精霊
「なあ、みちる。これ、なんだと思う?」
第二試合の会場にて、他の部員とはやや遅れ気味に到着した侘助が、自分の左下を指さすのを見て、同級生の少女、みちるは首を傾げる。
「えっとね。・・・テラコッタ?」
いや、床の素材を聞いたわけではないんだ。
「ヤハハ。だから言ったじゃろう。ワシが見えるのは、おぬしだけなんじゃって」
知玄と名乗る小男は、ぱしぱしと侘助のふとももをはたきながら、愉快そうに笑う。
「なぜ、おぬしだけが見えるのかは、分からんがな」
会場の人たちは、誰もこの異様な格好をした小男に視線を向けない。本当に俺にしか見えていないようだった。
あれ?俺、妖怪に憑りつかれたのか?
「・・・なんで、俺について来るんだ?」
「ヤハハ、暇つぶしじゃて。今から皆で碁を打つんじゃろう?ワシは、三度の飯より碁が好きなんじゃ」
そう言って、小脇に抱えた瓢箪の栓を抜き、口をつける。
「なるほど。碁の妖怪か」
「碁の精霊じゃ!」
知玄は不本意とばかりに訂正するが、その小汚い容姿で『精霊』はないだろうと、侘助は呆れる。
精霊というと、一般的に美しいイメージを抱かれているものだ。しかし知玄の風貌は、一言でいえば『髭もじゃハゲ達磨』。はっきり言って、小さい子供が見たら泣くレベルだ。
「ん?何か、お酒くさくない?」
副部長の佐々倉凛が、すんすんと鼻を鳴らす。
はい。ここで酒を呑んでいる小さいおっさんがいます。俺にしか見えませんが。
なんて言うと、まず百パーセント頭がおかしいと思われてしまうので、「そういえば、そうですね」などと、とぼけておく。
「まあ、いるのは仕方ないが、これから試合なんだ。邪魔はしないでくれよ」
「おうおう、当然じゃ」
ひらひらと手のひらを見せながら、知玄は機嫌よく応じた。
色黒の顔を赤くしながら、知玄はぴょんと身軽に跳び、空いている机の上に腰掛ける。
「それにしても、ここには才のあるものが集まっておるなあ」
「そんなこと、まだ対局もしていないのに分かるのか?」
侘助が不思議に思う。
「おうよ。ワシはな、碁に関することなら、その人物の運命を視ることができるんじゃ。どのくらい強いか、将来どのくらい強くなるかは、見ればだいたい分かるな」
そう言って、部長の片瀬マリナを指さす。
「この中では、おそらくあの子が一番強いな。しかも、まだまだ強くなる」
会場には、すでに対戦相手の学校の生徒たちも集まってはいたが、たしかに部長より棋力の高い人は、なかなかいないだろう。
さすがは、碁の精霊というだけのことはあるか。
「ちなみに、俺はどのくらいだ?」
信じるかどうかはさておいて、興味本位で聞いてみる。
知玄は「ん?」と首をひねり、大きな眼で侘助の顔をじっと見つめると、ふいっと眼をそらした。
「うーん。すまんが、おぬしには何も感じん。才能が無いな」
きっぱり言って、ふたたび瓢箪に口をつける。
このやろう。
今、この手に塩が握られていたら、「悪霊退散!」とか言いながら全力で撒いていただろう。自分としては結構早いスピードで強くなってると思っていただけに、ちょっとショックだ。
「試合開始一分前ですので、対局者の方は着席をお願いします」
審判の教員の声で、侘助を含めた学生たちは、次々と着席していく。
S中学校の布陣は、以下の通りだ。今回は順当に、棋力順の布陣となった。
先鋒:東仙みちる
次鋒:白洲まふゆ
中堅:石鳴 侘助
副将:佐々倉 凛
大将:片瀬マリナ
「楽しみじゃのう」
