第324話 栄華の終わり
1944年11月26日 アメリカ合衆国 トリインシュラ州 ロングアイランド島 サフォーク郡 ブルックヘブン
トリインシュラ州は北部では特に愛国党支持者が多く、それ故に長く繁栄を続けていた州だった。近年では、ニューヨーク市域とそれ以外を結ぶモノレール網の建設などの大規模な土木事業のほか、カムデン造船所でのリベリア共和国への黒人移送用のノーマン-ベル-ゲデスが設計した流線形客船の大量建造などもあり、停滞を続ける北部地域のなかでは別世界に近い場所だった。
そんなトリインシュラ州には、多くの人間が立ち入ろうとしない場所があった。その場所はかつてはキャンプ-アプトンと呼ばれるBOI管理下の敵性外国人の収容施設だったが、近年ではBOIあらためFBIとして従来のBOIのみならず、郵政省から郵便監視業務を引き継ぎ、旧財務省傘下の沿岸警備隊、シークレットサービス(尤も大統領の警護に関してミッチェル暗殺後に新設されたホワイトハウス警察隊が担っており、この頃のシークレットサービスは専ら防諜活動に専念していた)を指揮下に加えた新機関と昨年、新設されたFCI、連邦情報調整局という陸海軍の軍事的な諜報活動までも"円滑な情報共有"の名目で上位組織として監督する政府機関との合同庁舎の建設が進んでいた。しかし、その強大な権力ゆえに愛国党支持者の多かったトリインシュラ州でもFCIの評判は悪く略称が同じFCIである司法省管轄下の連邦矯正施設に因んで非愛国者矯正施設と呼ばれたりととにかく嫌われていた。
だが、FCIを毛嫌いしているのは政府も同じであり、政府機関でありながら機能分散とかつての独立戦争時代の諜報機関であるカルパーリングの所在地に近いという理由によって首都であるワシントンから遠いロングアイランドに庁舎が作られたのも、FCIがどれだけ嫌われているかを示していた。そこまで露骨にFCIが嫌われる原因を作った男がこの日、初めて建設現場を訪れていた。
その名をジョン-エドガー-フーバーといった。
「ふむ、だいぶ出来てきたな」
「ええ、と言っても出来ているのは外装と"保管庫"ぐらいのものですが」
「私としてはそれだけあれば充分なのだがね」
フーバーが冗談めかしてそういうと傍らにいた副官クライド-アンダーソン-トルソンは笑った。
フーバーとトルソンは公私ともに"親密な関係"にあった。そうした関係はアメリカにおいては間違いなく不適切とみなされるものであったが、その"親密な関係"が噂という形で人々の間で広がっていたにも拘らず追及されることは決してなかった。フーバーとトルソンを守っていたのがFBIの管理下にある"保管庫"とその中に収められた膨大な数の個人情報だった。
国内の政財界のスキャンダルを収集したフーバーはそれを全て自らの管理下に置いており、"保管庫"に収められた情報を利用してあらゆる人物を意のままに操っていた。FBIが国内の捜査権から国外の諜報活動に至るあまりにも大きな権限を有していたのも、フーバーが全世界規模の諜報機関を作り上げるという野望を持ちそれを実現させたいと願ったためだった。勿論、愛国党政権にしてもそうした大きな権力を有能だが信用できない人物であるフーバーに与えることには異論もあったが、それを知ったフーバーは中間選挙中に揺さぶりをかけるために愛国党に近しい人物のスキャンダルを少しずつ流出させた。これを受けて反対は沈静化し、結局は飲まざるを得なかった。
「ところで、トルソン君?この後はどんな予定だったかな」
「ああ、その、予定通りならホテルに向かうはずでしたが…少々問題が起きまして」
「問題だと、どこのどいつだ」
「ウェルズです。国務省の」
「ああ、あの…で、それが?」
「それが…鉄道管理局が鉄道内での不品行に関する調査を開始したと」
「どういうことだ。あの一件はすべて我々が仕切って、完璧に処理したはずだぞ」
