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第244話 2つのクーデター

1934年5月1日 ドイツ自由社会主義共和国 ベルリン

夜明け前のベルリン市街地を停止している軍用車両の車列があった。彼らはドイツ空軍降下猟兵だった。


アメリカ合衆国との交流によってもたらされた海兵隊空挺部隊の情報に基づいて設立された降下猟兵はその名の通り空挺部隊であり、ドイツ空軍が有する唯一の陸戦部隊でもあった。


「同志シュトゥデント、今日にはパレードが行なわれるというのに警備の応援とは…」

「同志スコルツェニー、そう言いたい気持ちもわかるが我々が軽視されているわけではない…と思う。それよりも慣れない警備任務だ。新入りたちの顔でも見に行けばどうかね?」


上官であるクルト-シュトゥデントの言葉にオットー-スコルツェニーはきっちりとした敬礼をしてその場を立ち去った。


「…なんだ」


歩いていると後ろから異音と異臭がした。


その正体はすぐにわかった。ミース-ファン-デル-ローエによって設計された特徴的な近代建築の一つ、人民評議会議長官邸が火を噴いていたからだった。


その知らせを受けた人民軍の動きは奇妙なほどに迅速だった。


まず、ベルリン全域に治安維持のため出動し、即座にルドルフ-シュタイナーが設立し、世界中に信徒を抱える組織である人智学協会のベルリン支部が制圧された。社会主義国家であるドイツに宗教組織である人智学協会が存在していたのは伝統的キリスト教へのけん制のためだったが、制圧後にその中から発見された"計画書"によるとその一方で亡命ドイツ人たちとつながってリープクネヒトの暗殺とその後の反革命叛乱を企てていたことが"判明"した。

即日これをもとに全ドイツで容疑者の拘束が行なわれ、その3日後にはスパルタクス団の最古参構成員の一人ではあったものの革命中にケムニッツでの運動を指導したこと以外は特に目立った実績も無かったフリードリヒ-カール-ヘッカートがリープクネヒトの後任として議長に就任した。ドイツ国内ではこの人事に対し様々な憶測が流れ、不満の声も聞かれたがそれが公にされる事は無かった。


当初より、リープクネヒトが官邸にいる時間を狙って正確に放火が行なわれ逃げる暇も無く焼死したという状況から内通者がいる事は確実とされたが、奇妙な事にヘッカートへの反対者たちにその疑惑が浮上し次々と新設された人民法廷へと突き出され、多くの者は批判よりも口を閉ざす事を選んだ。ヘッカートを簒奪者と呼んだローザ-ルクセンブルグなどは人民法廷裁判長であるエルンスト-テールマンにより危うく死刑の判決が下されそうになったところで、批判された側のヘッカートの介入により死刑を免れて収監された。

しかし、批判したものも口を閉ざしたものも共通して一つの真実に気が付いていた。それは本当の権力を握っているのはヘッカートではなく人民軍元帥エーリヒ-ルーデンドルフであるという事だった。


こうした事から後世の歴史家からは、リープクネヒトの死亡からヘッカートへの権力移行をルーデンドルフによるクーデターと呼ぶ者もいる。


この一連の事件に対して各国は特に動きを見せなかった。

アメリカは投資先の体制が引き続き安定していれば満足だったし、イギリスはアメリカとの対立に忙しく、フランス共和国とオランダ王国、そしてベルギー王国はドイツに対し脅威を感じてはいても、それぞれ確執があり一致した行動を取る事が出来なかった。ロシアに至ってはシベリアでの軍事作戦で主力を拘束されているため、逆にドイツから西側の国境地帯を守るために着の身着のままの民兵を動員する有様だった。


こうして、ルーデンドルフが主導した実質的なクーデターは誰に邪魔される事も無く終了したのだった。


1934年6月12日 パラグアイ共和国 アスンシオン

パラグアイはスペインからの独立後、鎖国や異人種間の強制結婚などの風変わりな政策をとったホセ-ガスパル-ロドリゲス-フランシアの統治を経て、その後を継いだフランシアの甥であるカルロス-アントニオ-ロペスの指導の下で独自の近代化を進めるが、ロペスの息子であるフランシスコ-ソラーノ-ロペスはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの3国と戦って敗れ、国土の4分の1と人口の半数以上を失っていた。ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの背後には経済的自立を保っていたパラグアイの勢力圏化を目論むイギリスの思惑があったため、20世紀に入りアメリカのタフト政権が行なったドル外交を皮切りにアメリカ資本によるイギリス資本の駆逐が進むと一時的にはパラグアイ国民は喜んだが、それもすぐに裏切られる事になった。


発端は隣国ボリビア共和国との係争地域であるチャコ地域だった。


チャコ地域に有望な油田があるという仮説は良く知られていたが、チャコ地域はボリビアとパラグアイの係争地域でもあり、石油の採掘に関しては両国の合意が必須だった。


しかし、アメリカ企業の多くは内情が不安定なパラグアイよりもより安定したボリビアに対する投資を望んだこともあって、チャコ地域領有問題はボリビアに有利な形で解決された。これによりパラグアイでは反ボリビア、反アメリカ感情が高まった結果、親アメリカ的なアルゼンチンと敵対するパタゴニア執政府の承認を行なったが出来るのはそこまでであり、実質的にはアメリカの従属したままだった。


だが、近年アメリカとイギリスの対立が激しさを増すと、これを利用して自立する事を目論む将校たちがパラグアイ軍内部で力を付けていた。


そして、この日、こうした将校らによって指揮されたクーデターによってダニエル-サラマンカ大統領は追放され、代わってラファエロ-デ-ラ-クルス-フランコ=オヘダ大佐を大統領とする臨時政府が成立した。


一方、隣国のボリビアは新政権への対応を巡っては意見が分かれていたが、パラグアイ側がチャコ地域の全てをその領土であると宣言すると、パラグアイを武力で制圧しボリビアの主張を飲ませるべきとする意見が多数を占めるようになり、9月9日にはボリビア側からの攻撃によって、南米大陸でも戦火が燃え広がる事になる。

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