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まさひこのパンケーキビルディングとその住人。打砕く者と守る者。  作者: TOYBOX_MARAUDER
海賊の秘宝と青い海、俗物共の仁義なき戦い
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夢の世界の舞台裏


 太陽の温かさが無くなり、海の向こう側から吹き寄せる、冷たくなった潮風。一日中歩き回って疲れた身体を撫でて心地よい冷たさと共に、微かに熱を取り払うそれが絶え間なく人と人との間を縫う場所。塩パグ学園島。陽が落ちて夜になったことにより、建物と言う建物に明かりがつき、明るい月明かりの下で燦然と輝き出す。


 塩パグ学園島の唯一の出入り口。検問所のある島。その西に存在する一際大きな、煌びやかな光でライトアップされた鉄橋。その先に享楽的に輝く都市。ミニチュアバージョンのモグモグカンパニーアイランドとも言えそうな、高層ビルが立ち並び、その間を道路と様々な高さの高架橋、曲線や直線を描く複雑な立体交差が張り巡らされる場所。その一角にあるピンクや青、大凡照明目的ではないカラフルな光の満ちる店の前にて、黒と紫色の宮廷服風の服装の花子とスチームパンクな服装のリックはピンク色の箱。筐体。それを目の前に立っていた。


 「行けるッ…さあッ…!」


 UFOキャッチャーの筐体。それに取り付けられた2つのボタン。それを叩きつつ、花子は唸る。その視線の先にはガラスカバーの向こう側に見える、なんだか頼りないアーム。動くごとにピカピカと光るそれは、間も無く止まり、下へと降りていく。その向かう先には長細い投げナイフ10本セットが入った紙のケースがある。


 「あのなぁ…」


 何度目かのチャレンジ。それに臨む連れの姿を後ろから眺めていたリックは、心底呆れたような顔をし、たくさんの意味がこもった言葉を一言だけ発す。そして彼の目の前で筐体の中のアームは、投げナイフのケースを確かに掴む。しかし、それは上へと上がり始めたところで急に力が抜けたかのようにケース側面を撫で、ケースを置き去りに上へと上がった。


 …期待していたのだろう。それを見た花子の後姿はぴったりと止まった。ガラスに映って見えるその時の彼女の顔。それは目つきを据わらせた、淡々とした様な表情だ。裏切り。それを感じたような。


 それから少しの沈黙が流れ、リックが声を掛けようと思った時、花子が片脚を上げ――


 「…こいつっ!」


 UFOキャッチャーの筐体。その下部を靴底で蹴りつけた。


 「あっ、こらっ!」


 花子の暴挙に驚き、思わず目を見開きながらもリックは止めに入った。周囲のプレイヤー達の視線はUFOキャッチャーの筐体が蹴られた物音によって花子とリックに集中し、2人は軽い見世物となる。…何度チャレンジしても一向に掴めないアーム。恐らく正攻法での攻略不可能なそれは、初心者を養分としか見ない不親切なもの。故にリックは花子の怒りも理解はできる。だが、彼女の連れとしての体裁。法治国家に生まれ落ち、育った人間としての体裁。それがあるから花子を止める。割と全力で。


 「おーいッ! 落ち着け! どうどう! ステイッ!」


 「うっさいッ! このイカサマシーンもう一発蹴っ飛ばしてやらないと気が済まないわッ!」


 「バカな真似はよせッ! 仕事さぼって遊んだ上に騒ぎ起こすとかお前ッ…!」


 「ペテンにかけられてッ…コケにされて黙ってられるほど私は大人じゃないのよッ!」


 リックは焦りながら花子を後ろから羽交い絞める形で掴んだが、花子は止まらず足で筐体を再度蹴る。そしてようやくそのタイミングで2人の目の前にある店。ゲームセンターから、首元に蝶ネクタイの付いた白と青の縦方向のストライプの入ったシャツ。黒いオーバーオールを履いた、リーゼントっぽい髪型の店員が飛び出てきた。


 「お客様ッ! 困りますッ!」


 ゲームセンターの店員もリック同様焦ったような顔をし、これ以上筐体が攻撃されないようにとそれの前へと立ちふさがった。その時の反応はどこか作り物の様な雰囲気、違和感を感じさせるNPCとは違うもので、彼がプレイヤーか、もしくはセラアハトの様な存在であることがなんとなく察させるものだ。そんな彼の目の前で、羽交い絞めにされていた花子はリックの手首を握り、それを強引に力によって引きはがす。


