最後の伏兵
本当は直ぐに上げる予定だったんですけどね、この後の展開の事などを考え、纏めていたら時間がめちゃくちゃ経ってしまった。すまんな!
赤く染まる美しい海の上、寄せ集められて浮かべられた白鳥のボートたち。その上で四肢を交える謎の人々。健やかな汗を額に、夕日のように真っ赤に燃える闘志をその心に灯して行われる殴り合いは、最初の一撃が放たれたときから、少しばかり時間が経っては居たものの、未だに続いていた。
「くそー! 余裕ぶっこくんじゃなかった! ジョロキアさんの言うとおりにしておくべきだった!」
圧倒的頭数。それを持ってしても制圧できない3人組。彼らと戦い着々を減らしていく戦友たち。いやでも感じる自分たちの劣勢の様相を目の当たりにし、己の行いを顧みて、角刈りの風紀委員は騒いでいた。足場の不安定な揺れる白鳥のボート。陸の上ならば押しつぶす勢いで抑え込みに掛かることも出来たが…そのようなことを、数を最大限の武器にすることを許してくれない環境の中で。
統制の取れていない風紀委員達が向かっていくのは中性的な少年風のシルバーカリスか…一見美少女にしか見えない女装したセラアハト。特に後者は絶大な人気を誇り、彼の方へ人員が殺到することによって前者へ向けて敷かれていた包囲網は薄くなり、リックの活躍もあって直ぐにシルバーカリスとリックは合流。だが、結果としてセラアハトが孤立するという事態となっていた。
「うおおおおっ!」
「甘いッ」
常に戦いと隣り合わせの世界の住人セラアハト。どういう基準でなったかはわからない若すぎるゴルドニアファミリアの幹部は、その名に違わぬ戦闘能力を発揮。向かってくる風紀委員達を最小限の動きで無力化していく。錆色のスカートや白いフリルを揺らし、ある者へは股座を膝蹴りで蹴り上げ、ある者には脚を掛けて態勢を崩させ、そのまま海へと落としてと。
「せっ!」
「掴んだぜッ!」
その傍ではシルバーカリスの前蹴りを何とか受け止めた身体の大きな風紀委員。しかし、それと同時にシルバーカリスは白鳥ボートに付けていた対の脚を離し、押さえられた脚を軸にして回転し――
「ハイヤぁッ!」
「ぶふァッ!」
その横っ面を勢いよく蹴っ飛ばす。横に吹っ飛び海へとダイブする風紀委員の姿を後目に、シルバーカリスは白鳥のボートの屋根の上に俯せで両手を付き、立ち上がる。当然、立ち上がるまでに隙は出来るが…そこでシルバーカリスをカバーする形で立ちふさがるのはリックだ。
「ふんっ!」
「おわっ…!」
リックは迫りくる2人の風紀委員の1人をタックルで海へと着き落とし――
「てへいっ!」
「もっと腰入れて殴りな。そらっ!」
「へぐぅっ!」
次に殴りかかってくる者の攻撃を片腕でガードしつつ、肉薄。対の手で腰の入った掌底を繰り出し…海へと押し出す。見栄えの良く美しさのあるセラアハトの戦い方や、効率を重視した、機能美のあるシルバーカリスの戦い方とは違う、ダメージを受けること前提で前に前に進んで行く戦い方は、彼らしいとも言えるものだった。
着々と狩られていく風紀委員達。見えてくる勝敗。空気を読んで敗れた者たちの救護を行う風紀委員が乗った白鳥のボートはもう戦えなくなった者たちでいっぱいだ。その光景を見…焦りを覚えるであろう人間は何も風紀委員に限った話ではなかった。
白鳥ボートの密集する戦いの場。そこから離れて浮かぶ白鳥ボートの運転席から聞こえる微かな話し声が、ふとガリの耳に届く。
「おい、どうした?」
…独り言だろうか。ガリは反応し、視線を勝敗の決しかける戦いの場から目を離して白鳥のボートの運転席を覗き込み、マリグリンに声を掛けた。
「…いや、なんでもないよ。気にしないでくれ」
ガリの視線の先に居たマリグリンは背中を丸めて蹲った風になっていたが、少しの間を置いてガリの声に返事を返す。その後で…姿勢を戻した。結果を受け入れる覚悟が出来たのであろうか。妙に余裕のある雰囲気で。
