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第242話 シベリア侵攻

1933年5月15日未明、ロシア帝国軍が極東社会主義共和国との境界を突破し、一斉に侵攻を開始した。


未だに極東社会主義共和国を国家として認めていないロシアでは東シベリア及び極東地域における社会主義者による反乱鎮圧のための軍事行動、極東側では大祖国戦争、他国ではシベリア侵攻、またはシベリア出兵と呼ばれる軍事侵攻の始まりだった。


ロシア側の動きに対して極東側が全く気が付いていなかったか、といえばもちろんそのような事は無かった。


その後の調査によれば、3月下旬ごろよりロシアの作戦準備は極東側の諜報員の知るところとなり、責任者であるヤン-カルロヴィチ-ベルジンから政府へと伝えられていたとされる。


しかし、この報告を受けた極東政府では先制攻撃を主張する陸軍人民委員ミハイル-ヴァシリーエヴィッチ-フルンゼに対して国家経済人民委員であるニコライ-ドミトリエヴィチ-コンドラチェフ及び重工業人民委員であるアレクセイ-カピトノヴィッチ-ガースチェフはあくまで平和的解決を主張した。


フルンゼが先制攻撃を主張したのは純粋に軍事的な考えに基づいての事だった。一方、コンドラチェフとガースチェフの反対は極東の経済的事情、つまり、友好国であるアメリカ合衆国からの投資に影響が出るのではないかという点を心配しての事だった。議論は平行線をたどったが、最終的に国家主席であるエヴゲーニイ-イワーノヴィチ-ザミャーチンの判断において極東側からの軍事行動を控えるという方針が決まった。


こうして極東側は5月15日という日を全くの無防備で迎える事になり、境界線に張り付けていた部隊の多くを失う事になった。極東政府にできる事はロシア側の侵略を批難し、友好国に向けて停戦に向けた仲裁を依頼する事だけだった。


この極東からの依頼に対して積極的な行動を行なったのが自国資本が進出していたアメリカだったが、ロシア側の要求は極東の社会主義者の殲滅とその領土の再併合にあったため、アメリカの仲裁提案はまるで意味をなさなかった。しかし、こうしたロシア側の態度がアメリカを極東側に追いやる事になった。何しろ多くのアメリカ人から極東は"独立した民主国家"でありその極東を潰そうとするロシアという時代遅れの専制国家に対してアメリカ人は明確な敵意をもって接するようになっていった。


そしてそうした敵意が最も明確に表れたのがその手に武器を持った義勇兵たちであり、開戦から1月もたたないうちに多くの義勇兵たちが海を渡ることになった。こうした義勇兵に対してロシア側は抗議したが、アメリカ側は耳を貸そうともしなかった。


海を渡ったのは義勇兵だけではなく、極東正規軍に供与するための様々な武器もそうだった。とくにアメリカ製の電波探知機は遠方より敵機を探知する事が出来るために、同じくアメリカ製の航空機を装備した極東陸軍航空隊によって多くの軍用機を失った。ロシア空軍は特に貴重なシコルスキー社製の4発重爆を失うのを避ける為に出撃禁止命令を出すほどだった。


陸でもロシアは新たな脅威に直面していた。アメリカ製装甲車両を改造した対戦車自走砲の群れだった。これらのアメリカ製装甲車両は歩兵支援を目的とした古い設計思想に基づいて作られているものが多かったが、極東陸軍はこれに高射砲や艦載砲を搭載する事により、即席の対戦車車両とする事でロシア陸軍の戦車部隊に対抗した。これらの車両は密閉されておらず化学兵器を使用した攻撃にはもちろんのこと通常の手榴弾などでも撃破される危険のあるものだったが、搭乗員たちは勇敢に戦った。


こうした極東側の反撃によりティンダにおいて一進一退の攻防が繰り広げられることになり、ロシア側の進撃は開始から半年ほどたつ頃には完全に停止した。さすがにシベリアの厳冬の中で進撃し続けろ、とはアレクセイ2世も言えず、ロシア軍と極東軍は共に冬に向けて陣地構築を行なうしかなかった。


しかし、これで諦めるロシア側ではなかった。

ロシアは極東の背後に目を向けた。つまり、オホーツク海の向こう側の国家である大日本帝国だった。ロシア側は連日、極東に巣くう社会主義者の危険性とその背後のアメリカの脅威を買収した新聞や著名人の講演によって説き続けた。中でも有名なのが『アムール川の流血』事件であり、これはロシア帝国親衛隊に従軍していたアジア系兵士をアジア系であるというだけで虐殺し、アムール川を血で染めたという事件であり、ロシア側の完全なねつ造だったが、大日本帝国の世論は沸騰し、反極東、反アメリカの機運が高まった。


これを知ったロシア政府は続けて欧州各国に反社会主義十字軍の結成を説いたが、これには友好国であったイタリア王国でさえ賛同せず、結局、各国からいくらかの有償兵器援助が行なわれるにとどまった。


しかし、この反社会主義十字軍結成の動きを知った一人の男が動き出した。その名はエーリヒ-ルーデンドルフ、ドイツ人民軍元帥であるルーデンドルフは各国が未だ体制を整えぬうちに迅速に動く事を求め始めた。しかし、それは安定策をとるカール-リープクネヒトの事実上の排除を意味しており、両者の対立は遂に修復不可能なものになりつつあったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルーデンドルフ X リープクネヒト やっぱり名前の感じではルーデンドルフが強そうですね。 ピストル一丁で行政府占領するのではないでしょうか。 ワクワクしてきました。 [一言] 日本はこの時…
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