第259話 松明と紫煙
1937年12月21日 リーフ共和国 アジール 大統領官邸
旧スペイン統治時代にはただの寒村に過ぎなかったアジールには今やアメリカ合衆国の支援の下、多くの壮麗な建造物が立ち並ぶようになっており、その中でもひときわ目立っていたのがアメリカ公使館であり、それに次ぐ大きさの建物が大統領官邸だった。
そんな大統領官邸に、客人が訪れていた。駐リーフアメリカ公使であるクロード-パワーズだった。もともとは駐スペイン大使と兼任だったがイベリア半島での戦いにより、スペイン王国から追放されるとリーフ公使としての役割のほうが強くなっていた。
「では、帰還を認めるつもりだというのですか」
「ええ、大統領は古来からの友好国の訴えを無視することはわが合衆国の信義に反する行為であると」
「しかし、ご存じでしょう、彼らが我々を長年支配してきた歴史を持つことは」
「それは知っています。しかし、その点についてはある程度の妥協を行ないました。ご安心ください、大統領閣下」
異議を許さない、威圧するような口調でご安心くださいと告げた後、まったく敬意感じさせない口調で大統領閣下と敬称を口にしたパワーズの言葉にリーフ大統領であるアブド-エル-クリムは自らの治める共和国が所詮はアメリカの庇護のもとでしか存在できないようなものであることに対して、わずかな不満と大きな悲しみを感じたがそれを表に出すことは決してなかった。そうしてその後いくらか雑談を交わした後パワーズは去っていった。
(松明などと…これほど欺瞞に満ちた作戦名もないな。連中が望んでいるのは単なる小火騒ぎだろうに)
パワーズが去ってからクリムは黙考を続けた。
パワーズがクリムのもとに来たのは松明作戦と呼ばれる作戦が実行に移されること、それに伴ってモロッコ王国の旧王族であるムハンマド-ベン-ユースフがモロッコにおいて復位を宣言すること、1777年以来の友好関係であるアメリカ合衆国政府はこれに対する積極的な援助を行う用意があること、状況によってはリーフに対しても何らかの行動を求める可能性があること、の4点を伝えるためだった。
これに対しクリムは当初、モロッコがこの地域のベルベル人たちを支配してきた歴史に触れて拒もうとしたが、結局は押し切られてしまったのだった。パワーズはこの松明作戦の意義をアフリカ植民地に自由の灯をともすための作戦であり、民主主義の勝利のための輝かしい一歩であると説明していたが、クリムはこの説明を全く信じていなかった。
実際のところ、ホワイトハウスがこれまで全く手を付けていなかったアフリカ地域での戦線構築に乗り出したのは夏に遠く極東での台湾攻防戦において敗北したことが原因だった。アメリカ側は撤退をフィリピン防衛の強化のための転進であるとし、大日本帝国と大清帝国に対しては引き続き、フィリピンからの戦略爆撃により打撃を与え続けることができると説明していた。
実際、台湾を奪回したからといって、アメリカ軍の爆撃が収まる気配はなくむしろそれまで以上に市街地やインフラ設備に狙いを定めるようになっていっただけであり、防空にあたる日清両国の航空隊関係者は頭を抱え続けることになる。反アメリカのフィリピン現地人組織への援助も行われていたが、とくに成果はあがっていなかった。
その理由は旧スールー王国などを南部のムスリムを中心としたイスラーム系組織を援助するのか、北部のキリスト教徒を中心とした旧フィリピン共和国系組織を援助するのかという意見の対立があった。前者は石油資源確保の意味合いから将来の蘭領東インドの独立も視野に入れてムスリムとの連携を深めたい海軍系の情報機関である明治通商のトップであり、自身も長くロシア帝国に駐在していたことから近年のユーラシア主義の隆盛に伴ってイスラームに興味を持っていた高野五十六が、後者はかつてフィリピン独立運動にもかかわった玄洋社とつながりを持つ陸軍の情報将校である廣田弘毅が主張していた。結局、意見をまとめきることができず結果的に各地の組織に無計画な援助が行われたことから、成果としては全く不十分なものに終わってしまったのだった。
こうして台湾戦以降日本およびアメリカともにアジア方面では動きが鈍っていた。例外はややアメリカ有利で進んでいたオーストラリア戦線がイギリス地中海艦隊から抽出した戦力の派遣とオーラリア側の決死の抵抗によって、再び、激しい攻防戦となったことぐらいだった。
だが、アメリカは戦う意思を失っていたわけでは決してなかった。
