表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/330

第118話 カゼルタの陰謀

1917年4月3日 イタリア王国 カゼルタ カゼルタ宮殿

この日、スペインのオリエンテ宮殿やドイツのシャルロッテンブルク宮殿、そしてフランスのヴェルサイユ宮殿に範を取ったヨーロッパ屈指の壮麗な宮殿である、このカゼルタ宮殿においてある陰謀が練られていた。

その首謀者はイタリア首相パオロ-ボセッリとイギリス外相ロバート-セシルだった。

無論、ボセッリもセシルも政府内で意見をまとめてから、ここに来ており、ここでの2人の言葉はそのすべてが両国政府の言葉であると互いに了解していた。


「それにしても見事なイギリス式庭園ですな。まさか大陸でこれほど見事なものが見れるとは」

「ああ、確か当時の駐ナポリ王国イギリス大使だったウィリアム-ハミルトンの推薦した造園家…ジョン-グレイファーが造園していたはずです」

「ウィリアム-ハミルトンということは、あのポートランドの壺を持ち帰ったハミルトンですか、それに…確か…思い出しました。グレイファーはかのネルソン提督のブロンテの邸宅の造園もしていた筈では?」

「ええ、その通りです。外相も是非、ブロンテのネルソン城を訪れてみるといいでしょう。実に見事ですよ」


現在は大英博物館に永久貸与されている古代ローマ時代のカメオガラスの名品であるポートランドの壺はポートランド公爵家が所有していた壺である為、そう呼ばれているが、その壺をイギリスに持ち込んだのはハミルトンだった。また、ハミルトンはフランス革命政府の傀儡政権だったパルテノペア共和国打倒に功績のあったホレーショ-ネルソン提督と交流があり、ネルソンがナポリ王国からその功績を評価されてブロンテ公爵に叙されたおりにはブロンテにあるネルソン城と呼ばれる居館の造園にグレイファーを紹介していたのだった。


「ええ、是非。しかし、首相閣下、貴国はヨーロッパ文明の源流である古代ローマにまで遡れる歴史があり、我がイギリスとしては誠に羨ましいですな」

「いやいや、ローマとて所詮はギリシアという師あってのこと…ギリシア人の残した歴史的教訓は時にローマ以上に現代のわれわれにとって役に立ちますよ」

「そういえば、歴史という概念自体ギリシアの歴史家ヘロドトスの物でしたな」

「エジプトはナイルの賜物…かの人物の残した言葉は後世の我々からしてもまさしく至言というほかないですな。もっとも…我々はそのエジプトからナイルの恵みを奪おうとしているわけだが」

「失礼ですが首相閣下、奪うのではなく、適切に調整するのですよ」

「…まあ、我がイタリアもそれで利益を得る訳ですからな…ようやくあのアビシニア人どもを屈服させる事ができる」


2人が練っていた陰謀とはナイル川とその流域の国家、つまりエジプトとエチオピア(アビシニア)の扱いについてだった。この陰謀の始まりはリエージュ会議後にセシルがキッチナーにした一つの提案だった。


『あのエジプト人を新たなアラブの支配者にするのは良いのですが、報告によれば少々反英的なところもある様子。であれば、それにつける"首輪"が必要ではないですかな?』


アラブ人など簡単に支配できると思っていたキッチナーは杞憂である、と一度はその提案を拒絶したもののもしもの事も考えて、"首輪"をつけるというセシルの提案に結局は同意したのだった。


セシルの言う"首輪"とはエジプトの豊かさの元であるナイル川…の源流を支配することだった。

ナイル川の源流は白ナイル川と青ナイル川に分かれており、白ナイル川はイギリス領ウガンダ植民地のヴィクトリア湖付近から流れ出る為、すでに支配できていたが、エチオピアのタナ湖から流れ出す青ナイル川についてはまだだった。


そこで、セシルは19世紀以来、エチオピアの植民地化を狙っていたイタリア王国と接触する事により、エチオピアの保護国化という名の事実上の植民地化を認める代わりにタナ湖でのイギリスによるダム建設を認めさせようとしたのだった。そのダムによってナイル川を管理するというのがセシルの計画だった。


他にエチオピアの植民地化を狙う相手としては良港として知られる近隣にジブチを首府とする仏領ソマリランドを有しているフランス共和国があるが、フランスは過去イギリスに対抗する形でアフリカ横断政策を推進して、アフリカ縦断政策をとるイギリスと戦争一歩手前までの緊張状態に突入したファショダ事件を引き起こしていた。結果的にフランスが引き下がる形で戦争の勃発は避けられたが、ファショダ事件でフランス軍と対峙したイギリス軍指揮官であったキッチナーとしては、エチオピア問題でのフランスへの譲歩によって自身の"勝利"の栄光に傷をつけられることを嫌っていた。


そうした感情的なものを抜きにして考えても、もし、フランスと戦争になれば最終的に勝利できるとしてもイギリス本土が危険に晒され多くの犠牲が出るかもしれないが、イタリアならばイギリス本土への攻撃能力が乏しいためそのような心配はなく、ジブラルタルとマルタ島、アレキサンドリアを抑えたロイヤルネイビーによる海上交易の遮断によって、イタリアの戦争能力はフランスを相手にするよりも遥かに容易く喪失させる事ができるという予測がなされていた事もフランスではなくイタリアにエチオピアを引き渡す事をセシルとキッチナーが望んだ理由だった。


つまり、イタリアはその強さではなく弱さを評価されて、イギリスにエチオピアの支配者としての地位を認められたのだった。もちろん、こうした理由はボセッリに伏せられていたことは言うまでもない。


結局のところ、弱き国は強き国に屈するしかないというのが帝国主義の世界における絶対のルールだった。

そして、超大国であるイギリスからすればフランスもイタリアも弱き国だった。しかし、弱き国もただ屈するだけではないという事をボセッリも、セシルも後に知る事になるのだが、それはまだ先の話だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