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第8話 第2次台湾出兵

第2次台湾出兵、1900年8月24日に台湾における邦人保護を名目に防護巡洋艦浪速を基隆に派遣、これに対して台湾駐留の清国軍が退去を要請し、幾度かの交渉の後、清国軍の砲台を破壊し、基隆を占領した事件である。

この事件の背景としては度重なる日清間の漁業権紛争や日本による経済進出と台湾防衛のための近代化を目指していた台湾省政府との軋轢などがあってたびたび日本人や日本商店に対しての襲撃があり、そのため台湾を北清事変に乗じて日本領とする計画が陸軍、海軍の双方にあったとされる。

しかし、こうした計画は列強各国、とくにイギリスとアメリカが光緒帝による近代化路線の下で清国保全に努めようとの方針を打ち出した流れに逆行するものであり、満州の勢力圏化を狙うロシアと合わせて強い警戒心を各国に抱かせ、イギリスなどでは日本とロシアが連携して清国を分割しようとしているのではないか、との憶測もあった。


1900年9月1日 大日本帝国 東京

総理大臣の伊藤博文と外務大臣となった星亨が今回の事件の対処について頭を悩ませていた。


「まさか、このような事になるとは、柴中佐の奮闘も水の泡だ。」

「各国からの抗議が山のように来ています。イギリス、ドイツ、アメリカは『直ちに撤兵しなければ極東の平和と秩序を守るために必要な行動をとる準備がある』と述べたそうで」

「なんと、まさか裏で示し合わせていたのでは」

「それだけの理由があるという事でしょうな。イギリスに関しては自国の利権侵害を恐れての事、ドイツは清国に対してかなりの援助をしていますし、アメリカは過去のフィリピン独立派への援助もあって次はフィリピンだと思っているのでしょう。」

「布引丸事件か、あの時は背筋が凍る思いがしたが、まさかそれ以上の失策を許すとはな」


布引丸事件は1899年に宮崎滔天らアジア主義者が手配したフィリピン独立派への援助物資を積んだ貨物船布引丸が嵐によって沈没した事件であり、事件後、日本はアメリカからフィリピン独立派に対する援助について強い抗議を受けていた。


「して、星君、外務大臣としてどうする」

「とりあえず即時撤兵と清国が列強の支援を当てにして無理難題を言い出さないうちに早期妥協、これしかないでしょうな。わが国だけでの交渉は厳しいですが、ロシアはフランスに仲介を依頼しているそうです。我が国もフランスに仲介を頼むのはどうでしょうか」

「なるほど、フランスも清仏戦争の折に台湾を占領しようとして失敗していたな、ではそうしてくれ」


こうして、フランスの仲介もあり日本は事なきを得た。しかし、ロシアが撤兵と引き換えに東清鉄道の建設権と管理権が約束されたのに対し日本は日清両国の漁業権紛争を日本側有利に解決した程度であった。まだまだ世界からすれば日本など独立を保障されるだけでマシと思わなければならない立場であり、余計な高望みは不相応だった。

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