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第255話 第2次世界大戦<5>

1936年が終わり、1937年になってもなお世界大戦は未だに続いていた。


この時点で、ドイツ自由社会主義共和国は東部と西部の2つの戦線を抱えていたが、西部戦線ではイギリス、及びフランス軍は頑強な抵抗を続けていたのに対し、東部戦線のロシア軍はドイツ軍の前に敗北を繰り返すばかりだった。


戦場となったウクライナ及びベラルーシの大衆たちはロシア帝国政府に対して反感を強めており、自発的な輸送の妨害などの抵抗活動によって、ロシア軍の補給線は弱体化していたからだった。それでも、大規模な敗北に至らなかったのは単にドイツ内部でのポーランド閥とその他による政治的確執があったからだったが、それでもロシア側の苦境は変わらなかった。


一方南アメリカでは11月に行われたワシントン空襲もあって、アメリカ合衆国によるペルー共和国、ボリビア共和国、ベネズエラ共和国、アルゼンチン共和国に対する支援が本格化するが、それに対してブラジル合衆国、パタゴニア執政府、エクアドル共和国、コロンビア共和国、チリ共和国といった敵対国家の側はイギリス、及びフランスからの支援により体制を強化するとともに、それなりの国力を有していたブラジルとチリ、パタゴニアでは兵器国産化に向けた努力も本格的に進められていく事になった。南アメリカでの戦闘に対してアメリカ軍の直接介入という状況が生まれなかったのは、未だにカナダでの戦闘が続いていたからに他ならなかった。


カナダ各地の港湾部にはアメリカによって磁気感応式機雷が敷設されたが、これに対してイギリスの発明家であったジェフリー-パイクが氷山輸送船なるものを考案した。これはカナダの冷涼な気候という利点を生かし、パイクリートと呼ばれる特殊な氷で船体を作る事により触雷してもすぐに修復が可能な輸送船を作ろうとしたものであったが、最終的にはカナダの化学者であったチャールズ-フレデリック-グッドヴが開発した消磁技術を使って解決された。


もっとも、パイクの発明の中にはわずかばかり実用化されたものもあり、負傷兵運搬用のサイドカーなどがあった。またパイクのいとこであるマグナス-アルフレッド-パイクの提案によって国民の食糧事情の改善の為輸血用血液を使ったブラッドソーセージが作られ配給されることになった。


しかし、こうしたカナダにおける戦争継続の為のイギリス側の努力はアメリカ側からすればカナダ人の抵抗が長続きするする事を意味しており、すぐに終わると思われていたカナダ戦の継続は、アメリカにとって大きな心理的な負担となった。


一方、占領下にあるカナダ西部にしても、終わらない戦争とアメリカ軍の軍政に対する不満が強まっており、これらの地域では徐々に東部のカナダ政府と連携して抵抗活動を始めるものも現れたが、これはアメリカの強い反発を招き、その抵抗活動を抑え込むために更なる増派を行ない、その負担に耐えかねた現地住民たちが抵抗活動に協力するという悪循環が続いていく事になる。


こうした状況ではあったが、この時点ではお互いが勝利を確信していた。

なぜならば、アメリカはカナダを抑え、オーストラリアを征服し、弱体な南アメリカの国家群と大日本帝国及び大清帝国を降伏に追い込めば、そのころにはヨーロッパ方面ではドイツが勝利を収めているだろうと考えていたし、ドイツはパリを落とせばフランスは降伏するだろうし、支配下にある各民族の蜂起がおこりつつあるロシアはその後でゆっくりと征服すればいいと考えていた。ヨーロッパ以外については考えてすらいなかった。


要するにアメリカは基本的には極東での権益の維持を除けば対イギリス戦しか考えていなかったし、ドイツは対フランス戦しか考えていなかったおらず、ロシアやアジア、南アメリカなどはそのついででしかなかった。


対するイギリスおよびフランスだが、こちらに関してはイギリスがややドイツに対して、フランスがややアメリカに対して、それぞれ勢力均衡と共和主義的な親近感などから多少は穏便な対応を暗に求めてはいたものの基本的には相手を叩きつぶすまで最後まで戦うという方針で一致していた。それは綻びが見え始めていた自らの大国としての地位を守り抜こうとする最後の足掻きでもあった。そのため、彼らは持てる手段を総動員し始める。


それまで単なる兵士の供給地としか見られてこなかったイギリス領インド帝国では現地資本家層を中心に大規模な工業化が進展し、イギリスのみならず、ロシアや清国などにも鉄道を通して物資が供給される事になる。中でもタタ-ロコモーティブ製のトラックは貧弱な両国の兵站を支えるという目立たないながらも重要な役割を担ったことから、戦後しばらくは清国でタタといえばトラック全般の事を指す代名詞になったほどだった。


一方、フランスでは膠着した戦局による厭戦気分の高まりを防止するべく、社会保障制度の拡充や政府の介入による積極的な労使協調を推し進めるとともに、あくまでも将来的なものとしながらも植民地改革を進める姿勢を打ち出した。


具体的には各植民地の再編とその自治を前提としたものであり、フランス内部でもこれらの改革に対する反発は強かったが、タルデューは改革にこだわった。タルデューの念頭にあったのはアメリカの庇護下で何とか生きながらえていたポルトガル共和国を利用してイベリア半島に介入して見せた昨年のアメリカの動きであり、そしてそのアメリカの庇護下にあるリーフ共和国とリベリア共和国の存在だった。

リーフの国民の多くは北アフリカ各地にも居住するベルベル人であり、リベリアでもアメリカから渡ってきた黒人至上主義的な帰還運動が力を持っている事から、これら2国が動いた場合、北アフリカ及び西アフリカの植民地での混乱は確実であるが、現状のフランスに余力が無い以上イギリスの協力を求めなければならず、そうなった場合、ドイツに勝ってもイギリスの風下に立つことになり、フランスは永遠の2流国家に落ちぶれる、とタルデューは考えていた。


それを避ける為には今、混乱を起こさない事が重要であり、だからこそタルデューは多くの反対を押し切ってまで改革を進める事としたが、それでも反対は根強く、結局悪名高い強制労働制度の廃止などいくらかの政策に限定されてしまった。


そのためタルデューは別の策、つまり、それまで対立を続けてきたイタリア王国との和解というそれまででは考えられなかった行動を取る事にした。1937年1月27日に急遽ローマを訪問したタルデューはイタリア首相を長きにわたって務めるヴィットーリオ-エマヌエーレ-オルランドと会談した。これにより、フランス側は旧スペイン王家の帰還こそ認めなかったが、その地位に"一定の配慮"をする事を約束し、イタリアは改めて自国による現スペイン政府の転覆の意思が無い事を主張しつつも、そうした行動に関わったものに対しては厳重に処罰する意向を示すとともに、"現状の秩序を脅かす勢力"との戦いに対する"支援"を表明した。

これはイタリアの友好国であり今まさに窮地に立たされているロシアと社会主義者との戦闘が長期化している事を憂慮するヴァチカンの仲介によって行われたものであり、東西両教会の長が揃って仲介を行なうのはまさしく異例だった。


この時、フランスの側は対ドイツ、アメリカに対する開戦を望んだとされるが、中立国であるイタリアの事情もあり義勇兵派遣や兵器供与という形で落ち着いたとされる。とはいえ、このイタリアの親英仏的とも言える方向転換によって世界はより激しい戦火にさらされる事になる。

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