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第88話 リエージュ会議<下>

1916年5月11日 ベルギー王国 リエージュ 君主司教宮殿


翌日、ベルヒトルトの発言に真っ先に反応したのはフランスのブリアン首相だった。


「失礼だが、ベルヒトルト議長。貴方はご自分の発言が意味するところを分かった上で言っておられるのですかな?」


ベルヒトルトに対する敬意を忘れない、丁寧な口調だったがブリアンがある種の怒りを持って、ベルヒトルトに質問をしているのは明らかだった。


ブリアンが怒りを露わにしたのは当然だとその場にいる誰もが、ベルヒトルトも含めてそう思った。

1535年にオスマン帝国のスレイマン1世とフランス王国のフランソワ1世の間で結ばれた同盟に伴って定められた特権(カピチュレーション)において聖地の管理権は、クリミア戦争の際にはロシア帝国の圧力により一時ロシアに移譲された事もあったが、基本的にはフランスという国家が如何様に政体が変わろうとも保持し続けてきた権利だった。

それをいきなり、いくらハプスブルグ家が十字軍の時代のエルサレム王国の王位継承権を血統的に保持しているとはいえ、その権利を放棄しろと言われれば、政教分離問題で左派として政治と教会の分離を主張してその旗振り役だった経歴を持つブリアンであっても許せるものではなかった。


「無論分かっています。…ですがこれは歴史の問題なのですブリアン首相」

「歴史の問題ですか、確かにそうですな。貴方は我がフランスの歴史を踏みにじったのですから」


歴史の問題と答えたベルヒトルトに対してブリアンは最早怒りを隠さずにそういった。


「お二方ともそう熱くならずともよいでしょう。ですが、歴史の問題だと言われれば、かのバルバロッサをはじめとして多くのドイツ諸侯も聖地にてなくなっている以上、我がドイツ帝国としても他人事とは言えませんな。少なくとも多くの欧州世界の国家にとって十字軍という共通の体験は無関係ではありますまい」

「ふむ、ペイプシ湖で十字軍と戦った我々にはいささか耳が痛い話になりますが、正教の庇護者として聖地にアルメニア人の居住地がある以上彼らの保護を考えねばなりませんな」


ベルヒトルトとブリアンの二人が口論を始めるかと思われたその時にドイツ帝国首相のヘルトリングが仲裁と同時にエルサレムの管理権問題に一枚噛もうとし、ロシア帝国首相のストルイピンもさも当然にロシアは欧州ではないと言外に匂わせたヘルトリングに対する皮肉として北方十字軍としてロシアに攻め込んできたドイツ騎士団を撃退したペイプシ湖の地名をあえて挙げながらもヘルトリングに賛同した。


「議論を交わすのは大いに結構ですが、我がイタリア王国としてはすでにローマ教皇庁との和解に着手しており…」

「その和解は一体いつになるのですかな?一向にその兆しは見えませんが」

「それは…」


イタリア王国首相のボセッリがローマ教皇庁との和解の一件を持ちだして、各国を牽制しようとしたがブリアンにやり込められ押し黙るしかなかった。ローマ教皇庁との和解がいつになるのかなどボセッリ自身にも分かっていなかった。ただ一つ分かっていたのはこの会議が終わるまでには絶対に間に合わないという事だけだった。それゆえにボセッリは引き下がらざるを得なかった。すでに最低限の権益は確保したのだから引き下がっても問題ない…ボセッリはそう考えた。


「もうよろしいですかな」


議論が出尽くして、非難合戦へと移行しようとしていたその時を見計らっていたかのように、イギリスのキッチナー首相が口を開いた。


「ここはひとまず、聖地に原則のみを決めるべきではないですかな?」


原則。つまり、その管理権はさておいて、ある程度の枠組みを定める事にしないか、キッチナーはそういったのだった。


各国首脳はその言葉に従って聖地における原則を検討し始めた。それから2週間が過ぎた頃にようやく合意に達し、その結果として聖地におけるすべての宗教の宗教的権利の保障などが定められた。また、聖地の管理権こそ改めて開く会議によって決められるとされたが聖地の警備のために、列強各国の軍が聖地に駐留する事が決められた。


さらに、聖地の外(この場合の聖地はエルサレムだけでなくエルサレムのあるパレスチナ地域全土を想定していたが、その範囲は極めて曖昧で不明瞭だった)のアラブ人支配地域に関しては、適切な支配者に一任されるとされ、石油利権に関しては聖地管理権と同じく後日改めて開く会議にて定めるという、全体としても曖昧なものに仕上がった。


このリエージュ会議の合意に関して後世のとあるアラブ地域の研究家は『極めて不十分な紙切れ』と評しているが、実際アラブ地域については非常に実態が捉えにくい、曖昧模糊としたものに仕上がってしまった。

これが後の悲劇を生んだとして、非難される原因にもなるが、バルカン戦争終結のための条約としては十分なものだったといえるだろう。


とはいえ、どんなに不十分な条約であったとしても利益を得るものは存在していた。

エジプトでの駐在経験が長くリエージュ会議の参加者の中では、最もアラブ世界というものに触れていたキッチナーに適切な支配者に心当たりがあったからだ。また、聖地の駐留軍についてもキッチナーには秘策があった。

さらに、聖地におけるすべての宗教の権利保障が定められた点もキッチナーにとっては好都合だった。キッチナーはかつて自らを陥れようとしたものたち、つまりユダヤ人に対してささやかな復讐を企てていたからだ。


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