マリグリンのその様子が少し気がかりになったガリであったが、すぐにそんなことも気にならなくなった。沖側からやってくる木造船。それからなる船団が…視界の端に映ったことによって。
「…ゴルドニアファミリア…?」
ガリはその船団を注視。その瞳に映して呟いた。その少し離れた場所では…今、角刈りの風紀委員がヒョロイ風紀委員を殴り倒すセラアハトに掴みかかろうとしているところであった。
「ヤメロー! ナカマヲコウゲキスルナー! …ん…?」
「くうっ…ッ…ッ!」
意図せずジョロキアがしてしまった事にあれだけのことを言って置きながら、角刈りの風紀委員が狙ってやったこと。それは…攻撃と言う体でセラアハトに抱き着くこと。確信をもって行う紛れもないセクハラだった。しかし…妙であった。彼の手に感じる…妙に硬い感触、男の身体の様な感触は…鼻腔に届く清涼感のある匂いは。その違和感の正体を確かめるため、彼の手は動く。下へと。
「ッ、おいっ…ばかッ…どこ触って…!」
「ッ…これはっ…この感触は…!」
顔を真っ赤にして狼狽えるセラアハトは背後から、腕の上から腕を回されたことによって背後には攻撃が出来ない。足の小指でも踏んでやればよかったのであろうが、冷静な判断が出来る状況ではなかった。角刈りの風紀委員の手が、スカートの中に忍び、触れたことによって。そして角刈りの風紀委員は確信する。セラアハトの身体に感じた違和感を。その…正体、真実を。
「…騙したな…騙したなァァァーッ! 許さんッ…この俺の純情を弄び――」
角刈りの風紀委員は絶叫。すぐそこにはその他を片付けたシルバーカリスとリックが駆け寄る姿。角刈りの風紀委員がセラアハトの身体を解放するまでの間に2人はやってきて――
「ほあたぁッ!」
「あらよっと!」
シルバーカリスとリックのピンと真直ぐ脚の伸びた脚でのハイキックが、角刈りの風紀委員の顔面を前後から挟撃する形で襲った。当然その強烈な攻撃は彼の意識を断ち切って、セラアハトが腕の中から逃げたのをきっかけに支えを失った身体は膝を折って前のめりに倒れる。尻を突き出す形で。
「気安く触るなッ…変態がッ」
白目を剥いて前のめりに倒れた角刈りの風紀委員。その尻を忌々し気にセラアハトは2度ほど踏んで、憂さ晴らしを済ませ…その後で、リックとシルバーカリスの2人へと歩み寄る。周囲には、まだ戦闘継続できそうな風紀委員は幾人か残ってはいたが、拳を交えて勝てないと理解したせいか、誰も向かってこようとはしなかった。
敵の戦意喪失による勝利。敵が風紀委員達だけならば、ここでゲームセットであっただろう。しかし…戦う中で各々は気が付いていた。もう間もなく水平線の向こう側に沈むであろう赤い太陽を背に、向かってくる船団の影の存在を。帆に黄色いウサギの姿が描かれたそれらを。
「本は…使えませんね。…暴れられても困りますし…急いでマリグリンさんを縛って脱出しましょう」
シルバーカリスの判断は早かった。階層転移の本を開き、本がまだ使えないことを確認すると尻を上へ突き出して倒れる角刈りの風紀委員の元へ。その身体を蹴り、ひっくり返して彼の傍に屈むと腰に巻かれたベルトを金属音を立てながら外し始める。今マリグリンの腕を拘束する衣類よりも、より拘束具として優秀なベルトを得るために。なんだか妙な方向に思考を巡らせ、頬を染めてモジモジする風紀委員達の視線を浴びながら。
「シルバーカリス」
そんな彼女に向かってリックはジェットスキーの鍵を放る。シルバーカリスはそれをキャッチし、手の中にあるそれを一瞥したのちにリックに視線を合わせた。彼が顎をしゃくる先には、自分達が乗ってきたジェットスキーの方へ向かい、白鳥のボートの上から飛び乗る形で着地するセラアハトの姿がある。
――クソッ…。