アメリカが注目したのは、イギリスおよびフランスを支える各地の植民地だった。特に影響圏のアラブ地域及びアフリカの植民地での騒乱を誘発することにより地中海方面での新たな戦線の構築と最終的にはヨーロッパでのドイツとの握手をもくろんでいたのだった。
リベリア共和国では、世界黒人開発協会アフリカ会連合の流れである黒人至上主義が支持を広げていたこともあり、特に同じ英語圏であるイギリス植民地に対して多数工作が行われることになる。植民地政庁もこうした動きを警戒していたが、基本的に現地人は自分たちと対等に渡り合える相手ではないと考えていたため、イギリス本国の動きは鈍かった。
植民地政庁がそうした足踏みを重ねている間に、現地人たちはアメリカで製造された武器や無線機を持ち、文字の読めないものでもわかりやすいようにと発案されたイラストを使った教本でゲリラ戦術を学び、力を蓄えていった。もちろんこうした動きが警戒されないようにとイベリア半島各地では大規模な空爆が行なわれ、アメリカ軍による上陸作戦は近いという偽情報が流された。こうして、むしろアフリカ方面の動きをイベリア半島での作戦を成功させるための陽動であると見せかけていたのだった。
(しかし、困るなぁ、せっかく先が見えてきたのに)
そう考えながら、クリムは執務机の横の引き出しを開けて葉巻ケースをながめた。キューバ産の高級葉巻でハバナと呼ばれるものだった。これらの入手は今やアメリカと敵対する地域では難しくなっていたが、それこそが弱体極まりなかったリーフ経済を成長させる起爆剤となっていたのだった。
愛煙家たちにとってハバナをはじめとするアメリカ勢力圏からの輸出の途絶は死活問題であり、必然的に闇ルートからの購入を強いられた。その闇ルートを仕切っていたのが、アメリカに根を張ったユニオンコルスであり、中継拠点の一つとなったのがリーフだった。
やがて、こうした"正規"の闇たばこに加えて、どこでできたかわからない、文字通りの闇のものが溢れかえるようになるまでそう時間はかからなかった。
その種類は雑多だった。ギリシア=トルコ連合で丹精込めて作り上げられた対オスマン帝国戦争以前のトルコたばこを思わせるような良質なトルコ葉で作られたものから、メキシコ及びグアテマラの政治的駆け引きによっていまだ事実上の独立を維持していたチアパス及びロスアルトス自由地域のお世辞にも品質がいいとは言えぬものまで、リーフを通れば全て"ハバナ"になった。
イギリスとしてアメリカの戦争経済を支える存在となっていたこうした闇ルートを潰すべく、国民に対してはこうしたアメリカ勢力圏のものより、自国植民地で栽培されたものを吸うように呼び掛け、闇製品撲滅キャンペーンとして大衆紙デイリー-メール退社後、辛口の保守系政治評論家として人気を博していたウィンストン-レナード-スペンサー=チャーチルが英領インド帝国のティルチラーパッリ近郊のディンドゥッカルで生産されていたトリチノポリ葉巻を吸う様子をポスターにして啓発を行なった。葉巻愛好家として知られ、特にハバナを好むことで有名だったチャーチルがトリチノポリ葉巻を吸う姿を見せることで、嗜好の転換を狙ったものだったが、のちの歴史家の調査によると当のチャーチルが闇ルートから仕入れたハバナを時折吸っていたことがわかっている。このことからもわかる通り、イギリス政府の目論見は完全に失敗していたのだった。
こうした個人の嗜好までもを統制しようとする動きに着想を得て、イギリス国内でプロパガンダを制作していたエリック-アーサー-ブレアが『1973年』というディストピア小説を執筆することになるのだが、それはまた別の話だった。
こうして、アメリカとヨーロッパのはざまで一時の繁栄をリーフにもたらした闇ルートだったが、アメリカ側からの行動によってそうした闇ルートは閉ざされようとしていた。現在の闇ルートはリーフとその周辺植民地が比較的安定した状況であるからこそ成立していたものだったからだ。
大統領であるクリムといえど、今後、リーフがどうなっていくのか全く読めなかった。だが、それはごく自然なことだった。それが世界大戦というものだったからだ。
史実でパワーズがスペイン大使になったのはFDRと関係があったからですが、リコンストラクションを否定して黒人は白人に隷属するのが自然であるとする本を書いてる人間なので、愛国党政権下で大使やってても割と違和感がない…
そんなわけで何とか年内に書き上げたので投稿しました。間に合ってよかったなぁ。来年もよろしくお願いします。