 「いででででっ!」


 リックの痛みを訴える悲鳴。その後で解放される彼の手首。彼が目じりに涙を浮かべ蹲り、花子に捕まれた手首を痛みを癒すように撫でている最中、花子はゲームセンターの店員の前へと一歩進む。


 「出たわねッ!  このイカサマシーンの持ち主が!」


 「イカサマシーン!?」


 「そうよ! もう20回もプレイしたのよ! 全然つかめないじゃない! イカサマよッ、イカサマ!」


 「イカサマじゃないですぅー! ちゃんとやればとれますぅー! 言いがかりはやめてくださーい!」


 店員に絡む厄介な客と化した花子。それに下からガンをつけられ。委縮し視線を逸らしながらも唇を尖らせ声を張る店員。その最中、一際大きな人影がゲームセンターの中から、ゆっくりと出てきた。


 服装は今花子に絡まれているゲームセンターの店員と全く同じもの。身長190センチはあろうかと言う、獣の様な体毛が生えた大きな身体。狼の様な尻尾。顔は狼そのものの…正に獣人。それが現れた。威圧するような雰囲気を出し、悠然と。当然、その存在感のあるそれの方に場に居る3人の目が向く。だが、その姿に花子、そしてリックも見覚えがあった。


 「お客様…むッ…? 花子とリック…なのか…?」


 聞き心地の良い、渋く這うような声で言いながら、その犬型獣人は驚いた風な顔をして暴走する花子、そして蹲るリックを交互に見る。そしてその表情は友人と出会った時の様な、柔らかな物へと変わっていく。


 「ハチ…? ハチじゃないか! なんでお前がこんなところに…」


 リックは痛みの引いてきた手首を抑えつつ、ゆっくりと立ち上がってその犬型獣人を見上げる。…20階層雪原から30階層塩パグの憤怒まで。その道中で会った素朴で誇り高い草原の狩猟民族。犬型獣人たちとの出会い。その時に育んだ友情と、共に食べた絶品の鹿肉ローストの味。リックの頭の中に思い出されるのは、そう昔の事でもない暖かな冒険の1ページ。それに映っているのが今目の前に居る犬型獣人。ハチだった。


 「ハチ、あとは頼んだッ! この厄介な客を撃退した後、ぺリグリージャムがお前を待っているぞッ!」


 「あっ、逃げる気!? いいわッ、どこへでも逃げ遂せるがいいわよ! 世論にこの店の実態を暴露してやるわッ!」


 「おいバカやめろッ! 威力業務妨害だぞ!」


 「…ハァ…犬用の缶詰なんて俺ァ食べませんよ」


 花子に凄まれていたリーゼントの店員はハチがやってきたことによって、そそくさと店の中へと戻っていく。何しにここまで来たのだろうと思えるような素早さで。その背に向かって花子は吼え、彼女をリックが青い顔をして必死で止め、ハチは逃げ帰ったゲームセンターの店員の言葉に、呆れたような顔で、呆れたように言うと頭を掻いた。


 とても賑やかな、吹き抜ける風の様なひと時。それが終わって静かになって尚も花子は肩肘を張ってゲームセンターの自動ドアの方を睨み、リックは胃が痛そうな顔をして腹部に手をやり、ハチがUFOキャッチャーの筐体方へと近寄る。そしてボタンを押し、アームを操作し始める。花子が暴挙に出たことによってプレイされなかった最後の1回を。


 「アーム弱くし過ぎるとビギナーは取れないし、強くし過ぎると転売屋みたいな連中に食い物にされる…難しいもんだよ」


 UFOキャッチャーの筐体の中でチープな音楽と共に光り、動くアーム。それは降りて行き、ケースを掴むのではなく、それの隙間。そこに爪を差し込んで持ち上がり、落とし口の上でアームを開かせてケースを落とした。もともとは草原を走って狩猟をし、外敵と戦って生活する誇り高い犬型獣人。そんな原風景からは考えられないその大きな背中からは、どこか物悲しい、郷愁のようなものが伺えた。


 「と言うかアンタこんなところで何やってんのよ。前に会った時はそろそろ子供が生まれるとかそんな話してたじゃない。奥さん放っておいてこんな掃溜めで油売ってんじゃないわよ」


 小さく、頼りなく見える大きなハチの背中。それへと向けて割と本気で怒った様子で花子はキツイ言葉を掛ける。目じりを吊り上げ、刺すような視線と共に。それによってハチのしっぽと耳が力なく垂れ下がる。


