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第17話 弩級誕生

1906年2月10日 イギリス ポーツマス

第一次世界大戦がはじまってから暫くして、イギリス、ポーツマスの海軍工廠にて一隻の戦艦の進水式が行われていた。


「遂に進水したか、これで今までの戦艦など時代遅れだぞ。我が大英帝国の栄光は千年にわたり続くであろう」


進水する巨艦を前に高笑いをする一人の男、ジョン-アーバスノット-フィッシャー第一海軍卿。彼こそがこの戦艦ドレッドノートの生みの親だった。それまでの戦艦のように中間砲を装備する事無く、単一口径の巨砲で武装し、蒸気タービンを装備して高速航行を可能とした画期的な戦艦、それがドレッドノートだった。


単一口径で武装した艦という発想自体は別にイギリスの専売特許という訳でもなく、同時期の艦としてはイタリアのヴィットリオ-クニベルティ造船官が主導したダンテ-アリギエーリ、アメリカのサウスカロライナ級、日本の薩摩級などがあった。

もっとも、フィッシャーはダンテ-アリギエーリについては、『発想自体は素晴らしいが所詮、わが大英帝国の技術の恩恵がなければ何もできない後進国の戦艦』、アメリカのサウスカロライナ級についても『植民地人の戦艦が我がドレッドノートに匹敵するような艦とは思えない』と歯牙にもかけなかった。

薩摩級に至っては『日本人に戦艦が作れるようになるより、最後の審判が下る方が早いだろう』と建造能力そのものに対する疑問すら口にしていた。



しかし、このようにフィッシャーが並々ならぬ自信と情熱を持って進水させたドレッドノートであったが、他の列席者からの、特に海軍関係者の反応はどこか白けたものがあった。

それもそのはずだった。単一口径射撃の前提となる斉射については、あくまでも試験によってその有効性が確認されたものにすぎず、実戦においては確認されていなかった。

また、これまでの戦艦では装備されていた衝角についても1893年のキャンパーダウンとヴィクトリアの衝突事故を理由に廃止していたのだが、これについても異論が多かった。フィッシャーは衝角を用いた近接戦闘は蒸気タービンの採用による速度の優位の確保とそれを活かした遠距離射撃によって時代遅れになったとしていたが、遠距離射撃もまた実戦では行われたことのない方法だった。


こうした微妙な反応を受けながらも、初めて尽くしの戦艦ドレッドノートは無事に進水し、弩級の時代が幕を開けたのだが、フィッシャーはそれに満足する事無く次なる段階に進もうとしていた。


イギリス海軍の主要な艦艇の石油専焼化だった。石炭よりも石油の方が燃焼効率が良い。これを考えれば当然の事だったが、そのためにフィッシャーは石油が大量に必要となる事を見越して、イギリスの石油会社に石油の増産要請を出した。要請を受けた会社の中にはインドやビルマを拠点に石油事業を行うビルマ石油があった。





 


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