この時、セラアハトが考えるのはジェットスキーの大きさだった。解り切っていた事ではあったが、マリグリンを含めた4人で乗るには小さすぎる船体。白鳥のボートを牽引しようにも、それほど強靭なロープ等もない。誰かがこの場に残らなければならないという事実が突きつけられる。けれど…シルバーカリスに鍵を渡したリックの考えは、その時既に固まっていた。
「マリグリンを連れてセラアハトと脱出してくれ」
一切の迷いのないリックの言葉。なんとなくだが、リックならそういうと思っていたセラアハトは己が好意を寄せる人間が、思った通りの勇気を持ち合わせる人間である事を嬉しく思う反面、この状況を心苦しくも思った。けれど迷いはない。異論を唱えることもなく、心にある私情を押し殺し、波の影響で今自分たちが居る白鳥のボートの集まりの端に来たマリグリンの乗る白鳥のボートへ爪先を向ける。
「夕飯時までには帰ってきてくださいよ?」
「おう、任せろい」
セラアハトと打って変わってノリの軽いシルバーカリスとリック。前者はリックへその手にある革のベルトを投げると、彼が乗ってきたジェットスキーの方へ。後者はシルバーカリスが放ったベルトをキャッチ。マリグリンの乗る白鳥のボートへと爪先を向けながら言葉を交わし、白鳥ボートから白鳥ボートへ移動を開始する。
「くそ~ッ! 約束が違うぞ~ッ!」
「何訳の分からない事言ってんだ。オラッ、無駄な抵抗やめろオラッ」
「くっ…いてっ、叩くなッ」
「大人しくしろオラッ、年貢の納め時だオラッ」
セラアハトとリックが人の見据える先には、なんだか計算が狂った風に狼狽えた様子で、ペダルを漕ぎながらなんとかこの状況から逃れようとするマリグリン。だがそれも船体の側面から上半身を乗り出し、マリグリンの頭を小突いて妨害するガリの奮闘もあってか、幾らも進んではいなかった。
セラアハトはガリを一瞥したのち、あと少しでマリグリンの直ぐ傍に来る…そんな時、腰後ろに手をやる。いつもなら2丁持っているフリントロックピストルの内のもう1丁。それを手に取るために。
――銃は…そうか…。
だけれどすぐに理解する。何時もある1つはリックにプレゼントしたことを。自分が持っていたフリントロックピストルは撃ったままリロードは出来ていないし、使い物にならない。そこでセラアハトは頭を切り替え、腰にあるシャムシールの柄に手を伸ばし、それをゆっくり抜き放った。
周辺海域に展開する帆船の船団の脚ではもはや現場には駆けつけることは叶わず、ゴルドニアの音楽隊はマリグリンを拘束し、速度も小回りも利くジェットスキーで戦闘範囲外まで逃げるだけ。たった2日で行われた戦い。他の思惑が絡み、起きた炎が塩パグ学園島を業火で焼く。その中であった這いまわる鼠たちの戦いの勝敗は…決しかけていた。赤い夕陽色に染まる世界の中、案外あっけない幕引き際に。
*
赤く、暗く…辺りを染める夕日の赤。薄紫色に染まり行く空にはうっすらと、微かにではあるが星が輝き出している。風も波も穏やかで、海鳥たちの姿もあまり見えなくなる中で…燃え盛る業火の影にて這いまわっていた鼠たちの戦いに決着が付こうとしていた。
赤い夕陽の光が鋭く閃くシャムシール。それを手に持つスチームパンクなドレス姿の少年、セラアハト。彼は裏切り者であるマリグリンを前に考えていた。なかなかこちらの呼びかけに応えず、動こうとしない彼について。腕から行くか、脚から行くか…と。
勝者の余裕だろう。猶予を与えてしまうのは。勝ちを確信した者だからこその特権。慢心であろう。急ぐ人間からすればもたもたしているようにも見えるセラアハトの肩に…ふいにリックが手を置いた。
「何かあって死なれても面倒だし、刃物は無しでよろしく」
今セラアハトに追いついたリックはそのまま前に。シルバーカリスからの無線で聞いていた協力者であるガリへ片手を振って、その後姿を見つつ、セラアハトは少し考えたような顔をした後に鞘にシャムシールを戻す。
「ガリさんですよね? この後一緒に晩飯でもどうです? 協力してくれたみたいですし、俺奢りますよ」
