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第141話 反マスク連盟

1918年1月27日 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 サンフランシスコ


「我々は病人ではない」

「州知事は直ちにマスク着用令を撤回せよ」

「病気を止める為に必要なのは、こんな布きれを付けることよりも"病原体"を何とかすることだ」


人々が声をあげながらデモ行進を行なっていた。声を上げているのはサンフランシスコで結成された反マスク連盟所属の者たちだった。


反マスク連盟とは、その名の通りマスクの着用に反対する組織であったが、これは政治的な思惑の強いものだった。反マスク連盟は1916年のミルウォーキー論争で社会党を離脱したヴィクター-ルイトポルト-バーガーやジャック-ロンドンが中心となって設立した人種主義的な社会主義政党であるアメリカ労働者党が中心となって結成した組織だった。


あまりなじみのないマスク着用に対して、反発する市民たちは多く、アメリカ労働者党はその声を利用して感染症対策の名の下での合法的な有色人種の排除を目論んでいたのだった。

反マスク連盟の集会においては、メキシコ風邪のアジア起源説が繰り返し唱えられた。19世紀末の清国発の腺ペストの流行を覚えている人間も多かったため、メキシコ遠征軍が持ち帰った感染症は実はアジア起源であったという説は反マスク連盟内ではあっさりと受け入れられ、彼らにとっての真実となった。


こうして反マスク連盟は清国人、日本人、インド人などを"病原体"と呼んで蔑むようになった。


このような反マスク連盟の動きに対して、当初、州知事であったウィリアム-デニソン-スティーブンスは特に手を打とうとはしなかった。

前州知事で、現在は上院議員を務めるハイラム-ジョンソンの後継者として州知事となったスティーブンスはジョンソンと同じく愛国党員であり、移民排斥という考えにも賛同していたがためだったが、その背後にアメリカ労働者党がいるとわかると、すぐに取り締まるように命じた。これは、社会主義者に対してスティーブンスが強い警戒感を持っていたことの表れだったが、逮捕されたバーガーやロンドンといった労働者党幹部らは獄中より、活動の継続を訴えると同時にそれを防害するものとしてスティーブンスを批難し始めた。


こうした一連の騒動がカリフォルニアから遠く離れた東海岸で報道され始めると、更に事態は面倒な事になった。

一方では人種差別に反対するものたちがメキシコ風邪アジア起源説を否定し、もう一方ではメキシコ遠征軍で犠牲となった兵士たちの遺族と傷痍軍人たちがアジア起源説を支持し、


『アジア起源説を否定し、我々の父親、兄弟、息子、夫、恋人あるいは戦友たちがこの疫病をもたらしたと主張する事は合衆国とメキシコの自由と民主主義を守るために死んだ者たちへの侮辱に他ならない』


との声明を発表した。

これを報道する新聞各社の対応も2つにわかれ、遺族や傷痍軍人たちへは一定の同情を示しつつも科学的見地からアジア起源説を根も葉もないデマとして切り捨てるものもいれば、逆に遺族と傷痍軍人たちの声明とその主張をセンセーショナルに報道するものもいた。


興味深いのは真実よりも売り上げを求めるイエロージャーナリズムの代表例とも言えるニューヨーク-アメリカン紙をはじめとするウィリアム-ランドルフ-ハーストの影響下にあった各紙はセンセーショナルな報道からは距離を置き、起源の探求よりも感染対策を、と訴えた。


これはハーストがニューヨーク市長として感染対策に取り組んでおり、その成功をアピールする狙いがあったためでハースト自身も感染抑え込みの成功例として、何度かインタビューを受けている。


だが、そうした、ハーストの成功はハーストを敵とする者たちにとっては厄介でしかなく、ハーストを引き摺り下ろすためにあらゆる手立てを講じる事になる。


1918年2月1日 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク ブルックリン プロスペクトパーク


「私、フランクリン-デラノ-ルーズベルトはここにニューヨーク反マスク連盟の結成を宣言します」


ニューヨーク州州議会上院議員であるルーズベルトが、そう演説を締めくくると周囲から歓声が上がり、取材に来ていたニューヨーク-ワールド紙の記者がシャッターを切った。


東海岸初の反マスク連盟であるニューヨーク反マスク連盟が結成されたのはハーストと、感染症対策の為にハーストに協力への姿勢を打ち出した"ホール"ことタマニーホールに対抗するためだった。


元々、反"ホール"派の改革派議員として活動していたルーズベルトだったが、民主党からの支援は愛国党の勝利によって大打撃を受けた事から少しでも勢力を保持したいという思惑から受けられず、続いて接触したニューヨーク-ワールド紙社長ラルフ-ピューリッツァーからも反"ホール"活動を行なってハーストに利する事は出来ないと断られてしまった。


そうして鬱屈とした日々を過ごしていたルーズベルトだったが、メキシコ風邪が全てを変えた。

ニューヨークではメキシコ風邪の流行に伴いタマニーホールの会長だったチャールズ-フランシス-マーフィーはハーストに対し最大限の協力を約束したのだが、これにルーズベルトは危機感を覚えた。"ホール"が自分たちの利権維持のために感染症対策を名目にハーストと手を結んだように見えたからだった。


同様の危機感を覚えたのはピューリッツァーもだった。ピューリッツァーがルーズベルトの協力要請を断ったのはハーストがせいぜい一期務めただけで落選するだろうと考えていたからだが"ホール"がハーストと連携するのであれば、話は別だった。


こうして、反ハースト、反"ホール"の為にルーズベルトとピューリッツァーは手を取り合い行動を開始したのだった。


これに対しハーストは中心人物であるルーズベルトとピューリッツァー、特にかつてのライバルの息子であるピューリッツァーに対し激しい怒りを燃やす事になる。

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