第168話 新たな叛乱と外人部隊
1919年5月16日 ロシア帝国 沿海州 ニコリスク-ウスリースキー
ロシア帝国の重要拠点であるウラジオストクの北にあるニコリスク-ウスリースキーは交通の要衝であり、堅く守られているはず…だった。
突然、ロシア軍駐屯地の前で爆発が起こり、市内の防衛施設との連絡が遮断され、駐屯していたロシア軍は大混乱に落ちいった。市内を通る東清鉄道の警備用に設けられていた、とある堡塁も例外ではなかった。
「どうなってる司令部と通信が繋がらないぞ…おい誰か伝令に行け」
「はい」
そういって、兵士の一人が堡塁から出た途端に何者かに撃たれて絶命した。歴戦の兵士ならばここで素早く行動しただろうが彼らの多くは、まともな実戦経験のない兵士であり、そのような行動は望むべくも無かった。そのため彼らは狙撃に続いて手製爆弾が投げ込まれた際にも満足な行動ができずに死亡する事になったのだった。
「弱いな、こんな連中に支配されていたとはな…」
「ここにいるのは2線級だ。鉄道を使えばすぐに増援が来るはずだ。急いで破壊しなくては」
襲撃してきた男たちは東清鉄道の線路を爆破して、近くに翻っていたロシア帝国の国旗を引き摺り下ろし、様々な生地を寄せ集めて作ったとわかる粗い作りの緑、青、黄の三色旗を掲げた。
襲撃者はみなウクライナ人だった。
元々ロシア支配下で小ロシアと蔑まれてきたウクライナ人の中には貧しい生活から逃れる為、ロシア帝国内の辺境、具体的にはコーカサスのクバン地域や黄ウクライナと呼ばれたヴォルガ川地域、灰ウクライナと呼ばれた南西シベリア及びカザフ北部地域、そして緑ウクライナと呼ばれた極東地域に移民するものも少なくなく、そして、その動きは第一次世界大戦に伴ってウクライナが荒廃した挙句、戦後には西ウクライナがドイツ帝国領となるとさらに加速した。
ドイツ帝国ウクライナ総督府はウクライナの肥沃な大地を手中に収めるべく、ドイツ各地からの移民を募り移住させ、旧来のウクライナ人貴族を名目上は温存しつつも、ドイツ人を頂点とする事実上の農奴制を作り上げた。荒廃したウクライナの地の農民は黙ってそれを受け入れるかあるいはロシア領のままであった東ウクライナに逃げるしかなかったが、ロシア人からすればすんなりとドイツ人に恭順したように見えたウクライナ人が信用されるはずもなく、多くはさらに辺境に逃げるしかなかったのだった。
しかし、逃げ延びた先でもウクライナ人の生活が楽だったわけでもなく、彼等は身を寄せ合って暮らすか、アメリカ合衆国などの更に国外に逃げるしかなかった。
そんな状況に置かれていたウクライナ人にとって社会主義革命とシベリア諸民族の自治を掲げた社会革命党が武装蜂起した、という知らせはある種の希望だった。アメリカに逃げ延びていたウクライナ人社会主義者にして、民族主義者であったシモン-ヴァシリ-エヴィチ-ペトリューラが武装蜂起に呼応するように訴えていたこともあり、ウクライナ人による叛乱へと至ったのだった。
この叛乱により、ロシア軍は主要補給路である東清鉄道が遮断された上に安全だとされていた沿海州南部にも第2の戦線を抱え込む事になり、極東における情勢は一気に反乱軍有利に傾く事になる。
1919年6月1日 スペイン王国 カタルーニャ バルセロナ
カタルーニャ地方の中心都市であるバルセロナはスペイン海軍の誇る戦艦であるエスパーニャ、アルフォンソ13世、そして米西戦争以前に就役した古強者の前弩級戦艦ペラヨの砲撃を受けていた。
この砲撃の後に内戦ぼっ発を受けて急きょ創設されたスペイン王国陸軍外人部隊による上陸作戦が行なわれる手はずだった。
反乱勢力の中心都市に対する上陸作戦という迅速かつ苛烈だが、危険も大きな作戦が実施されたのは、スペイン国王アルフォンソ13世がそれだけカタルーニャの反乱勢力を鎮圧する事を強く求めていたということであり、本作戦には就役したてのスペイン海軍期待のイギリス製の新鋭戦艦であるレイナ-ビクトリア-エウヘニアの参加も検討されたほどだった。
この新鋭戦艦はエスパーニャ級3番艦ハイメ1世の建造を中止して作られた34.3センチ砲を連装4基8門を備える排水量21000トンの超弩級戦艦だったが就役間際になって母港であるガリシア地方フェロルで反乱がおきたので、脱出してきた艦だった為、訓練不足により未参加となっていた。
「今回が初実戦となるわけだがどうかね?」
「急ごしらえですが戦意は高いですな。カタルーニャの叛徒ごとき敵ではありません」
スペイン陸軍外人部隊第1テルシオ指揮官のミゲル-デ-プリモ-リベーラ大佐に対して内戦ぼっ発以前より外人部隊の創設を訴え続けていた士官であるホセ-ミリャン-アストライ中尉は答えた。
「しかし…テルシオ、か…」
「懐古主義と笑われようと結構ですが、今のこの混乱した王国をまとめ上げる為にはある程度の伝統への回帰も必要かと」
テルシオとは16世紀にスペイン陸軍で採用されていた編成であり、当時はヨーロッパ最強の編成とも言われ、オランダ、スウェーデン、フランスなどの多くの国がこのテルシオを打ち破ろうと知恵を絞った。やがて、テルシオは時代の流れとともにその役割を終えて、後に生み出された遥かに効果的な編成へと置き換わっていったのだが、外人部隊の創設を訴えながらもスペインの伝統と誇りを重視するアストライ中尉は外人部隊の部隊名に敢えてテルシオの名を冠する事を主張して認められていた。
「その割には君の私物は伝統にそぐわぬ東洋人のものばかりだというじゃないか、君も私もフィリピンで戦っていた筈だが見解は異なるようだな?」
「…サムライの精神を学ぶことはとても有意義です。あのフィリピン人たちとは違いますよ」
アストライ中尉は日本文化、特に武士の精神文化に深く傾倒しているという一面もあり、その事を揶揄したリベーラ大佐に対して渋面を作った。
「そう怒らんでくれよ中尉。確かに東洋の一部には優れた物品があることは認めるが、それに傾倒し続けるのはどうかと思うぞ。東洋人は所詮異教徒で異人種であり、ベルベル人のようにいつ牙をむいてくるか分からないのだからな…もっともベルベル人程度の連中ならば相手をするのも楽だが」
最後は冗談めかして笑いながら言ったリベーラ大佐だったが、この時は本当にべルベル人がスペインに対して牙をむこうとしているとは夢にも思っていなかったのだった。