「あのッ…そのッ…迷惑じゃないですかねぇ? そんな大したことしてませんしぃ」
気さくに話しかけて来てはいるが…見た目が見た目だ。恐らくガリの様な人種が最も苦手とするであろう人種。スクールカースト上位に位置するヤンキー。ガリが忌避感を感じ、その表情が引き攣るのも当然で、自然と返事も及び腰になる。だが――
「その口ぶりからすると予定もないですね? じゃあ今夜の予定は決定で。大丈夫、日が変わるまでには帰してあげますよ」
悪気はないのであろう。ニッと笑うリックは一方的に宣言し、話を終えてしまった。少しばかり気が軽くなりつつも戸惑うガリに返答の猶予も与えず、強引に。そして再びリックの視線はガリの下。白鳥のボートの中の警戒した猫のようにこちらを睨むマリグリンの方へと向き…ガリもそれをきっかけに気持ちを入れ替える。
海域に展開する帆船との距離は遠い。手漕ぎボートなんぞ出したところでここにたどり着く前には自分たちはここには居ない。そんな勝ちが確定したと思われる場で…リックとセラアハトは助走をつけ、マリグリンの乗る白鳥ボートの上に。まだあきらめた様子のないマリグリンの確保に乗り出す。シルバーカリスがジェットスキーにエンジンを掛けたのであろう、なんだかダブっても聞こえる、やや遠く煩いエンジン音をその耳に。
「リック、セラアハト…! 俺に手を出して後悔しても知らないぞ! 今なら間に合う! 今すぐ引けッ!」
「脅しにもなっていないぞ。まぁ…後で話す時間はくれてやるから今は黙っていていい。後で確り聞いてやるとも。ゴルドニア島の薄暗い地下でな」
何とか考えた末に出た稚拙な脅しなのだろう。マリグリンの必死さが生んだそんなものにセラアハトの心は動かされることなく、彼は白鳥のボート側面に上体を乗り出す。マリグリンを確保すべく。しかし…
「くそォッ! 諦めてたまるかァッ!」
マリグリンは大人しくしてはいなかった。動かなくなったナナちゃんを抱きしめシクシクと泣いているゴリの隣からヤケクソになったように吼え、渾身の力を込めてジャンプし、少し離れた位置にある白鳥ボートの集まりへ。それを形成する一つの白鳥ボートの首元にしがみ付くと、それの上によじ登って逃げ始める。
白鳥ボートの上から白鳥ボートの上へ飛び移り、自分達から遠ざかる彼の背中を見ていたセラアハトとリックは互いに顔を見合わせ、セラアハトは呆れ混じりのサディスティックな微笑を浮かべて立ち上がり、リックは意地悪い笑みを浮かべて肩を竦めてみせる。すぐには追い掛けない。なぜならマリグリンはもう袋のネズミ。どうやっても逃げられないし、捕まるのは時間の問題なのだ。その中での無駄な足掻きは、猟犬共の狩猟本能と加虐心を掻き立てる以外に意味をなさない。
「フッ…無駄な抵抗を」
「ほんとにな。困った野郎だよ」
セラアハトは腰に片手を当て、片足に体重を掛けた態勢で。リックは腕を組んで視線をマリグリンの背へと戻す。そんな2人の背に視線を向けるはガリ。彼も協力すべく口を開く。
「俺も手伝いますよ」
「お前はこの下にいるゴリをどうにかするのが最優先事項だ。結果の解り切った追いかけっこに付き合う必要は無い」
「あぁ…そうっすか…」
けれどセラアハトから返ってくる言葉はつれないものだ。2人で十分である事だからか、ゴリとガリの関係性を加味しての物かは解らなかったが、少しガリはシュンとし、言われた通り今さっきマリグリンが居た白鳥のボートの運転席へと身を乗り出した。
「セラアハト。お前は左側からな」
「あぁ。リックは右から頼む」
「あいよ」
ガリがゴリを慰める声を掛け始める最中、逃げ行くマリグリンの背を見据え、互いに指示を出し終えたところでセラアハトとリックは再度白鳥ボートの集まりへ。前者は左手、後者は右手から追い詰めるべく、間も無く行動を開始した。
