第279話 第2次世界大戦<15>
1940年7月に入るとロシア帝国による夏季攻勢であるスヴォーロフ作戦が始まった。すでに廃墟と化していたペトログラードを解放するとロシア軍は西へと進撃していった。また、同時に南からはアルメニア共和国軍とイギリス領インド帝国軍がコーカサス方面から攻勢を行なった。これらの攻勢には大清帝国から参戦した部隊(軍閥)が加わっていた。
もう一方極東の近代国家である大日本帝国は同盟国であるフランス共和国からの要請に従って、南フランスおよびイタリア半島へと派兵されていた。どちらもドイツ軍が出血点とするために攻勢を仕掛けている場所であり、フランスとしては自国民の被害を抑えるためには仕方がないと考えてのものだった。
西で守勢、東で攻勢というこの大協商の戦略は、ドイツ軍に打撃を与えたが、それは物理的な損害というよりも、心理的な面が大きかった。ドイツ軍内部に存在していた2つの派閥、ドイツ閥とポーランド閥の間に決定的な溝を作り出したのだった。西方を担当するドイツからすれば守勢となった西部戦線の大協商軍を打ち破るべく更なる戦力を要求し、逆にポーランド側は東部戦線の防衛のための増強を要求していたが、東部戦線にて戦かっている相手がドイツからすれば、ロシア人も含めて2流の東洋人であったことを理由に、ポーランド側の要求は無視され、西部戦線への増派が決まった。
これはドイツ自由社会主義共和国の本土ともいえるドイツ各地が空爆されているのに対し、ポーランドは比較的損害が軽かったことから、戦後のポーランド優位を予測するものが多く、それゆえドイツ閥としては戦場での華々しい勝利に縋る他なかったためだが、あまりに露骨すぎる動きが逆にポーランド側からの大きな反発を招いた。
しかし、ポーランド閥としても容易に降伏、または停戦しようとは考えなかった。
自らがロシアにおいて文化財の収奪、非戦闘員に対する犯罪行為、軍事的価値は無意味な破壊行為などを行ないすぎており、ロシア人の怒りを買いすぎていたことと、自らの戦争目標としてヤギェウォ朝時代の領土の回復を成し遂げようと考えていたため、ロシアからの安全保障と領土のできる限りの維持の確約がなければ、裏切るつもりはなかった。
この問題に対しては大協商内部でも意見が分かれ、ポーランドに対する復讐に燃えていたロシア、そのロシアと婚姻を通じて縁戚となったイギリスは強いポーランドを残せば社会主義の脅威は消えないとして、穀倉地帯であるウクライナなどからたたき出した上での講和を望んだが、速やかなドイツの降伏を望むフランスとベルギー、イタリア、スイスそれにイベリア半島での戦いにおいてフランスに恩義のあるスペイン及びポルトガル、望まぬ参戦を強いられている日本と清国はポーランドの懐柔のために条件をのむべきと主張した。戦前から経済的、軍事的に強いつながりのあった清国がイギリスの意見に同調しなかったことはイギリス内部にそれなりに大きな衝撃を与えることになったが、それだけであり、議論は平行線だった。
そして、こうした意見対立で交渉が長引く間にも戦いは続いていた。それはそれまで以上に両陣営の新兵器を投入したものとなった。
それまで、艦隊保全主義を決め込んでいたドイツ人民海軍が新兵器を使った散発的な攻撃を繰り返すようになっていた。ゼーフントと呼ばれるそれはイタリアから亡命した社会主義者にして航空技師である、ロベルト-バルティーニが開発した表面効果翼機であり、従来の魚雷艇以上の高速で接近して、ロケット弾や従来の魚雷よりも高速なヴァルター魚雷による攻撃を行なった。また、36センチ無反動砲を搭載した航空機を装備したドイツ人民空軍の特別部隊であるゾンダーコマンド-エルベによる対艦砲撃も行なわれた。
大協商陣営ではイギリス海軍を中心に電波探知器による警戒網を構築するほか、普及し始めていた電子式計算機を利用した素早い迎撃網を構築することを目指したがすぐにできることではなく、当面は守勢に回った。
空においても、ドイツ側がクルップやラインメタルが作り出した15センチから24センチまでの自動装填装置付き大口径砲の多数配備によって、緻密な防空網を大都市圏を中心に構築していったが、従来の爆撃機による損害が多数にのぼりはじめるとイギリス人はそれらの最新の防空兵器をも突破する新兵器を投入した。
秘匿名をブラックロックという地対地弾道弾であり、英本土から直接ドイツを攻撃できるこのロケット兵器はイギリス宇宙飛行研究協会をはじめとするイギリスのロケット技術者が作り上げた当時最高峰のロケット兵器だった。当時の技術ではブラックロックを迎撃することは不可能に近く、こうしてドイツははじめて対抗手段がないままに一方的な攻撃を受けることになった。
一方のイギリスからしてもブラックロックは非常に高価であり、容易には運用できない代物だったが、しかしこのような革新的兵器の運用及び製造を他国に任せることもできなかったため、要求される攻撃目標に対して生産数が足りないという状況となった。
こうして、ドイツ本土への上陸作戦が検討されるようになり、陽動として今まで未参戦を貫いてきたバルカン諸国に対しても参戦を求めるために外交攻勢が仕掛けられるようになるなど、緊迫した状況が続くことになる。