 「…どうしても金が要り様でね。いい仕事がある、手に職つけられる技能が身に付くと言われてホイホイついて行ったらこの様さ」


 「その言い方から見て裏がありそうね。で…幾らいるのよ」


 「1万ゴールド。お前らが出ていってすぐに集落で大規模な火災があった。幸い誰一人死者は出なかったが…集落の復旧のためにも。生まれてくる俺のガキの為にも…今は不本意な仕事でも頑張らなくちゃならない」


 ハチは言葉を返しながら屈み、景品の受け取り口から投げナイフ10本の入ったケースを取り出し、それを花子の方に差し向ける。目じりが下がった笑みを浮かべ、覇気のない顔をして。花子はそんな彼の手から投げナイフ10本の入ったケースを受け取ると、腰に付けていた己の財布。それを花子は彼の身体へと投げつける。嬉しい重みの、大凡200ゴールドの入ったそれを。


 「勘違いしないで。アンタへの迷惑料と投げナイフを取ってくれた手間賃よ」


 体裁。プライド。それらを何よりも重視するからこそ解る誇り高いハチの気持ち。思うこと。それに対して花子は先手を打つ様に言って踵を返す。反論の余地を与えぬように、取り付く島も与えぬように。


 ――自分だって無一文同然なのに良くやるよ。


 リックは花子の横顔を流し目で見つつ、皮肉っぽく。だが、そんな格好つけの彼女の思いやりに親愛感を抱いたように微笑し、心の中で呟いた。そしてその視線に気が付いた花子と目が合う。不愛想でトゲトゲした雰囲気のその目と。


 「キモい顔してニヤ付いてんじゃないわよ。ほら、さっさと今日の宿探すわよ」


 「へいへい。解ったからケツ蹴んな」


 とても辛辣な態度、言葉であるが彼女なりの照れ隠し。そうだと解っているから尻を軽く蹴られてもリックは傷つきはしない。むしろ微笑ましく思える。だが、それを指摘したり、揶揄ったりはしない。今された押すような蹴りが容赦のない本気な一撃になると理解しているから。


 話が纏まり、花子とリック。2人の爪先がゲームセンターから人が行く道へと向いた時、リックの肩をハチが掴んだ。


 「あまり綺麗なところとは言えないが俺のところに来い。今の時間帯だとどこの宿泊施設も満杯だぞ」


 ハチからの申し出。それに花子とリックは顔を見合わせ、頷くと2人そろってハチへと顔を向けた。その時…2人そろって考えることは一緒だった。この夢の世界の舞台裏。そこで働く人々からの情報。噂。それがきっと今回の任務。それに大きく貢献するという推測は。


 「んじゃあ甘えさせてもらおうかな。お互いの近況報告がてらいろいろ聞かせてくれよな」


 「あぁ。あと少しで俺は上がりだから…30分後この辺に居てくれ」


 「解った。その辺で時間潰してくるわ。バイト頑張れよ~」


 リックとハチの話が終わったところで、花子は爪先をこの場から見えるコーヒーショップへと向けて歩き出す。リックはその背を追っていき、その2人の背中をハチは見送る。たくさんの女性NPCと少数のプレイヤーから成る人ごみ。その中へ溶けて行き、見えなくなるまで。


 どんどん空の色が夜の色を濃くしていく中で、それと同じように塩パグ学園島、都市エリア。それもまた夜の色を強めていく。学園エリアに居たプレイヤー達はお気に入りのNPCを連れ、夜だからこそ栄える場所へ。それ故に生まれる人の密度の偏りは、NPCとの疑似恋愛を目的としない、別に目的がある者にとっては好都合なものとなる。ご主人様に獲ってくるように言われた獲物の匂いの嗅ぎ方。それは全てが全て行儀の良い物とは限らないのだ。

 


 

 *




 塩パグ学園島。都市エリア。それは群島内の中で最も大きな島を中心とし、その周辺に散らばる小さな島々からなる区画。聳えるビル群と三次元に張り巡らされる道路、線路、橋。夜のドライブも夜景を見て楽しむのも。思いのままのその場所。そこから少し南に、ぽつんと佇む一つの島。ただ居住を目的とした味気のないマンションと、ほんの少しの細やかな娯楽施設。関係者以外立ち入り禁止とされるその場所へと続く、海の上に立つ高架橋。その上をレトロなデザインの、1つの車が走っていた。


