第4話 立憲政友会
1898年6月23日 東京
「いやあ、ついにやりましたな伊藤候」
「うん、まあこれも星君が骨を折ってくれたおかげだよ」
前日に成立した立憲政友会の幹事長星亨と総裁伊藤博文は盃を傾けながらそう言って笑った。
立憲政友会は第二次伊藤内閣時に伊藤内閣に協力した自由党が主流となって結党された新党であり、公式には党益より国益の優先を第一とする伊藤の理念もあって、あえて党ではなく会と称しているが、その実は伊藤が長年目指していた民党に対抗するための新たな政党だった。
しかし、近年では政府と連携する事も増えていたとはいえ、かつての民党勢力の急先鋒だった自由党が政府系政党となったことに、驚く人物も少なくなかったし、自由党内でも反対の声はあった。
こうした反対派を封じ込めたのは星の手腕によるものだった。星はその強引さと利益誘導型政治家の元祖ともいえる手法からその名前をもじって『おしとおる』と呼ばれているような政治家だったが、海千山千の政界を生き抜いてきた機を見るに敏な男でもあり、自由民権運動の英雄ともいえる板垣退助を見限るような形でこの立憲政友会の結党に手を貸していた。
「しかし、気がかりな事もある。最近進歩党の連中が君の事を悪し様に言っとるようだが、我々も他人の事を言えた義理ではないが壮士との付き合いもある。連中が早まったことをするかもしれん」
「まあ、心配ないでしょう。伊藤候のお力添えもありますし、"彼ら"もいますからね」
星はそう言うと窓の外を見た。
月の光に照らされてギラリと光る銀モール。星の言った"彼ら"とはかつて西南戦争で近衛兵、大砲と共に薩摩兵に怖れられ、勇名をはせた警視隊の事だった。
西南戦争後には陸軍との関係もあり一旦は解体されるが、竹橋事件以降、国家憲兵隊としての役割を期待され復活させられていた。その後は1889年に森有礼文部大臣が暗殺されると重要人物の警護係としての役割も与えられるようになっていた。
星は重要人物といえるかは当時の基準ではまだ曖昧なところがあったが伊藤たっての願いで警護が付けられていた。伊藤は星の能力を買っていたし、彼が世間一般でいわれているような人物でないことを知っていたからだった。
後に、この星の警護を切っ掛けとして政府関係者のみならず議員などにも警護対象が広げられていく事になる。
そしてその日も星の期待通り警視隊は任務を全うした。
それから幾度となく暗殺の危機を乗り越えた星は伊藤と共に進歩党と立憲政友会の二大政党制確立に奔走する事となる。
一方で星の持ち込んだ利益誘導型政治という政治手法は猟官制や政財、政軍の癒着を強化する事にもつながるのだがそれはまた別の話である。