予定を覚えていながらもあえて勿体ぶりながらトルソンに聞いたフーバーだったが、思わぬ問題発生によりトルソンとの"大事な予定"を台無しにされ、怒りが爆発した。
国務省のウェルズとは現在の国務次官であり、次期国務長官の呼び声も高いサムナー-ウェルズのことで、中南米諸国の駐在経験を多く持つ人物であり、熱心な愛国党支持者としても知られていた。だが、ウェルズにはとある秘密があった。それはフーバーやトルソンとは似て非なる、しかし彼らと同じくキリスト教的価値観の強いアメリカにおいては間違いなく不適切とみなされる趣向を持っていたことだった。しかし、国務省での出世を望むウェルズはそれをひた隠しにしていたが、2年前に鉄道内で自らをおさえきれなかったウェルズは男性乗務員に対して"不適切な行為"を行おうとした。まるで同族嫌悪のようにその手の人物を嫌うフーバーだったが、ウェルズが将来を期待されていることを知っていたフーバーは隠蔽と引き換えに取引を持ち掛けて事件は闇に葬られた…はずだった。だが、ここにきてなぜか2年前の事件の話が蒸し返されたとあってフーバーも大きな衝撃を受けた。
「わかりませんが、とにかく漏れました」
「どこからだ…いや、それはもういい。どこまでだ」
「今は鉄道管理局内部だけのようですが」
「くそ、電話だ。いや、やはり、直接話す。飛行機を」
"大事な予定"を台無しにされた怒りの収まらないフーバーはそのまますぐに車に乗り込んで、同じサフォーク郡のイスリップタウンに建設されたランドルフ-ハースト空港へと急いだ。公私ともに"親密な関係"にあったフーバーとトルソンだったが、合同庁舎の建設が始まって以降はトルソンは監督指揮のためロングアイランドにいることが多く、この日は久しぶりの再会だったのだが、それを邪魔されたことへの怒りは凄まじく、トルソンですら恐怖を覚えるほどだったがフーバーは気にしなかった。とにかく怒りのほうがそれを上回っていたのだ。
そしてそれが命取りとなった。
空港を離陸したフーバーとトルソンを乗せた専用機は"燃料切れ"により墜落した。栄華を築いた男のあまりにもあっけない最期だった。
そしてその後の動きは迅速だった。フーバーとトルソンの死後、直ちに"保管庫"の中に収められた膨大な数のファイルはより厳重な警備を行なうという名目で移送され、秘密裏に破棄されることになる。
実際のところウェルズの調査に関しては、明らかに不道徳な行為にもかかわらず、それを隠蔽しようとしたFBIの姿勢に反発した鉄道管理局職員が良心に基づいて行なった行動だったが、その後の一連の動きの背景にあったのは、愛国党政権全体の危機感によるものだった。
何しろ、フーバーは愛国党以外の情報も多く握っており、いざとなればそれを手土産に保身を図ってもおかしくはない、フーバーがちょっとした揺さぶりのつもりで行なった中間選挙中での動きは愛国党政権関係者にそう思わせた。そこにFBIが秘密裏にウェルズの事件を隠蔽していたと知った愛国党政権はこれを機にフーバーが移動に使う航空機の事故に見せかけた排除をもくろんだ。もちろん失敗すれば、大統領からただの党員に至るまですべてを失いかねない危険な計画だったが、計画は成功したのだった。
その後、新たなFBI長官の下でFCIは解体されたものの、FBIの国内および国外での諜報活動を巡って陸海軍の情報機関がそれぞれ自らが担うべきと主張して争った結果として継続されることとなるという、何とも皮肉な結果となった。
一方でフーバーの死により、それまで抑えられていた国民党をはじめとする非愛国党系政治勢力の活動が活発化したのも事実であり、のちに愛国党政権を揺るがすことにもつながるのだった。
ハースト空港は史実のロングアイランド-マッカーサー空港です。
こっちだとFBIがKGB的役割で、それに加えて陸海軍の情報組織という感じになりそうです。




