふふ、どうせ暇だろう。気になるなら、会いに行けばいいじゃないか」
真衣は煙管を口から離し、紫煙を吐きながら、ちょっぴり意地悪な顔をして言った。
白夜は、苦笑する。
「いやいや、暇ではないよ。僕、けっこう仕事入ってるんだから。・・・まあ、退屈ではあるけどね」
そう言いながら、あごに手を当てる。
「彼は、もしかして三日月や星旺と同じく、“四家”に連なる者なのかい?」
その問いに、真衣が一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「・・・さあ。すくなくとも、“石鳴”というのは聞いたことがないね」
その回答に、白夜はすこし残念そうな表情をする。
「そうか。棋力も大したことないみたいだし、今のところ、わざわざ時間を取って会いに行く必要性を感じないね」
「私のところへは、会いに来るのに?」真衣はそう言いかけて、言うのをやめる。
白夜は、強い棋士以外に興味は無い。それは、あえて言う必要のない、分かり切ったことだ。
「まあ、まだ時間は四年以上もあるんだ。しばらく様子を見てみようじゃないか」
ガラス製の徳利から、薩摩切子に注いだ冷酒に口を付け、三日月家の女主人は、なめらかな白い頬を、ほんのり紅く染めて笑った。
「・・・嘘だろう?」
二年生に進級した四月。通い慣れたS中学校から星旺学園へと転入した石鳴侘助は、新たな学び舎の正門で、信じられないという顔をして二人の少女の姿を見ていた。
一人は、片瀬マリナ。S中学校囲碁部の部長であったが、この春に中学を卒業後、なんと星旺学園高等部へ進学していた。白を基調とした制服を身にまとい、侘助を見つけると笑顔で手を振った。
「ふふ、石鳴くん、驚いた?なんと私、受験合格しちゃいました」
ぺろっと舌を出して、そう告げる。
合格結果は卒業時には分かっていたはずなのに、あえて言わなかったのは、同じ学校に通う侘助を驚かせるためだったのだろうか。
しかし、片瀬先輩はまだ良い。と侘助は思う。
問題なのは、彼女の隣で照れくさそうに笑っているショートカットの少女の方だ。
「いやあ、お父さんとおじいちゃんに無理言っちゃった」
侘助と幼馴染の東仙みちるは、そう言って白い歯を見せる。
こちらは、紺を基調とした星旺学園中等部の制服を身に着け、一目で転入していることが理解できた。
だが、
「なんで、お前が星旺学園に転入するんだ?」
侘助には、みちるがわざわざ転入する理由が分からない。
そもそも、俺をS中学校の囲碁部に誘ったやつが、部をやめるなよ、と言いたかった。
みちるは「あはは」と、気まずそうな笑顔をつくる。
「えっとね。うちのお父さんとおじいちゃん、すごく仲が悪いでしょう?私がおじいちゃんの学校に通うようになれば、二人が仲直りするきっかけを作れるかもしれないと思って」
みちるのその説明を、侘助は納得できるような、できないような顔で聞いた。
「そう思うなら、最初から星旺学園に入学していればいいだろう」と思うと同時に、最近になってそのことに気づいたというのも、みちるらしいかもしれないと思う。
全くの新天地だと気合を入れての初登校だったが、早くも見知った顔を二つ発見し、すこし拍子抜けしたような気分になる。
「・・・片瀬先輩、どう思います?」
幼馴染の奇想天外な行動力に冷静な突っ込みを入れて欲しいと思い、侘助は片瀬に話を振る。
すると片瀬は、あごに指をあてて、考える仕草をとる。
「うーん、そうね」
すこしだけ考えると、にこにこと明るい笑顔で、
「男の鈍感は、罪よねえ」
そう答えた。
なんのこっちゃ。
片瀬先輩は、ときどき分からないことを言う。まあ、すこし天然だからな。と侘助は思う。
「・・・石鳴くん、何か失礼なこと考えてないかな?」
そのくせ、妙に勘が鋭いところがある。
「あ。俺、転入生だから、先に職員室に行ってから、先生と一緒に教室に行くそうなので、そろそろ失礼します」
侘助は目を逸らし、片瀬に告げる。ちなみに始業まで二〇分くらいしか時間が無いので、嘘ではない。
「おい、みちるも中等部の二年生だろう。行くぞ」
「う、うん!」
みちるは嬉しそうな顔で侘助の横に並び、学園の敷地を二人で進んでいく。
片瀬は、その様子を微笑ましそうに見送っていた。
しかしその一方で、学園のモニタリングルームで腕を組み、彼らの様子を正門周辺の監視カメラで覗いている者がいた。
星旺学園の創設者にして東仙みちるの祖父である芦原源吾は、苦々しい顔でぎりぎりと歯ぎしりを響かせ、後ろで控えている学長たち学園関係者を青ざめさせていた。




