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第80話 交渉と誤解

1916年2月25日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ベルリン


ドイツ帝国首相としては初のバイエルン出身者となるゲオルク-フォン-ヘルトリングはイギリスから来た特使オースティン-チェンバレンと会談を行なっていた。


「ではイギリス政府はあくまでも我々がオスマン帝国への支援をやめるように求めていると」

「ええ、ブルガリア王国の講和で陸路での武器輸送は出来ませんし、ここらで支援を打ち切ってはどうですかな」

「まあ、確かに実際に武器や兵員を送る事が支援の協定を結んでいても仕方がない…が、もう一つの条件の方はどういう事ですかな」

「戦前の状態への国境復帰は別におかしなところは無いでしょう?」

「…大使。失礼ながら戦況をご存じないようなので説明させていただくが、我がドイツ軍とオーストリア=ハンガリー軍はすでにイタリア軍を押し返しつつあります。このままいけば今年の終わりにはミラノを攻略できるでしょう。それを今さら戦前の国境線で妥協しろと言われても、国民が納得しませんよ」

「それは全ドイツの国民でしょうか、それともプロイセンと南部領邦だけのことでしょうか」

「…もちろん、全てのドイツ人の事ですよ。我がドイツ帝国は常に一つです」

「そうですか」

「ええ、そうです」

「つまり、貴方方は我々の条件を飲む事は出来ない、と、なるほど、では私はその言葉をキッチナー首相にと伝えなくてはいけませんな」


チェンバレンが席を立とうとすると、ヘルトリングはチェンバレンを引き留めた。第一次世界大戦の際の海上封鎖によって、追いつめられた事はドイツ国民であれば知っていた。イギリスの誇るロイヤルネイヴィーがそれに加われば海上封鎖の突破などできるはずも無い、だからこそイギリスが動く事は何としても避けたかった。


「…そもそも、バルカン戦争はオーストリア=ハンガリーにとってはフランツ-フェルディナント大公暗殺に対するいわば復讐です。介入してきたイタリア王国の側に非があるのは明らかです」

「確かにその点については我々も同感です。ですが、イタリアの弱体化は、地中海におけるフランスの強大化に繋がります。貴国にとってもそれは好ましくないのでは?閣下、今回のオーストリア=ハンガリーの目的はそもそもセルビアに対する復讐であったはず。であれば、最初に引き金を引いたものに懲罰を与えるという事にしてはいかがですかな」

「最初に引き金を引いたものですか」

「ええ、貴国も我が国も何の犠牲も払わずに事を収められます」

「なるほど、確かにフランスの強大化を避けるのは"お互い"にとっていいことですな」

「まったくです」


ヘルトリングが話題を変えるとチェンバレンはイタリアの弱体化とその後に起こりうるフランスの強大化の可能性を指摘して、ヘルトリングの反論を封じた。

ヘルトリングはこのチェンバレンの指摘をイギリスの政府のドイツ帝国に対する好意の表れであり、将来の対仏戦においてのイギリスの好意的中立を仄めかすものであると解釈したのだった。

イギリスの対欧州外交の基本は勢力均衡であり、フランスの過度な強大化を望まないイギリスがドイツに対して好意的な態度を取る事は何らおかしい事ではない、と。


尤もチェンバレンにとってはヘルトリングの同意を得るためのただの交渉術であり、別にイギリス政府の意思を伝えたわけでも何でもなかったのだが。


1916年 3月1日 イギリス ロンドン


「なるほど、ドイツは同意したか」

「ええ、オーストリア=ハンガリーもすぐに同意するでしょう…しかし、キッチナー首相、アイルランドよりもオスマン帝国を第一にというのは何故ですかな?」

「…アイルランドは貧しく騒がしいだけの土地だが、オスマン帝国は豊かで帝国の将来の発展のためにも必要な場所だからな」


1月に今だ収まらぬアルスター問題を理由に総辞職したハーバート-ヘンリー-アスキス自由党内閣に代わり、オスマン帝国のキリスト教徒虐殺への非難とそのオスマン帝国に対する開戦を求めて、保守党からの出馬によって首相の座を得たホレイショ-ハーバード-キッチナーは強硬にオスマン帝国との開戦を主張し続けていた。イギリスのみならず、敬虔なカトリックの多いアイルランドを地盤とするアイルランド議会党内部に支持者がいた事からも、彼がいかに大きな支持を得ていたかが分かるが、キッチナーの主張を当選するための方便と考えていた政治家たちの多くは、当選後もなおオスマン帝国との開戦にこだわり続けるキッチナーを訝しげに見ていた。


しかし、アルスター問題に火をつけ続ける事によって自由党の足を引っ張るという保守党前党首であるアンドルー-ボナー-ローの戦略に限界が来ていたのも事実であり、異教徒との戦いという分かりやすいスローガンを掲げるキッチナーは保守党にとっての救世主ともいえる人物だった。何しろイギリス人もアイルランド人も宗派の違いを除けばキリスト教徒であり、ゆえに正教会というイギリス人ともアイルランド人とも違う宗派ながらキリスト教徒であるものたちが異教徒であるオスマン帝国政府によって弾圧されているのは許し難い事だった。


キッチナーの強硬な態度もイギリス国内では好意的に受け止められていた。かつて、インド軍の指揮権問題で激しく対立したジョージ-ナサニエル-カーゾン元インド総督すらキッチナーの事を激賞した。


こうして、イギリス国内でキッチナーの支持が高まるごとにイギリスは戦争への道を一歩一歩着実に歩んでいくことになる。

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