そんな迫る彼らの視線を一点に浴びるマリグリンが向かう先は…戦意喪失した風紀委員達が乗る白鳥ボート。しかし風紀委員達は困ったように寄せ集まるだけで何か行動を起こすわけでもなく、マリグリンもそこでは止まらず、通り過ぎ…なるべく遠くを目指して逃げていくだけ。ほんの時間稼ぎにしかならないであろう抵抗は、意味があるとは到底思えないもの。リックとセラアハトはそれを着々と追い詰めていく。白鳥ボートの上から白鳥ボートの上を飛び、走りまわって。
しかし…その最中にリックとセラアハトはとあることに気が付いた。先ほどから大きく聞こえるジェットスキーの物と思われるエンジン音。それが聞こえてくる方向の違和感を。当然、2人の視線はその音源の方へと自然と向く。違和感の正体を確かめるために。
「なるほど…何処かから失敬してきたわけか」
冷静で余裕のある表情のセラアハト。髪を、フリル付きの衣服の襟やスカートを風に靡かせる彼の視線の先に在ったのは違和感の正体…沖に展開するゴルドニアファミリアの船団の方から水しぶきを上げて向かってくるジェットスキーだった。けれどセラアハトは高を括ったように呟くだけ。どうせ敵は1人か2人。それも…誰であるか見当が付いた風に。
セラアハトの見たものと同じものを見、リックは大して反応を示すことなく、マリグリンの方へと移動を再開する。先ほどよりも移動する速度を速め、マリグリンを捕らえるべく。白鳥ボートの集まりの側面側を低速で、ジェットスキーで行くシルバーカリスの姿を一瞥し、確認しながら。
「もうちょっと遊んでたかったなぁ。セラアハト、戦闘になっても面倒だしさっさとマリグリンを捕まえるぞ。シルバーカリス、あの野郎を海に叩き落すからその後は頼む」
返事を返すことなくセラアハトは行動を再開することで肯定の意を示し、シルバーカリスはビシッと親指を立てて反応を返す。
包囲が完了したのは、沖の方からやってくるジェットスキーが白鳥ボートの集まりにそろそろ到達する頃であった。マリグリンは白鳥ボートの集まりの端にある白鳥ボートの上に。リックとセラアハトがそれのサイドにある白鳥ボートの上に行き着き…包囲する形に。ここに来てマリグリンは暴力による抵抗を決心したようで、拳を構えて身構えていた。
「着地を狩られたら厄介だな…。リック、銃は使えるか?」
膠着状態に成りつつある中で、セラアハトはそれを打開すべくリックに問い掛けるが、リックは首を横に振った。
「学園エリアに向かう足確保するときに使っちまった」
「やれやれ…となると僕の責任は重大だな」
セラアハトはそう言って腰後ろに手をやり、その手にフリントロックピストルを握り、その銃口を――マリグリンの方へと向けた。
「マリグリン、動くなよ。間違って頭を撃ち抜かれたくはないだろう?」
「うぐっ…うぐぐっ…!」
口元に静かな笑みを湛えるセラアハト。彼の右手にあるフリントロックピストルの照準はマリグリンの足に向く。銃口を向けられる恐怖にマリグリンは言葉を詰まらせ、その表情を引き攣らせていたが…これはセラアハトのブラフだ。商店街で1発撃った後、リロードなどしていないのだから。
きっとリックだったら自分の真意を解ってくれるだろう。セラアハトはそう考えていたが…リックは動かない。それはおろか彼の視線はマリグリンでもセラアハトの方にも向いてはいなかった。――彼の見据える先、そこにあったのは…今ようやくこの白鳥ボートの集まりの傍へとやってきた沖からのジェットスキー。その上に乗る黒髪褐色肌の男…ルーインであった。
「今回のゲーム、勝ったのは俺だったな」
たった1人でやってきたルーインは突然に勝利宣言。演技にしては嫌に自信満々な笑みを口元に浮かべ、白い歯を見せながら己の身体の前に肘を立て、拳を握って見せた。