 「犬型獣人って人間以上の高度な知能を持った知的生命体なんじゃないかと思い始めてきたわ。適応能力がダンチ過ぎる」


 その広いとは言えない車内の中、リックは窓の外に広がる高架橋とその向こうに見える夜の海の水面。それを眺めながら呟いた。早くも1日を振り返るような遠い目をし、頬杖をついて。


 「努力の賜物さ。車が運転できなければ出勤に2時間近く掛かる。片道で」


 運転席にはそのデカい図体を縮こまらせて何とか車を運転するハチの姿。まるで大人が子供の三輪車を漕ぐかのような有様だが、彼は片手をハンドルの隣、カーラジオのほうへと伸ばし、それを手慣れた風に操作する。


 少しのノイズ音の後、カーラジオのスピーカーから間も無く人の声が聞こえ始めた。


 『夜の6時になりました。こんばんは、モグモグラジオのメガネです』


 『こんばんは。モグモグラジオのしゃもじです』


 カーラジオのスピーカーから聞こえてくる驚くほど淡々としては居るが、ほどほどに低くカッコいい男の声とそれとはまた違ったタイプの、どことなく艶のある男の声。前者の声の主と顔見知りである花子であるが、これと言って反応は示さず、リックと同じように窓の外に広がる景色をただ眺める。ラジオを小耳に挟みながら。


 『いやー、昨日は凄かったですね。しゃもじさん。ラビットヘッド球場での一戦。パンケーキビルディング畜産率いるチクショウズ対モグモグカンパニー率いるオヤツモリモリーズ。バットがピッチャーの股間を打ち砕いたことによる大乱闘』


 『8回裏、チクショウズ8点、オヤツモリモリーズ2点の場面ですね。オヤツモリモリーズのコンポタ選手がバッターとして立った場面。振ったバットがすっぽ抜けてチクショウズのピッチャー山羊山選手の股間に直撃するという痛ましい事故からの。観客の皆さんは大盛り上がりでした』


 『巷では球団を所持する組織間のNPCとモンスターの扱いについて巡る政治的対立…それが表面化した、なんて言われていますが、どうですかね? しゃもじさん』


 『単なる事故でしょう。そう言った背景があったからこそ大乱闘に発展したのかもしれませんが。しかし、一番まずかったのは股間を抑えて蹲り、絶叫する山羊山選手を見て笑ってしまったコンポタ選手…彼でしょうね』


 『そうですね。割と大笑いしていましたからね。彼。では、ここでラジオネーム"女にされた山羊山投手"さんからのお便りをお届けしたいと思います。えー…メガネくん、しゃもじさんこんばんは』


 『こんばんは』


 『昨日ビルに取り付けられた大型モニターから中継をチラチラ見ながら彼女の人生相談を聞いていたのですが、モニターに乱闘を眺めながら観客席で缶ビール片手に心底楽しそうにヤジを飛ばす紫色のスーツ着た、超人相の悪いおっさんが映って思わず噴き出してしまい、目の前の彼女に今から人を殺すような目で見られました。彼女はそれから口を利いてくれません。どうしたらいいですか?』


 『あー、これはやらかしましたね。とりあえず土下座。靴の裏舐めるあたりまでは覚悟したうえでPTになんとか責任転移することを考えましょう。と言うか巷で結構話題になっていましたね。紫色のスーツのおっさん。ちょっとしたミームとして――』


 どうでもいい内容がただ流れるラジオ。それは途中で途切れた。反射的にリックそちらの方へと目を向ければ、指先でカーラジオを操作するハチ。そして間もなく、ラジオのスピーカーから軽やかなテンポのフュージョンが流れ出す。まさに夜。今自分たちが窓の外から見える景色にぴったりな、ムーディーなものが。


 ――車は進み、海の上に立つ高架橋から切り立った島へ。道も建物との間隔も狭いその場所は、車で入っていくにはあまりにも適さない場所だ。故に橋の近くにある大きな駐車場にハチは車を止め、車から降り、花子とリックもその後に続く。風は強く吹き、2人の髪を強く靡かせる。


 「はえ~…スッゲー密度。規模のでけえ軍艦島みたい。ロマンあるわ」


 車の鍵を閉めるハチの傍らで、リックは口をポカンと開けて内陸部に広がる密集する建物群を見上げる。その凄い密度で立てられた、閉塞感の強い味気ない建物群。そこにはところどころに獣人や、背丈が1メートルほどしかないガタイの良い緑色の肌をした、頭部に体毛が一切生えていない半裸のおっさんなどが点々と目に付く。


