第19話 第一次世界大戦<3>
第一次世界大戦が始まってから、1年ほどたつとフランス海軍はロシア海軍のバルチック艦隊と共にドイツ近海の海上封鎖に取り掛かった。
これに対して、ドイツ海軍は海上封鎖突破を試み、最新鋭のドイッチュラント級ハノーファーを旗艦として出撃し、1907年5月1日に第一次ヘルゴラント海戦が勃発した。
この海戦によって戦艦だけでもドイツ海軍はヴィッテルスバッハ級ヴィッテルスバッハ、ツェーリンゲン、メクレンブルクなどが撃沈され、フランス海軍もリベルテ級ジュスティス、レピュブリク級レピュブリク、パトリエ、シュフラン級シュフラン、イエナ級イエナなどの多数の艦が撃沈された。
また、ほぼ同時期に米西戦争のサンチャゴ湾閉塞作戦に基づいて、ロシア海軍によって行われたダンチヒ閉塞作戦でもロシア海軍が大きな損害を受けている。
ドイツ海軍はフランス、ロシア両海軍に少なからぬ損害を与える事ができたが、海上封鎖を突破する事も出来なかった。
海上封鎖の続くドイツでは、火薬の不足は徐々に深刻に考えられるようになっていたため、ビルケランド-エイド法と呼ばれるノルウェーの科学者クリスチャン-ビルケランドと、同じくノルウェーの実業家にして技術者サミュエル-エイドによって実用化された電気による窒素固定法を導入していたが、これは莫大な電力を必要とするので、効率がとても悪かった。その為、通常の火薬の他にも綿火薬や代用爆薬の生産が行われる事になる。
ドイツでは西部戦線、東部戦線ともに突破口を開く事ができず、フランスはいつまでも続く塹壕戦によって息も絶え絶えとなり、ロシアは一進一退を繰りかえす流動的な戦線と銃後の物資不足によって不満が高まり、オーストリア=ハンガリーでは出口の見えない戦争によって崩壊寸前だった。どこの国でもいつまでも続く千日手のような戦争に飽き飽きし始めていたが、ナショナリズムの高まりと科学技術の進歩が生み出したこの世の地獄からどこの国も逃れられなかった。
東西両戦線で取り決めによって行われていた戦場清掃やローマ教皇ピウス10世の呼びかけで行われたクリスマス休戦に伴う交流が、かろうじて戦っている相手が互いに人間であることを兵士たちに思い出させていたのだった。
しかし、始まってから1年半もするともはやそうした交流は意味をなさなくなっていった。
戦場では硫黄ガスや亜硫酸ガスといった原始的な毒ガスから、催涙ガスに至る幅広い化学兵器が両陣営で使用されるようになっていった。
また、空ではドイツのフェルディナント-フォン-ツェッペリン伯爵とテオドール-コーバーが発明した硬式飛行船、通称ツェッペリンが弾着観測や通信筒の投下、小規模な爆撃などに従事した。
ツェッペリンの爆弾搭載量は微々たるものだったが、その爆撃による心理的被害はすさまじくパリへの爆撃では千人以上の人間が我先にと地下鉄に避難しようとして将棋倒しになった。
当然、自国首都への爆撃でその名誉に傷をつけられたフランス政府は、ツェッペリンに対して懸賞金をかけ、これにユベール-ラタム、ルイ-ブレリオなど名だたる飛行家が応じ、ツェッペリンを撃墜するための飛行機の制作に勤しんだ。史上初の戦闘機の誕生だった。