表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
313/330

第313話 オムスクでワインを

1944年2月2日 ロシア帝国 ステップ総督府 オムスク

ステップ総督府領の中でも北に位置するこの都市はロシア本土に近く、またロシア人やロシアに移り住んだドイツ人などが多く居住する中央アジアとシベリア征服の前線基地として発展したという歴史的経緯もあって総督府の所在地となり、今でもその中心として機能し続けていた。大戦中は南の英領インド帝国やさらに海を越えて遠くヨーロッパから運ばれた物資の集積場所として街は拡大し、"いつの間にか消えていた"ドイツ人たちに代わって戦後においても依然として続いていたインド地域とのかかわりからインド人たちが多数住むようになり、オムスクは多様な都市へと変貌をしていた。


「いやはや、すごいですな。本国のどの都市よりも立派かもしれませんね」

「モスクワ防衛とペトログラード奪還の英雄である君にそう言ってもらえるとは嬉しいな。軍人として戦功ならば今や君のほうがはるかに上だ」

「それでも私には政治家は無理でしょうな」

「この発展は私の手柄ではない。あくまでも立地と偶然の産物だよ…と、いえば中央は満足してくれるかな?」

「閣下、私はそのようなつもりで…」

「ああ、すまないな。…本当に心まで政治家になってしまっているのかもな。私は」


ロシア帝国陸軍大将ミハイル-ニコラエヴィチ-トゥハチェフスキーに対してそう答えたステップ総督にしてロシア帝国唯一のフィンランド人元帥である親衛隊元帥カール-グスタフ-エミール-マンネルハイムは少し悲しそうな顔をすると、ロシア内戦時のグルジア人の蜂起に対して行われた化学兵器使用によって農地が汚染されたために希少となっているグルジアワインの代替品として好まれるようになっているトルキスタン総督府セミレチエ州産のヴェールヌイワインを一口飲んだ。トゥハチェフスキーとマンネルハイムはかつての部下と上官の関係だったが、フィンランド人であることからロシア陸軍内での出世に限界を感じマンネルハイムが親衛隊に属する道を選んだことで2人の道は全く違うものとなっていた。


トゥハチェフスキーが陥落寸前といわれたモスクワを廃墟となりながらも守り抜き、1940年7月のスヴォーロフ作戦でペトログラードを奪還したことは大きく評価された。いっぽうそのころのマンネルハイムはオムスクに赴任したばかりだった。戦時にもかかわらずマンネルハイムがステップ総督に任じられたのは大戦後期に皇帝であるアレクセイ2世が中央アジア各地の総督府に親衛隊出身者に割り当てていたからだった。これは表向きは戦時下の兵站線の円滑な維持及び警備のためとされていたが、実際には非ロシア出身者の多かった親衛隊が戦功をたてることを嫌った帝国軍からの圧力によるものだった。


そのため、マンネルハイムはかつての部下が戦功を立てるのを総督府のラジオ放送で聞いていただけだったが、それはマンネルハイムが何もしていなかったわけではなかった。ステップ総督府やさらにその南のトルキスタン総督府といった追放先で親衛隊出身者たちは、自らの掲げるユーラシア主義思想に基づいておびただしい流血の上に鋼鉄の秩序を築き上げた、テュルク系諸民族にトゥラーン人という民族概念を叩き込み、ロシアとはスラヴとトゥラーンという2民族からなる国家であるというユーラシア主義の理想を実現させるべく、行政とインフラを整備し、公教育を行なった。


イスラームではなくトゥラーン人という民族概念を前面に押し出した統治は多くのムスリムの反発を招いていたが、総督府の領域を超えての介入は極力控えたため、ヒヴァ-ハン国やブハラ首長国ではイスラーム文化が隆盛を迎え、特にブハラはインド系ムスリムによる投資も合わさって聖なるブハラと呼ばれたかつての繁栄を取り戻す勢いだった。最も南に位置するザカスピ-ブルガール保護領では少し複雑であり、保護領を統治していたヴァイソフ神軍はロシアの後ろ盾を必要としており、親衛隊に積極的に人員を送り込んでいたが、神秘主義教団でもあったためユーラシア主義とイスラームを融合させた独特な統治をおこなっていた。


ともかく、そうした戦時中の様々な活動が戦後にオムスクの煌びやかな繁栄として形になっていたのだが、そうした繁栄が続けば続くほどロシア本国の危機感は強まっていった。


地下に潜ったかつての黒百人組の残党などは親衛隊の中央アジア統治を新たなタタールの軛のための下準備として誹謗中傷したし、一般のロシア人の中にもいまだドイツ軍による侵攻の爪痕が残る中で属領であるはずの中央アジア地域が更なる発展を遂げている状況が面白いはずなかった。


「そうだ、今日はコクパルの試合があるんだ。見ていくといい」

「そうですか、では閣下もご一緒に」

「いや、私は…うん、まぁ、そうだな、行くとしようか」


英領インド帝国保護領アフガニスタンのブズカシなどと同様の馬に乗って山羊を奪い合う競技は中央アジア各地に存在し、カザフ人の間で行なわれるコクパルもその一つだった。総督府ではコクパルのような伝統的競技のルールや競技場を整備してプロスポーツ化を行い、その選手たちを称えることで、総督府への不満のガス抜きに利用しようとして全面的に後押ししていた。


「そういえば、閣下も出られるので」

「さすがに歳だからな…君はどうだ」

「遠慮しておきます。最近はもっぱら装甲指揮車かこうした公用車ばかりだったので、馬にはもう何年も乗ってませんよ」

「そうか、残念だな」


そう言いながら、2人は公用車へと乗り込んだ。その日、突如として総督とロシアの誇る英雄が現れたことで競技会場では混乱が生じたが、そうした混乱をよそに2人の顔は終始笑顔だったという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