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第186話 為すべきこと

1920年10月3日 アルメニア共和国 ガルス

かつてはトルコ人によってカルスと呼ばれていた都市はアルメニア語名のガルスに改名され、アルメニア共和国の暫定首都となっていた。


これはかつてガルスがバグラトゥニ朝アルメニア王国の首都であったという歴史的要素も大きかったが一番の理由はロシア帝国がアルメニア人(ハイ)たちが再三にわたって求めているエレバンをはじめとするロシア帝国領の返還を認めようとしないからだった。


ロシア人に言わせればアルメニア人の居住地域であってもロシア領土という事なのだが、当然のようにアルメニア人の間では"解放者"であるロシア人に感謝しつつも一方ではエレバンをはじめとするロシア帝国領を頑なに返還しようとしないロシア人に対する恨みもありまさに愛憎入り混じった複雑な心境だったといえる。


そんなガルスではこの日アルメニア共和国の主要な指導者たちが集まって今後の国家方針についての会議を行なっていた。


「知っての通り、ロシアとアナトリアでは革命騒ぎが起き、それ以外の地域でもメキシコ風邪という疫病の流行によって各国は混乱している。諸君今こそ我々は黒海、カスピ海、地中海にまたがるアルメニア(ハヤスタン)を築くべきである」


アルメニア革命連盟(ダシュナク)のアラム-マヌキアンが全員を見ながらそう言った。

アルメニア人はその名の通りアルメニア高原に起源を持つ民族だったが、11世紀ごろのトルコ人のアナトリア侵攻の際にアルメニア人が数多くいた地中海沿岸のキリキア地域に多くのアルメニア人が集まりそこに王国を築いていた事があり、現在でもキリキア地域にはアルメニア人が多かった。マヌキアンはそこに加えてアルメニア共和国に隣接するイラン民主連邦共和国とロシアのアルメニア人居住地域も支配下におさめようと訴えたのだ。


「しかし…混乱と言っても我々だってメキシコ風邪の流行で多くの死者が出ているのは同じだ。いまここで周辺各国を相手取って戦争を始めるのは無謀というものでは…」


元ボリシェヴィキのステパン-ゲヴォルギ-シャフミアンが遠慮しがちに言った。元ボリシェヴィキである為ここに集まっている者たちの中では浮いていた、というのもあったが、一番の理由は武力、組織力共にアルメニア革命連盟(ダシュナク)に対抗できるというものはそういなかったからだった。


「メキシコ風邪の流行については問題ないでしょう。国外に散っている同胞たちからの支援があります」

「どうかな…欧米諸国とて医療品の確保には苦労しているはずだ。そうやすやすと入手できるとは思えないが」

「なに、別に支配地域に住むすべての人間を助ける必要は無いはずです。むしろ貴重な弾薬を使わずにトルコ人たちが死ぬのであれば、いろいろとやりやすくなる。それに我々と同じくトルコ人によって多くの同胞を失ったアッシリア人も加わるでしょうし、トゥーリアンイェルサレム総主教にも少しお手伝い頂こうと考えておりまして」


言葉を選びながら話すシャフミアンに対してマヌキアンは丁寧にしかし、自信たっぷりに反論した。

シャフミアンの言ったトゥーリアンとはアルメニア独自の教会であるアルメニア使徒教会のイェルサレム総主教イェギシェ-トゥーリアンの事だった。


「総主教だと?一体何を考えている?」


それまで沈黙を守っていた、オスマン帝国と同じくアルメニア人たちを弾圧していたガージャール朝を打倒すべくイランのアルメニア人たちを率いてゲリラ戦を行なっていたゲリラ戦術の天才であるアンドラニク-オザニアンが口を開いた。

オザニアンは政治的な関心が薄かったためにこうしてあまり公の場で発言する事はなかったが、イランでの戦いでの実績からアルメニア人たちからは絶大な支持があり、また、かつてアルメニア革命連盟(ダシュナク)が青年トルコ人たちと連携してオスマン帝国内での自治を求めていた組織であったころには、これを痛烈に批判していた事から、アルメニア革命連盟(ダシュナク)の側がオザニアンを強く警戒していた。


「知っての通り聖地には我々の同胞が数多くいますが、そうでないものはそれ以上にいます。ヨーロッパ人、アラブ人…それにユダヤ人」

「ユダヤ人…まさか」

「ええ、そのとおりです」

「危険すぎる。そんなことをすれば周辺諸国すべてどころか列強諸国すら敵に回す事になる」

「だからこそ目くらましには良いのです。我らアルメニア人(ハイ)の悲願達成のためのね」

「だが…」

「いいですか、大アルメニア実現無くして民族の独立はあり得ないのです。我々の子や孫たちに我らの味わった悲しみと屈辱をもう一度味わせるつもりですか、我らの為すべきこと、それは大アルメニアの実現以外にありえないのです」


かつてのオスマン帝国によるアルメニア人への仕打ちを知っていたすべての人間はマヌキアンの言葉に対し反論できなかった。オザニアンでさえそうだった。その時点で方針は決まったも同然だった。


こうして、アルメニアとアッシリア人、そしてアルメニアとユダヤ人との間で密かに接触が行なわれる事になった。


アラブの反乱に始まり、対オスマン帝国戦争によるオスマン帝国の解体によって平和が訪れたはずの近東では再び戦火が広がろうとしていた。

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