当然彼はこの争奪戦における競合相手の1人。紛れもない敵だ。だからこそ自然にマリグリンを目的として塩パグ学園島にやってきた者たちの目は彼に集まる。けれどそれからの反応は様々。シルバーカリスはマリグリンを確保し、この場から去る事に考えを絞ったように視線を直ぐに彼にへと戻し…セラアハトは1も2もなく鼻で笑う。ただのブラフ。虚勢であると決めつけて。
「あーあ、こうなっちまったか。だから急ぎたかったんだけどな」
だが――リック。ルーインを目の前にした彼の言動は――少々他とは異なった意味合いを孕む様な物であった。少しばかり残念そうな抑揚で言葉を紡ぎ、今さっき使ったと言ったはずのフリントロックピストルを腰後ろから迷うことなく右手に持ち――
「――ということで…セラアハト。悪いね」
その銃口を…真直ぐ。半身で構えて迷うことなくセラアハトへと向けた。ハーフロック状態だった引き金を親指で引き、フルコック状態にして参ったような、どことなく悪戯っぽい笑みを浮かべ、いつもの彼らしく軽い感じで…横目でセラアハトの姿を眺めて。
それは――紛れもない敵対行為。純然たる裏切り行為だった。
リックからの命令は、セラアハトの顔をリックの方へと振り向かせ…彼がフリントロックピストルを自分に向けている様を青の濃い空色の瞳に映す。だが、動揺と困惑に瞳を揺らしたのは一瞬で…理解は直ぐに追いついた。セラアハトの頭の中に掛け巡る映像は、リックと花子が乗った軽トラックが帆船の上に落ちる時のことと、その後…商店街にて、マリグリンの行く手を先回りする形で現れた2人の様子だ。
「…なるほど…ルーインと何か取引したと言う訳か」
「正直気乗りはしなかったけどな。ビジネスマンなもんで。俺も花子も」
リックが言葉を言い切った直後、セラアハトは右手に持ったフリントロックピストルを素早くリックの方へと向けた。愛憎入り混じる怒りの笑みをその顔に貼りつけ、白い歯を剥いて。だが――それに対してリックは動かない。何のアクションも取りはしない。ただ、口角を上げて笑うだけだ。
「負けず嫌いな奴。当ててやろっか。それにはもう弾は入っちゃいない。商店街で聞こえた銃声。犯人は…お前だ」
リックは左手を半身になった己の身体の前、腰の前あたりへと出し、ウインクしながらセラアハトに向けて人差し指を伸ばす。その反応はセラアハトのプライドを逆なでし、癪に思わせると同時に…リックに対して新たな形の、愛憎入り混じる…いうなれば暴力的で獰猛な好意の様な物を抱かせた。
「ふふ…良いね。さすがリック。そういう抜け目ないところ…すごくいい。素朴で品行方正な人だと思ってたけど…もっと夢中になったよ」
セラアハトは鼻から息を吐き出すと同時に一変してその態度を変え、フリントロックピストルを手に肩を竦めた。参ったような笑みをその顔に。ただ、穏やかなのは仕草と声色だけ。その瞳には悔しさと愛憎入り混じる報復の色が見て取れた。
「そりゃどうも。んでもまあ、本心言うとお前の事撃ちたくはないから、大人しくしててくれよな」
必要とならば撃つというスタンスをセラアハトに指差した左手を下ろしつつ、リックは明言。かといって…セラアハトの見え透く腹の内に追求する風でもない。全ては金のため…仕事を円滑に完了するために、情に流された様子微塵もなく。
「シルバーカリス。話は聞いてたな。セラアハトは俺が見ておくからルーインと一緒にマリグリン引き摺り下ろして捕まえてくれ」
「はーい」
他人に対して関心が極端に薄いのか、それとも仲間とそれ以外をきっちり分けられる情に流されない鉄の精神力の持ち主なのか。シルバーカリスはなかなか逞しいもので、今さっきまで味方として行動していたセラアハトに一抹の情を掛けることなく、リックに言われるがままに返事を1つ返し、こちらに背を向け、背中を丸めて蹲るマリグリンが乗る白鳥のボートの方へジェットスキーを進ませ始めた。しかし――
「…?」
勝敗は決した。リックがそう確信が持てたのは、何時の日か見た蹲るマリグリンの姿をその瞳に映すまでの一瞬。今、シルバーカリスが向かう先のマリグリンの様子に違和感…いや、確かな既視感を覚えるまでだった。