 間も無くハチは沿岸沿いの道を進み始め、花子とリックはその後に続く。進行方向の左手には夜の海と燦然と輝く都市エリアが小さく見え、右手には過密な建物群。夢の世界とその裏側。そのはざまに居るような感覚を花子は感じながら、前を見据える。


 「塩パグ学園島の従業員が住む為の島…か。誰かさんが見たい都合の良い世界を作る人たちは、皆ここで暮らしているのかしら」


 「いや、ここに集められるのは労働者階級の中でも比較的に地位の低い奴らだ。大体が家族や部族のために出稼ぎにきたってやつばっかりさ。不思議なことに俺と同じような経緯を得ての」


 「あらあら…それはとってもキナ臭いわね。アンタ集落を再建した後、夜間の見回りはきちんとした方が良いわよ」


 「当然だ。妙な事をしようとする奴を見つけたら生きては返さない」


 ハチはバカではない。薄々自分たちが此処に来ることになったきっかけが、何者かの作為によるものだと気が付いている風だった。誰とは、どんな組織だとは言わないが。とはいっても証拠も大義名分もない。それが良く解っているからこそ今の状況に身を甘んじているようだ。


 少し歩き、切り立った崖際。そこから突き出すようにして立つ比較的背の低い貧乏臭いアパート。鉄骨とコンクリートで無理くり広げた土地の上に立つそれへとハチは向かい、潮風によってやや赤錆びた鉄板の階段を上り、アパートの2階へ。階段上ってすぐの部屋へ入って行く。


 「ハチの旦那、お帰りなさい」


 ハチが開けた扉の先。6畳一間。その中心にちゃぶ台が置かれ、壁際には必要最低限の箪笥等の家具。天井から裸電球がぽつんと垂れ下がり、ガラス窓の先には夜の海が広がる。変わった物があるとすればやたらデザインの凝った魔法瓶ぐらいだろうか。生活感に溢れるそんな場所だった。そこには1メートルほどの身長の、緑色の肌をした小さいおっさん。それが台の上に乗り、小さな部屋の中にある台所に包丁片手に向かい合っていた。服装は外で見かけた同じような種族とは違い、子供用のTシャツとジーパンを履いていて、後頭部や腕などには恐らく自作したのであろう包帯や湿布が貼られている。


 「今日は仲間を泊める」


 「…プレイヤーですか」


 「こいつらはこの島を抑えている奴らや、利用する奴らとは違う。大丈夫だ。我が先祖に誓って」


 「…そのお二方を信じるハチの旦那を俺は信じますよ」


 明らかな警戒と敵意。台所の前に置かれた台の上で半身になって振り返った緑色の小さいおっさんからは、確かにそれらが感じられた。彼の良いとは言えない見てくれと傷だらけ成り。それを見れば花子にもリックにも、その訳はなんとなく察しはつく。この塩パグ学園島と言う特殊な環境だからこそ。


 夕飯の支度の最中であろう緑色のおっさんは再び台所へと向き直り、ハチは玄関にて靴を脱ぐと部屋の中心に置かれたちゃぶ台の傍に腰を下ろす。花子もリックもそれを見て、靴を脱いでから部屋へと上がり、ハチと共にそのちゃぶ台を囲む。


 「それで…花子、リック。こんなところで何をやっていたんだ? こんなところに出入りするような奴らでもないだろうに」


 「人を探しているんだ。身長180センチぐらいで…金髪。優しそうで女受けしそうな顔の奴を。働くために今日塩パグ学園島に来たらしいんだけど」


 リックは己が来た理由。そして探している人物について尋ねるが、ハチは瞳を閉じて首を横に振る。その最中に3人の前に緑色のおっさんがお茶の入った湯呑を置き、再び台所へと戻った。


 「人間から見て顔が良くて…進んでここに来たとなると俺たち技能実習生が住むこの島には来ないし、ここには情報は流れない。俺の職場は都市エリアだが、聞く限りそういう奴が来たという話は聞いてない」


 「なるほど…しかし技能実習生か。なんか聞いた時あるな。歴史の授業だったかな…国際問題になったとか…なんだっけな」


 「仕事がある、手に職つけられる技能が習得できる。そんな甘言に釣られて働きに来た俺らみたいな奴の事さ」


 「甘言…ってことは実情は違うんだな?」


 「表向きには報酬を伴う技能講習…その実、身に付く技能は無いに等しく、一日500ゴールドと言われていた報酬は住居費、食費、その他の雑費で殆ど持っていかれる。帰ろうにも元の世界に帰る手段はなく、逆らおうにも逆らえない。それが俺たちの現実だ」


