表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
223/330

第223話 マドリードの酒場にて

1925年1月14日 スペイン王国 マドリード

スペイン王国はカルリスタの内戦勝利とアルフォンソ13世のイタリア王国への亡命によって、ハイメ3世を唯一の国王とする新体制へと移行していた。これまでと違うのはその統治が各地域の自治を認めていた事であり、これはそれまでのスペインが進めて国家統合策とは真逆のものであった為に、スペインの変化を国民は肌で感じる事が出来た。


もちろんこうした変化は内戦においてカルリスタ側についたカタルーニャ、バスク、ナバラなどの地域にのみ認められたものであり、それ以外の地域には適応されていないものだったのは言うまでもない。


そんな新たなスペインの象徴であるハイメ3世を悩ませていたのは隣国、フランス共和国とポルトガル王国だった。フランスは自身の王号の中に全ナバラ地域の王と名乗ったがためにピレネーの向こう側にまで野心を持っているのではないかと疑われた事と、政権の中枢からは遠ざかったものの現在も各地で協同組合の組織などで活躍しているジョルジュ-ヴァロワをはじめとする、かつてのセルクル-プルードンの面々が活発に活動していた事からその事に対してもフランス政府が警戒を強めていたからだった。その為、スペインとしては当初、フランスよりも同じ王国であるポルトガルとの関係を正常化すべく急いでいたのだが、こちらも直ぐに頓挫してしまった。


その理由はシャルロッテ=アマーリエ会議の結果定められたガリシア地域の処遇に関してだった。

会議の結果、スペイン、ポルトガル双方と関係が深いガリシアに関しては住民による投票によって決定されるとされたのだが、その結果ガリシア地域では、スペイン派、ポルトガル派、独立派の三派が争う事になった。

まず最初に脱落したのは独立派だった。ただでさえ、独立国家として考えれば乏しい国力しかないにもかかわらず、内戦で傷付いた産業を復興しながら、独立国家として歩むのならば必須である国防や外交にも取り組まなければならないというのは想像を絶する負担であり、それを可能にするだけの人材も支援してくれるような国家もない以上諦めざるを得なかった。


そうして残ったのはスペイン派とポルトガル派だったが、ポルトガル派はかつてのスペイン政府によるガリシアへの度重なる弾圧を引き合いに出して、スペインへの不信感を煽り、言語的及び文化的にも近いポルトガルこそがガリシアの属するべき国家だと訴えた。一応はカルリスタ側に属して戦ったとはいえ、それは全てアルフォンソ13世をはじめとする旧スペイン政府への憎しみ故であり、別にカルリスタに対して特別な感情を抱いていたわけでも無いガリシアの人々にとってこの訴えは響くものがあり、ポルトガルへの帰属が決まってしまった。この結果にスペイン側は激怒し、ポルトガルとスペインの間には緊張が高まったが、戦争には至らず時間だけが過ぎていった。


一方、スペインとポルトガルの和解に向けた協議も対立と並行して進められ、結果、両国の和解の象徴として、独身だったハイメ3世へポルトガル王室であるブラガンサ家から王妃を出して政略結婚をさせる事となった。しかし、ポルトガル王であるマヌエル2世には実子がいなかったため、王太子に指名したドゥアルテ-ヌノの姉であるマリア-ベネディタとの婚姻が取り決められた。この取り決めに結婚に興味が無かったハイメ3世は激怒したが、決まってしまったものはどうしようもなく渋々と承諾するしかなかった。


そして、この日、式を終えたハイメ3世とマリア-ベネディタはマドリードにおいてパレードを行なっていた。沿道は国王陛下万歳と叫ぶ、国民たちで溢れかえっていた。


「にぎやかなのは良いが、少しうるさすぎるぐらいだな」


歓声を肴にワインを飲んでいた男、ベニート-ムッソリーニは小声でそう言った。内戦時にはカタルーニャで義勇兵として活躍したムッソリーニだったが、イタリア社会党時代の失脚のせいで政治に対する興味は薄れており、内戦終結後はスペイン各地を気ままに放浪する日々を送っていた。


「さて、帰るか…と、失礼」


帰ろうとしたムッソリーニは軍服を着た帰還兵とみられる男にぶつかってしまった。


「大丈夫です。…帰るのでしたらスリに気を付けてください。人の数が多すぎますからね」

「これはどうも…もしや、ガリシアの方ですかな」

「ええ……なぜ?」

「いや、軍服を見ればわかります」


ムッソリーニがそういうと男ははっとして自身の軍服の袖を触った。そこには青地の盾に金の杯が描かれた中世以来のガリシアの紋章が縫い付けられていた。内戦時にガリシアで蜂起したものたちが識別用に採用したものだった。


「縫い付けてあるのが、忘れるほどに長く着られていたのですか、失礼ですがいつから戦っておられたので…」

「ラ-パルマ城の襲撃からです」

「では内戦の初期からということですか、しかしあなたのような英雄が何故、ここに?」

「ムッソリーニ氏にそう言われるとは光栄です」

「…私の事を知っていたのですか」

「ええ…自己紹介が遅れましたな。フランシスコ-フランコ-バアモンデといいます」


スペイン王国陸軍大尉であり、ガリシア蜂起軍では少佐にまで出世したフランコだったが、彼の忠誠はあくまでスペインに向いており、ガリシアのポルトガル帰属後はスペイン軍への復帰を試みたがうまくいっていなかった。


「どうでしょうか、フランコさん。ここであったのも何かの縁ですし、家に来て一杯…」

『ムッソリーニさん、ここにいたんですか、探しましたよ』

『これはチェスタートンさん…あー明日までしたっけ?』

『いえ、締め切りはとっくに過ぎてるんです。これ以上の休載など許されませんよ』

「ははは、何を言っているかはわかりませんが続きは今度にした方がよさそうだ」

「そのようですな」

「ええ、ではまた」


そういって、ムッソリーニは乱入してきたイギリス人、ギルバート-キース-チェスタートンに連れられて行き、それをフランコは見送った。


ムッソリーニはチェスタートンが友人のジョゼフ-ヒレア-ピエール-ルネ-ベロックと共に主催する文芸雑誌であると同時にローマ教皇レオ13世が提唱した分配主義の実現を訴える政治雑誌でもある『GKウィークリー』にイタリア人義勇兵の見たスペイン内戦、と題して連載をしていたのだが、このところは筆が乗らず休載が続いていており、それに激怒したチェスタートンはわざわざイギリスから航空便を使ってやってきていたのだった。


「まったく、平和だな」


ムッソリーニとチェスタートンのやりとりで平和を実感したフランコはもう一杯だけ飲む事にして店員に声をかける事にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 今回もとても奇妙な味わいがありますね。 未来への希望のある明るいスペイン! 幸福そうなムッソリーニとフランコの遭遇! 作家ムッソリーニ氏には架空戦記「愛と幻想のローマ進軍」でも書いていただ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