「シルバーカリス、ルーインッ…何か妙だ。早くマリグリンを――」
リックは己の仲間と、新たな仕事の依頼主に呼びかける。地下遺跡での経験、そこで見たマリグリンの行いを知っているからこそ感じ取ることが出来た危険を。けれど…その最中に、マリグリンはゆっくりと立ち上がる。口角を上げた、攻撃的な勝利の笑みを口元に…どこかに隠し持っていたのだろう、赤い夕陽に輝くブローチを唇に咥え…それを吐き捨てるように落として見せて。
「いやぁ…本当にヤバかったよ。もうだめだって思った」
立ち上がったマリグリンはゆっくりと振り返る。各々の方へと、真っ赤に染まる太陽を背に。差し込む赤い夕陽の光はマリグリンを後方側面を照らし…彼の瞳に鮮やかな煌めきを齎して。
明らかに雰囲気の変わったマリグリンの様子を目の当たりにし、その場に居合わせる者たちが抱く感想、反応はそれぞれだった。傲慢なルーインは早々にブラフだと決めつけて小馬鹿にしたように下目遣いで笑い、シルバーカリスはマリグリンの出方を窺うようにしてジェットスキーを止め…リックは眉間に深い皺を刻み、その目じりをキツく吊り上がらせ――セラアハトに向けていたフリントロックピストルの銃口をマリグリンへと向け――引き金に掛けた人差し指に迷うことなく力を籠めた。
「ルーインッ! 撃てッ! そいつを止めろォッ!」
セラアハトを裏切ってまで得ようとした莫大な利益。報酬。自分より明らかに苦労し、危ない綱渡りをしてきたであろう仲間たちの働き。それを無にせんとリックは必死であった。彼の手の右手には、煙を上げるフリンとリックピストル。少しのタイムラグの後、それから発砲音と共に銃弾が発射されるが…それは影と共に音もなく上空から降ってきた巨体によって弾かれた。
その巨体はそのまま海面へと突っ込んだのち、浮かび上がる。今、リックやセラアハト、マリグリンが乗る白鳥ボート。恐らくそれの元ネタになったであろう…同サイズの巨鳥がマリグリンの白鳥ボートの直ぐ傍に。周囲に凄まじい風圧と水しぶきを齎しつつ。
「にょわ~!」
その巨鳥…デカい海鳥はくぐもった耳馴染のない声を上げ…その背に、マリグリンは飛び乗った。飛び散った海水が、赤い夕焼けで色付けられてキラキラと煌めき雨のように降り注ぐ中、まるで博打で大勝ちしたかのような攻撃的ながらも、身体を濡らし清々しい笑みをその顔に浮かべて。
「ふふふ…これで本当の本当に勝敗が決まったな。俺の勝利と言う形でね」
マリグリンは今まで切り抜けてきた道のりを振り返り、興奮と共に脳を焼く快感を味わいつつ勝利宣言。巨鳥の方へ拘束された両手を差し出し…巨鳥に啄ませることによって拘束を解いて、さらに続ける。
「リック、セラアハト、シルバーカリス。実はね、俺の後ろに居る連中は…お前らに対してゴルドニアファミリア内の寄生虫の事を喋らせるつもりだったらしい。驚きだろ? 俺も今さっき命令されたばっかりなんだけどね」
その間、誰もが目を見開き…今ある状況が飲み込めない様子で固まっている。だが…それも一瞬。ルーインは腰後ろに両手をやり、フリントロックピストルを左右の手に持ち、意気揚々と語るマリグリンに発砲するが――
「にょわっ!」
弾丸はマリグリンの身体を貫く前に、彼を守るかのように開かれた、巨鳥の鋼のように硬い翼によって弾かれた。
「ゲームが終わった後に騒ぐのは見苦しいだけだ。ルーイン。前の博打で負けた時みたいにシケたツラして隅で縮こまっていろよ。みじめに、大人しくさ」
「ぬうぅ…こいつぅ…!」
下げられる巨鳥の翼の向こうに見えたのは、勝敗の決まったゲーム後の悪足掻きにも等しいルーインの行いに…片眉を吊り上げて嘲笑を浮かべるマリグリンの姿。彼の物言いはルーインの自尊心を酷く傷付け、彼の眉間に深い皺と表情に険しさを作らせた後、マリグリンはリック、セラアハト…そしてシルバーカリスの順に視線を滑らせた。
