第117話 シェーンハウゼンの妥協
1917年3月20日 ドイツ帝国 プロイセン王国 ニ―ダーバルニム郡 二ーダーシェーンハウゼン村 シェーンハウゼン宮殿
ドイツ帝国及びプロイセン王国の首都、ベルリンの北東に位置する二ーダーシェーンハウゼン村にはシェーンハウゼン宮殿という離宮があった。
このシェーンハウゼン宮殿は初代プロイセン王フリードリヒ1世が神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世に対してスペイン継承戦争参戦の見返りとしてプロイセンにおける王としての地位を認めさせるという密約の交渉が行われた場所であり、当時、スペイン継承戦争において劣勢であったレオポルト1世は神聖ローマ帝国の領土外での戴冠を条件にこれを承諾し、翌1701年1月18日、フリードリヒ1世はケーニヒスベルクにて戴冠式を行ない、後の近代国家としてのプロイセン王国の基礎が築かれたのだった。
そんな重要な役割を担ったシェーンハウゼン宮殿も19世紀末以降は離宮として使われる事もなくなり、絵画や調度品の倉庫として使われているだけだった。そして、そんな場所だからこそ密談にはうってつけだった。
「なるほど、ではエルザスは我がバイエルンにという事で良いのですな」
「うむ、その代わり議席については…」
「わかっております。ザクセンとヴュルテンベルクに譲りますとも」
「帝国議会での議席割り当ての改善とウィーン会議で失った領土の内ツァイツとアイレンブルグの返還がなされるのであれば、ザクセンとしても賛成です」
「我がヴュルテンベルクとしては、クールラントよりもラインラントの方が望ましかったのですが…まあ、いいでしょう」
賛同の言葉を受けて、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム3世は安堵した。
出席者は皇帝ヴィルヘルム3世の他、バイエルン王太子ループレヒト-フォン-バイエルン、ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世、ザクセン王フリードリヒ-アウグスト3世だった。バイエルンのみ参加者が君主その人ではなく王太子だったが、実権はすでにループレヒトが握っており問題ないとされた。
この密談の目的は、ドイツ帝国の再編についてだった。
ドイツ帝国は第一次世界大戦、バルカン戦争といった相次ぐ戦争によって社会全体が動揺しており、そのためドイツ帝国の主要構成国であるプロイセン、バイエルン、ヴュルテンベルク、バイエルンを中心とした4王国の協調によって引き締めを図るべきだと、ヴィルヘルム3世は考えていた。
しかし、ドイツ帝国首相のハインリヒ-クラスに押し切られる形でローマ会議ではイタリア案を支持したことから、親オーストリアのバイエルンとヴュルテンベルクは帝国政府に対して不信感をあらわにしており、そもそもヴィルヘルム3世即位のきっかけとなったクーデターから4王国の中で唯一除け者にされていたザクセンからすればヴィルヘルム3世の即位以降起こったすべての事が面白くないようだった。
こうして、主にプロイセンを除く3王国からの要求を受け入れる形で妥協が図られた。
この妥協においてバイエルンは帝国直轄州であるエルザスの領有を望んだ。エルザスを拠点に旧ブルゴーニュ公国の版図をゆくゆくは手にするつもりだった。これは、18世紀のバイエルン選帝侯マクシミリアン2世エマヌエル、カール-テオドールの時代からの悲願ともいえるものだった。
バイエルン選帝侯時代にはハプスブルグ帝国領ネ―デルラントの獲得を目的としていたが、1777年にカール-テオドールがハプスブルグ領ネ―デルラントをバイエルンと交換しようとした事に対してハプスブルグ帝国の強大化を恐れるプロイセンが介入し、バイエルン継承戦争が勃発する原因となった。結局この戦争ではプロイセン、ハプスブルグ両軍ともに決定的な勝利を得られなかったことから、この夢は潰えてしまう。
しかし、1906年に勃発した第一次世界大戦においてバイエルン国王ルートヴィヒ3世は戦争協力の見返りとしてエルザス、ロートリンゲン、ラインラント、そして重要な貿易港であるアントウェルペンのバイエルンへの編入を要求した。海への出口のない内陸国であるバイエルン王国に出口を作ろうとしたのだ。
また、ヴュルテンベルク王国も同じく第一次世界大戦中に自国の工業化が遅れていた事から、ベルギーのワロン工業地帯の併合を狙い、ザクセン王国は他の2王国の領土拡大構想に対抗心をむき出しにして、ウィーン会議で失った地を取り戻すか代替地としてのバルト海沿岸地域、特に古来よりドイツ人の居住地域であったクールラントの編入を求めていた。
結局、これらの構想も第一次世界大戦が実質、勝者無しの和平によって終わってしまったことから頓挫してしまった。
ヴィルヘルム3世はこれらの構想を叩き台にして妥協を提案した。当初はバイエルンにはロンドン講和会議の結果ドイツ帝国に残されたエルザス直轄州を与え、その代わりエルザスの有していた帝国議会での3議席はザクセンとヴュルテンベルクの間でザクセンに2議席、ヴュルテンベルクに1議席という形で分配するというものだった。
しかし、議席配分以外では特に利のないザクセンとヴュルテンベルクが反発し、改めてザクセンにはウィーン会議でプロイセンに割譲する事を強いられた領土の内、ザクセンの歴史的な首都であったツァイツと工業都市であるアイレンブルグ(ただし工業化したのはプロイセンに編入された後の事である)のザクセンへの返還を認め、ヴュルテンベルクにはツァイツとアイレンブルグの返還と引き換えにザクセンが領有権を放棄したクールラントの編入が提案された。
工業地帯を手にいれるはずが工業化の立ち遅れたクールラントを押し付けられ、納得のいかないヴュルテンベルクを宥める為にさらに修正されて、最終的に議席配分をヴュルテンベルクに2議席、ザクセンに1議席とする事とした。これによって帝国議会での議席数ではヴュルテンベルクは6議席となり、ドイツ帝国内ではプロイセンに次ぐ領邦であるバイエルンと同格となるからだ。
シェーンハウゼンの密約あるいはフリードリヒ1世の密約と区別してシェーンハウゼンの妥協といわれるドイツ帝国再編構想はこうして完成したのだった。
一応、作中に出したバイエルンによる海への出口獲得計画とかは史実の第一次世界大戦時に戦後構想の一つとして構想されていたものです。
…でも、WW1のドイツ帝国勝利ネタでも使われてるの見たことないんだよなぁ…まあ、WW1ドイツ勝利ネタ自体が国産仮想戦記だと数えるぐらいしか見たことないんですが
WW1には勝利したもののドイツの領邦の間で領土配分とかを巡って内戦状態になったりする架空史とか誰か書かないかなぁ?ナチス勝利からの内戦パターンは海外架空史だとそこそこ見るし




