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第175話 第2次モロッコ危機とその影響

モロッコ王国をめぐる問題が表面化したのは、1919年10月1日にアフメド-アル-ライズリがモロッコ王国の首都フェズを制圧してムーレイ-アブドゥルハフィードの復位を宣言した事を報じたドイツ帝国の主要各紙がその中で、ライズリをフランスが援助しているのではないかという疑惑を報じ、それに対してフランス側が反発した事だった。


フランスはライズリを援助していないのだから勿論濡れ衣なのだが、第一次世界大戦中に傀儡としてスルタンに据えていた過去があったため、完全な潔白であるとは思われなかった。


更に問題をややこしくしたの内戦中のスペイン王国だった。

国王アルフォンソ13世はドイツによるライズリの反乱鎮圧を支持し、続けてフランスを批難した。これは8月末に戴冠したハイメ3世が長らくフランスでも王位請求者として活動していた事から、カルリスタたちの背後にフランスがいると考えた為だった。同様の事は同じく内戦中だった隣国ポルトガル共和国でも起こっており、リスボンで何とか粘っている状態だった共和国政府も王党派の指導者の1人であるアルベルト-デ-モレス-モンサラズがフランスへの亡命経験からアクシオン-フランセーズやセルクルプルードンなどの思想に影響を受けていた事から、やはり、王党派をフランスが支持しているものと断じてドイツ支持とフランスへの批難を表明した。


一方、ドイツに対して強く反発したフランスだったが、こちらの行動は鈍かった。

第一次世界大戦を共に戦ったベルギー王国とオランダ王国がそれぞれフランスとの秘密会談の中で、相次いで今回の事態への中立を宣言したからだった。


ドイツに対する憎しみはあれど、自分から戦火の中に飛び込みたくはないというのが両国の本音だったからだが、いざというときにはベルギー、オランダ両国が共に戦ってくれることを前提に考えていたフランスにとっては大きな誤算だった。


旧領奪還を餌にロシア帝国を抱き込もうにも、シベリアで相次いで反乱が起こっている現状ではその戦力はあてにならないと考えられた。


第一次世界大戦の時と同じくイギリスは中立を決め込んでおり、唯一、あてにできる国といえばバルカン戦争の講和会議であるリエージュ会議において未回収のイタリアを永遠に失なうことになってしまったイタリア王国ぐらいだったが、イタリアでは社会主義系の反戦運動も盛んであり、不安要素が強かった。


しかしだからといって諦めるようなフランスでもなく、ドイツに対抗すべく様々な手を打ち始める、中でも重視されたのがドイツを内部から切り崩す事だった。


まず行われたのはドイツ政府に対する主要な反対者である社会主義者への援助だった。

幸いにしてフランスには社会主義の創始者であるカール-マルクスの孫にあたるジャン-ローラン-フレデリック-ロンゲがおり、フランス政府はロンゲを通じてスパルタクス団をはじめとした反政府社会主義者たちへの援助を行なった。


次に行われたのは、第一次世界大戦後にドイツ支配下に組み込まれた地域の民族主義者への援助だった。ハプスブルグ家の王が立ったポーランドや旧ロシア帝国領のバルト海沿岸地域それにドイツの直轄領とされたウクライナなどではドイツからの独立を求める声も大きく、そうした独立を求め続けていた民族主義者たちを利用する事にしたのだ。

こうした工作はドイツだけでなく、ドイツの同盟国のオーストリア=ハンガリー帝国に対しても行なわれ、中でも重点的な工作が行なわれたのがボヘミアとハンガリーだった。

なぜ、ボヘミアとハンガリーに対して重点的な工作が行なわれたかといえば、スラヴ系民族が多数を占め長年独立を訴え続けたボヘミアとオーストリアと共に帝国を構成する主要国の立場ではあるが、第一次世界大戦後のドイツ人及びマジャール人以外へ融和政策によってその地位を失いかけているハンガリーは被支配民族と支配民族という相反する立場にありながら共にハプスブルグ家に対して反発していたからだった。


勿論、こうしたフランスの工作に対してドイツもオーストリア=ハンガリーも何も手を打たなかったという事は無く、それまで以上に社会主義に対する監視を強化し、各地で暴れまわる民族主義者に対しては軍を投入して対処したが、更に反発が強まるだけだった。


一方、こうした状況を見たイタリアでは再び未回収のイタリアの併合を求める動きが密かに活発化しはじめた。バルカン戦争の時とは異なり小規模でひっそりとしたものだったが、参加者の中には軍部や財界などと強いつながりを持つ者もおり、無視できない影響力を持っていた。


イタリア人はイタリア人でオーストリア=ハンガリーを混乱させるべく行動を始めた。

かつての同盟国セルビア王国への秘密援助を開始したのだった。そしてその玄関口として選ばれたのが、モンテネグロ王国だった。


クーデターで父王ニコラ1世を廃してモンテネグロ王となったミルコ1世はこの動きを利用した。未だセルビア内部に残る黒手組の残党に対して、イタリアからセルビアに送られるはずだった武器弾薬や資金をそのまま流していった。

こうしてセルビアでは再び黒手組の活動が活発化する事になる。

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