水平線の向こう側に見える、赤く輝く夕日の天辺が沈む瞬間。紫色の強まる空の色が夜の顔に変わる時。静かな波の音の中、マリグリンの聞き心地だけの良い声が裏切り者の名を発す。やや強く吹いた風にそれは混ざり…少しばかり聞き取りにくいものとなるが、その場にいる関係者の耳には問題なく届く程度のものだった。
「…――まぁ、確証があるのが俺の中ではそいつだけと言う話だって事を覚えておいてくれ。きっと根は深いぞ。お前たちが思っているほどな。ルーイン。お前もそう思うだろ? ふふふふっ…」
這わされるマリグリンの視線はルーインの方で止まった後に言葉が途切れた。その後のほんの一瞬、シンとすら感じる時の流れの中…各々の反応は様々であった。シルバーカリスは大して反応を示さず、リックはどことなく腑に落ちたように、ルーインは苦虫を噛み潰したような顔をして。だが、その音も時も止まったかのような沈黙は、セラアハトが口を開いたことによって終わりを告げる。
「ゴルドニアファミリアを割ろうとする外部勢力による見え透いた策略だ! 僕は惑わされないぞ! 決して!」
「お前がどう思おうと俺の知ったことじゃないよ。信じるも信じないも好きにすればいいさ」
鬼気迫る訴えは、もはやマリグリンにはどうでもいいようで、ただうるさそうに顔を微かに顰めさせて小言を言わせるだけのもの。関心のない彼の視線は直ぐにセラアハトから外れ、シルバーカリスを経てリックへと止まった。
「マロンはお前たちに何か隠しているぞ。確信までには至っていないだろうが、今回の事に絡む一部勢力がその秘密に続く可能性の糸を手繰り寄せようと行動を開始している。地下遺跡でよろしくやった俺からの好意だ。参考にしてこれからの身振りを良く考えるといい」
口元に笑みを浮かべたマリグリンは一方的に言いつつ、顔を訝しいものに変えるだけで何も言葉を返そうとしないリックを見据え、言葉が終わったところで巨鳥の首元を叩いた。
「さて、名残惜しいがこれでお別れだ。楽しかっ――おわっ!」
マリグリンからの合図を受けた巨鳥は、格好を付ける彼の首根っこ。衣服の襟を嘴で噛むと水を掻き、大きな翼をはためかせて暗くなった水平線の向こうへと走り始め――
「うわわわわわ…うわわぁー!」
間を置くことなく飛び去った。宙ぶらりんで顔を青くしたマリグリンの悲鳴をその場に残し、沈んだ夕日を追うかのように。
その後に夕日は沈み切り、明るい月明かりと流れ星の散る星空の下、残された者たちに戦いの終わりが実感として伝わるのはマリグリンの悲鳴が聞こえなくなってからであった。
残されるは敗北者たち。失意の影にて育つのは、報復心やまだ戦い収まる気配内戦場から遠ざかろうとする意思だったが――
「この光は…?」
「…見覚えありますね」
けれど…それらの思い、意思が…行動となって現れる前にリック、そしてシルバーカリスはコメントを残し、周囲に存在するプレイヤー全てと共に光となってその場から消え去った。
夜が訪れた星降る30階層。空を飛んでいた複葉機や飛行船は落ち、海や地面に降り注ぐ。その世界に残されるのはまさひこのパンケーキビルディングの住人達だけ。それは塩パグ学園島での戦いが終わったことを現していた。
次回はですね、ヤツ(まさ)が来ます。そして…30階層に渦巻く利権絡みの話がデカいギルドの親玉連中を通してされる感じになります。
結局ゴルドニアの音楽隊ってのは粒ぞろい少数精鋭の木端組織で、戦闘員としてはそこそこなんだけど、何か例外が無い限り大局に影響を与えられるような存在ではないのだ。だから彼女らの視点では何が起きているのか語るのは難しいのさ!
ただ、各組織間の集まりで綺麗さっぱり全容が語られるわけでもない。稚拙ながら考察の余地を残したいと思うよ。しかし本質は競争だ。相手の砂山を崩すか、己の砂山を高くするか…利を追い求めるだけの話。そんな深いものでもないよ。