第56話 パリの集会にて
今回は少し短いです。
1915年2月2日 フランス共和国 パリ
「我々としては更なる党勢の拡大の為にも各種宣伝を充実させるべきであり…」
「失礼ですがヴァロワ党首。そろそろ過激な主張も限界では?市民はより安定を望んでいますし、そうでないものは社会主義勢力へと流れているのが現状です」
「いや、我々は議会政治への参加はしない。それは打倒すべき共和制へ屈する事を意味するのだぞ」
「しかしこのままでは…」
セルクル-プルードンの集会において今後の方針について演説をしていた党首のジョルジュ-ヴァロワは、党員の一人から異議を唱えらえた。
実際の所、セルクル-プルードンの活動は行き詰りつつあった。
活動を始めた当初は第一次世界大戦の影響もあり、共和政治に対する不信感も強く、その打倒を目標とするセルクル-プルードンはそれなりに支持を得ていた。だが、すでに大戦が終わって6年。一般大衆の生活が安定し始めると、過激な思想から離れ、より安定した政治体制を望み始めた。
そのため、セルクル-プルードン内部からも方針を転換して議会政治への参加を望む声も出ていたが、ヴァロワはそれを拒否し続けていた。セルクル-プルードンはいまや、分裂寸前だった。
「…私としては将来の勝利のために現在の屈辱に耐えるべきだと思う」
「これは陛下、と後ろの方は誰ですかな?」
「ああ、私の友人だよ。最近知り合ってな」
強硬な態度を取り続けるヴァロワに対し方針転換をするようにやんわりとした口調で告げたのはセルクル-プルードンが王として擁立しているアンジュー公ジャック-ド-ブルボンだった。
「初めまして、ヴァロワ党首。シャルル-ジッドと申します」
シャルル-ジッドの名はヴァロワも聞いたことがあった。
ジッドは高名な経済学者にして消費者協同組合の先駆的提唱者として知られていた。彼は当時の組合運動の多くが生産者である労働者を中心としたものであったことから、消費者の存在が忘れられている現状に不満を持ち、自ら消費組合運動を組織し、より質の良い商品をより多くより安く提供する事を目標としていたが、消費者よりも労働者の立場を重視する労働組合からの反発にあい解散を余儀なくされていた。
労働組合としては労働者の賃金を下げる事に繋がるような価格の値下げには反対であったし、生産量をこなしていればいいのに質を上げる為に余計な仕事を増やされる事も嫌った。過剰労働を要求される事に繋がりかねない大量供給など論外だった。
労働組合主義者ジョルジュ-ソレルの影響を受けたヴァロワとしてはジッドには反対の立場だったが、新たな風を求めていたセルクル-プルードンの多くは好意的だった。もはや、従来の方法では立ち行かないと誰もが解っていたのだ。解っていなかったのはヴァロワのみだったともいえる。
こうして、セルクル-プルードンは議会政治への参加と従来の労働組合運動から消費組合運動を重視した立場への転換を決定する事になる。




