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第69話 電話が鳴った日

1915年9月26日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ベルリン ベルリン王宮


早朝にも関わらず、ドイツ帝国の中心部であるベルリン王宮は混乱の最中にあった。

突如としてベルリンの主要駅をバイエルン兵とヴュルテンブルグ兵、そしてポーランド駐留軍が占拠した、という報告が入ってきたからだった。


「なんだ、一体何が起きている、説明しろ」


玉座にて金切り声を上げているのは、皇帝(カイザー)ヴィルヘルム2世だった。


「は、逆臣どもはすでにベルリンの主要駅を占拠し、この王宮へと向かっております。軍使を派遣したところ要求は対イタリア及びギリシア、セルビアへの宣戦布告と、内閣の刷新、それと…陛下の退位との事です」

「認めん、認められるか、余を動かす事ができるのは余一人のみである。他の誰にも出来ぬ。これはまごうことなき反逆だ」


ヴィルヘルム2世の問いに対して答えたのは側近のルドルフ-フォン-ヴァレンティーニだった。反乱軍の要求に対してヴィルヘルム2世は激しい怒りを露わにしながら拒絶した。


「認めてもらわねば困るのですよ。父上」

「殿下、何故ここに」


怒れるヴィルヘルム2世の前に質素な軍装に身を包んだ皇太子ヴィルヘルム-フォン-プロイセンが現れた。皇太子はヴァレンティーニの問いには答えず、諭すようにゆっくりと話し続けた。


「いまや、ドイツ帝国は危機に瀕しております。国内では政治的な対立が大戦中より尾を引き、獲得した東方の勢力圏においても暴動が頻発しております。恐らくフランス、ベルギー、オランダ、ロシアのいずれか、あるいはそのすべてが我々に対する復讐を成し遂げるべく暗躍しているのでしょう。7月危機においては勢力圏たるペルシアやバルカン半島を放置し、そして何よりも同盟国たるオーストリア=ハンガリー帝国を見捨てました。それゆえにドイツの介入が無いとわかったイタリアがオーストリア=ハンガリーを殴りつけ、我々の同胞であるオーストリア人を殺しているのです。父上、いえ、陛下、今ここでイタリアを叩かねば次は我々が標的になりましょう。それを防ぐためにも、我々は確固たる態度を示さなければならないのです。たとえその為に陛下に弓を引く事となっても後悔はありません」

「そうか…わかった。ヴィルヘルムよ。お前は我が敵なのだな」


ヴィルヘルム2世は悲しそうにそういったきり何も言わなかった。翌日、ヴィルヘルム2世は退位に同意した。

新たな皇帝として即位したヴィルヘルム3世はオーストリア=ハンガリー帝国支援のために宣戦布告しようとしたが、憲法の規定により帝国議会と連邦参議院の同意が必要とされていた為、戦争を望まない帝国議会との間で激しいやり取りが行われたが両院ともに多くの議席数を持つプロイセン王国の議員たちに加えてバイエルン王国などの南部領邦が賛成票を投じたため、結果的に宣戦布告がなされる事になった。


しかし、戦争に反対する社会主義者がゼネラル-ストライキを決行するなど、ドイツ帝国内部の対立はおさまる気配を見せなかった。こうした、『プロイセンと南部領邦に引き摺られた戦争』に対する不満はそれ以外の領邦で高まっており、それが爆発するのは時間の問題だった。


1915年9月26日 オーストリア=ハンガリー帝国 ハンガリー ブダペスト


ベルリンが騒乱状態にある頃、ブダペスト市内のあちこちの家庭の電話が鳴り始めた。

電話が鳴った家に家に共通しているのはあるサービス加入しているという事だった。


それはテレフォン-ヒルモンドとよばれる電話新聞だった。電話新聞とはその名の通り電話を使ってニュースやオペラを配信する試みであり、ラジオ放送の先駆けともいえる試みだった。


『受話器の向こう側の皆さん、カーロイ-ミハーイです。今日、私がこうして皆さんにお話ししているのはある重大な事柄について、直接、話しをしたかったからです。現在私たちの祖国は戦争状態にあります。しかしながら、それは果たして我々マジャールの民のための戦争でしょうか?、いいえ違います。これはハプスブルグ家のための戦争です。思い返せば先の大戦の際にも我々の親、兄弟、親友、息子たち…多くの人たちがその命を犠牲にしました。しかし、その結果我々は何を得たのでしょうか?我々が得たのはドイツ人のおこぼれで得たポーランドの統治権だけです。しかし、それが一体我々にとってなんだというのでしょうか、何の価値も無く、慰めにもなりません…』


話を始めたのはハンガリーの野党、独立党党首のカーロイ-ミハーイだった。

カーロイは平和主義的な人物であり、また普通選挙権や女性の参政権など当時としては革新的な改革を唱えていた左派的な人物だった。

カーロイはイタリア王国をはじめとする敵国との和平とハンガリーの独立を主張した。


もちろん、戦時下でのこうした反戦的な演説は取り締まりの対象であり、直ぐに警察が向かった…と、されているが実際に警察が放送局にやってきたのはカーロイの演説が終わった後であり、こうした事実からも当時のハンガリーの厭戦感情を知る事ができる。


実際、カーロイの逮捕後には彼の釈放を求めるデモがハンガリー各地に行われた。そしてそれはハプスブルグ家批判とハンガリー独立を訴えるものへと変わっていった。


オーストリア=ハンガリー帝国の主要構成国であるハンガリーでこのような事件が起こった事はすでにオーストリア=ハンガリー帝国が分裂寸前であるという事を示していた。


そのころ、オーストリア=ハンガリー帝国の同盟国、オスマン帝国でも大きな事件が起きようとしていた。


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