上機嫌の知玄は、片瀬部長のいる大将戦の碁盤が良く見える位置に座り、酒を呷る。
やはり、棋力が高い者同士の対局が見たいようだ。
午前中最後の試合である第二試合は、四勝一敗でS中学校が勝利した。
勝ったのは、大将の片瀬マリナ、副将の佐々倉凛、中堅の石鳴侘助、次鋒の白洲まふゆである。
先鋒の東仙みちるは、またもや勝てなかった。やはり級位者の棋力では、この大会で勝利を挙げるのは難しいようだ。
「なんとか勝てたな・・・」
対局後に侘助は息を吐く。彼も相手のミスに助けられつつ、二目半差というギリギリの勝利だった。
「ヤハハ。おぬし、運が良いのう。才能も無いのに、よく勝てたな」
「やかましい。素直におめでとうと言えないのか」
侘助は、口の悪い精霊に抗議する。
ふと見ると、片瀬部長が右手で口を押さえ、佐々倉副部長を前に、なにやら放心している。
「・・・二回戦も、勝っちゃったね」
信じられないという表情だ。
「次は、準決勝か。うちの中学がそこまで進むのは、三年ぶりくらいじゃないかな」
感慨深げに、佐々倉凛が頷く。
侘助にとっては、案外あっさり準決勝に進んだ印象だったが、三年生の部長、副部長からすれば、入部以来の快挙だったようだ。昨日今日入った新入部員とは、積み重ねた想いが違うらしい。
なんにせよ、二人が喜んでいるなら、良いことなんだろうと素直に思う。
「さて。準決勝は午後からだから、お昼ごはんにしましょうか」
片瀬マリナは、部員たちを前に明るい笑顔で言った。
「星旺学園の食堂に行くのは初めてですが、す、すごそうですよね」
白洲まふゆが期待の眼差しで、ぎゅっと両手を握りしめる。
「やれやれ。それじゃあ、ワシもそろそろ退散するかな」
知玄が、うーんと伸びをしながら言った。
「え、いいのか?まだ、午後にも試合あるけど」
「ああ。この試合に出てる者の対局は、あらかた見たからの。探し人がいるんじゃが、どうやら、ここにはおらんようだ」
その表情は、少し残念そうだった。
次は、大陸にでも渡るかの。知玄は、そんなことを考えていた。
「そうか・・・じゃあな、小さいおっさん。保健所とかに捕まるなよ」
「犬猫じゃないわい!」
侘助は、そっと拳を突き出した。最初は得体の知れない妖怪だと思っていたが、なんとなく、憎めなくて面白いおっさんだと思った。それに、妙に気が合う。
知玄は「む」と、少し照れ臭そうに拳を突き出し、お互いの拳がこつんと触れる。
瞬間、目も眩むような、まばゆい光が満ちる。それは、碁の精霊である知玄だけが視ることにできる光。予知のビジョンだ。
しかし、これほど強烈に神経を揺さぶられるものは、経験が無い。
知玄の脳裏に流れ込んでくるのは、輝かしい未来。
すべての迷える者を導く、神々しい希望の光。そして、あの御方の微笑む顔。
突然のことに、知玄は一瞬、放心してしまう。
「お、おぬし・・・」
この世に生を受けて千年を超えるが、こんなことは初めてである。
「ま、まて!」
他の部員たちの輪へと向かう侘助を、知玄は後ろから呼び止めようとする。
しかし、「ん?」と振り返った侘助の視線の先に、もはや知玄の姿は無い。
人が捌け、がらんと空いた教室の様子だけが、彼の目に映っていた。
同刻。
獅子唐かぐらは、布で簀巻きにした知玄を小脇に抱えている。
「探しましたよ、知玄さん。あまり、手を焼かせないでくださいね」
知玄は、何か言いたげにモゴモゴ呻いているが、かぐらは気にする素振りも無く、目にもとまらぬ速さで、風のように駆けていった。




