第110話 妃探し
1916年12月14日 フランス共和国 パリ
パリにあるセルクル-プルードンの本部を訪れた一人のスペイン人がいた。
「ようこそ、セルクル-プルードンへ」
「噂はよく聞いておりますよ。貴方がヴァロワ氏ですか?」
「ええ、そうです。カルリスタとして高名なデ-メラ氏にも我がセルクル-プルードンの名が知られているとは」
「あたりまえですよ。貴方方の王は我らの王でもあるのだから…ましてその王の名を使い社会主義革命まがいの事をたくらむ連中ならばなおさら念入りに調べねば」
そう言って、スペインのカルリスタの指導者であるフアン-バスケス-デ-メラはセルクル-プルードンの党首ジョルジュ-ヴァロワに向かって微笑んで見せたが、その言葉には棘があった。
カルリスタとは男系による王位継承を定めたサリカ法典を絶対視し、1833年のイサベル2世の即位を認めず、カルロス-マリア-イシドロ-デ-ボルボンとその子孫を正統なるスペイン王家とする派閥の事をいう。カルリスタたちは自由主義的な改革を推し進めたイサベル2世に反対する守旧派、中央集権的な改革に反対する地域主義者と共に1833年から1876年までの間に3度の反乱を起こしたがいずれも政府軍の前に敗北していた。
フアン-バスケス-デ-メラは、そんな19世紀以来度重なる叛乱をスペインで起こしては敗北を繰り返してきたカルリスタの運動をカリスマ的な演説によって纏め上げ、後に伝統主義と呼ばれる事になる地域主義、階級間の協調、カトリックを軸にしたイデオロギーを提唱し、それまで確たる理論を持たなかったカルリスタの主張に理論的な基盤を与えた人物だった。
「失礼ですが少々誤解をされているようですな…我々が目指しているのは1891年のレールム-ノヴァールムの不足部分を補うことです。確かに初期のころは過激な活動を行なっていたこともありましたが、それはあくまでも我々の名を広め、大衆の支持を得るための行動に過ぎません。現在は議会政治への参画と社会主義勢力の労働組合主義者に対抗するべく、経済学者のシャルル-ジッド氏の指導の下で消費組合運動を中心とした経済運営を経済政策の中心に据えております」
デ-メラに向かって話しながら、ヴァロワはこれほど白々しい話も無いな。と思った。何しろセルクル-プルードン内部で労働組合主義に固執し、議会政治への参画にも消費組合運動を中心にした経済政策にも最後まで反対していたのは自分なのだから。
レールム-ノヴァールムは1891年に当時のローマ教皇レオ13世が資本主義、社会主義双方への批判と階級間の協調を訴えた回勅であり、デ-メラの思想的基盤の一つでもあった。そのため、デ-メラならばこの説明で納得してくれると思い、例として挙げたのだった。
「なるほど、貴方方の主張はよくわかりました」
「では…」
「勘違いなされては困りますな。今はまだ見極めている最中です。認めたという訳ではない」
「…困りましたな」
同じ王を戴く間柄とはいえ、急進派労働組合主義者ジョルジュ-ソレルを敬愛するヴァロワとトマス-アクィナスやフランシスコ-スアレスの伝統を元に新たな思想を打ち立てたデ-メラの隔たりは大きかった。
「まあ、取りあえずそうした話は"今は"おいておきましょう。…それで、ヴァロワ氏、先日の書簡の内容は本当なのですかな?」
「ええ、ええ、勿論ですとも」
「…なんと信じられん」
「それについては、私も同感ですな」
デ-メラが驚愕していた"書簡"の内容は、アンジュー公ジャック-ド-ブルボン、カルリスタではマドリード公ハイメ-デ-ボルボンとして知られる2人が共に王として擁立している人物に関しての事だった。
2人が王として擁立しているアンジュー公はもう40歳は過ぎたというのに、結婚をしていなかった。
他に王位継承者となり得るのは彼の叔父のサンハイメ公アルフォンソ-カルロス-デ-ボルボンしかおらず、彼の妻であるマリア-ダス-ネヴェス-デブラガンサには子供は無く、男系のブルボン家の断絶は間近と思われていた。
流石にこのままでは不味いという事はヴァロワもデ-メラにも分かっていたのだが、当のアンジュー公自身が首を縦に振ろうとはしなかったのだった。アンジュー公は貴族社会における数多くの結婚の失敗を目にしながら育ったため、"遊び"としての恋愛はしても結婚だけは頑としてしようとしなかった。
それでも、何とかして妃探しをするように説き伏せて、その候補を探していた。2人が特に期待を寄せていたのがロシア帝国のロマノフ家だった。アンジュー公が第一次世界大戦でロシア帝国陸軍で従軍していたことからロマノフ家とも多少の関わりがあったのだった。
そうして、ロマノフ家に非公式ながら申し入れをしてみたところ、しばらく後に書簡にて回答があったのだが、その内容が問題だった。
ロマノフ家としては前ロシア皇帝アレクサンドル3世の娘でニコライ2世の妹であるオリガ-アレクサンドロヴナ-ロマノヴァを候補として挙げてきたのだった。
血統的には申し分は無いのだが、彼女にピョートル-アレクサンドロヴィッチ-オルデンブルクスキー公爵との婚姻歴がある事が問題だった。
ピョートルが同性愛者であり、オリガのことを都合のよい金蔓程度にしか考えていなかった為、2人の結婚生活は破綻しており離婚に至っていたのだが、ロマノフ家側はオリガとアンジュー公の婚姻にあたっては前夫であるピョートルが同性愛者であったことを口外しないように求めてきたのだった。
これは、ロマノフ家にはオリガの兄であるミハイル大公が貴賤結婚により、従弟のキリル大公は宮廷内での反対を押し切ったヴィクトリア-メリタとの結婚によって相次いで皇位継承権を失う事になるという婚姻に絡んだスキャンダルが数多くあり、過去のこととはいえこれ以上のスキャンダルが明るみになるのを望まなかった為であった。
だが、そうしたピョートルに関する事実をひた隠しにする事は、アンジュー公が派手に"遊んで"いたことから、不倫の末の略奪愛などと誤解される恐れもあった。カトリック国であるフランス、スペインでは大きな汚点となることは間違いなかった。
ヴァロワがデ-メラと会う事にしたのは、この問題に対してセルクル-プルードンとカルリスタの間で一致した対処方針を決める為だった。
だが、ロマノフ家側は条件に関しては一切変更を認めず、そのまま、時間だけが過ぎていくことになる。
アンジュ―公を誰と婚姻させるかは未定ですが、誰と結婚したとしても架空の人物が生まれてしまうんですよね(史実では未婚)。
架空人物を登場させていいのか、悩む…