 思った以上に闇の深い夢の世界の舞台裏。余りの胸糞の悪さにリックも花子も顔を顰め、その眉間に深い皺を寄せる。


 「皮肉なものね。都合の良い夢を人に見せるユートピアの裏側が、こんなディストピアだったなんて…あっつ!」


 「恰好つかねーなオイ」

 

 花子は視線を斜にしながら微かにだが、苦々しそうに口元を歪めてテーブルの上の湯呑を取ると、それに口を付けてお茶を啜る。その後で、思いのほかお茶が熱かったのか、声を上げて舌先を出した後、冷ますかのように息を吹きかけ始めた。そんな彼女を見たリックは一言言って、視線を再度ハチの方へと向ける。


 「何だったら俺が元の世界に返してやろうか? こんなところで稼ぐよりもっとマシな稼ぎ口あるだろ」


 リックは別段何か深く考えた風もなく、錆色のコートの懐へと手を突っ込み、階層転移の本を取りだす。問題は階層の、世界間の移動だけだと高を括った風に。だが、重苦しいハチの表情に変化はない。


 「俺はそれでもいいかもしれない。だが、この島に住む仲間の中にはこの島を支配するギルドから借金をしてまで来た奴らも居る。それに技能実習生が脱走したことが知れてしまえば、この島の住人に対して過酷な取り調べが始まる。残された奴らはその分苦しくなる」


 聞けば聞くだけ胸糞の悪くなる話しか出てこない。同じルーチンワークを繰り返すだけの機械の様なNPCはともかく、彼らの様に人と変わらず、気持ちが共有できる者たちをまさに奴隷のように扱う。巨悪。リックは思わず辟易し、花子は何か考えたようにちゃぶ台の上に視線を落として、その話に耳を傾けていた。


 ――そんな中、突如部屋の中に響くインターホンの音。それによってまな板の上に乗る根野菜を切っていた緑色のおっさんは蛇口をひねって水を出し、軽く手を洗い、手ぬぐいで手を軽く拭いた後、台から降りて、部屋の出入り口へ。自然と話し込んでいた3人の視線がそちらへと向く。


 「はーい、新聞なら間に合って――」


 緑色のおっさんは黙る。その扉の向こうに居たスタイリッシュなデザインのスーツに身を包んだスタイル抜群の2人の美女。それを見、目を見開いて。そしてそれらが身に纏う服、それに入っているゴルドニアファミリアのものとはややデザインの違う、金糸のウサギの刺繍等の雰囲気は、30階層の原住民であるゴルドニアファミリアと関わってきた花子とリックにとって、既視感の様な物を感じざるを得ないものだった。


 「モグモグカンパニーNPC人権部調査課のルッソだ。少し時間を貰っても?」


 右側面の髪が顎下までの、アシンメトリーで長めのテクノカット。髪色は薄い銀朱で瞳の色は唐紅。目つきは鋭く、まつ毛は長く、顔つきは整っていて、身体は全体的に細く見える。ネクタイを緩めたやや着崩したスタイリッシュなスーツを身に纏うそれは、物静かな雰囲気ではあるが、這うような、蛇の様な威圧感を感じさせる。その女ルッソは、言葉では協力を求める体であるが、その実、否応なしに協力しろとでもいうような雰囲気だ。


 「ルッソはダメね。小人さんが怖がってるじゃない。…私はソニア。少しでいいからお話聞かせて貰えない?」


 緩いウェーブの掛かった胸元までの長さの若苗色の髪。目じりの垂れた色気があり、柔らかな雰囲気のより女性的な顔つきで褐色肌。大きな瞳は宝石のように綺麗な孔雀緑。まつ毛は長く、体つきは中性的なルッソの物と比べて遥かに女性的。その豊満な胸のサイズゆえか大きく着崩したスタイリッシュなスーツの胸元を大きく開け、ところどころに露出する肌には緩やかな曲線が印象的なタトゥーが散見できる。その彼女の物腰柔らかだが、どこか得体の知れない雰囲気に緑色のおっさんが固まっていると、見かねたハチが立ち上がった。


 マリグリンを追ってやってきた花子とリック。そこで再び出会った友人。明らかになる塩パグ学園島の闇に、それと混ぜたらヤバそうなモグモグカンパニーNPC人権部調査課とか言う組織の介入。目まぐるしい状況の変化はマリグリンが逃げ込んだ魔窟、満たされない者たちの楽園の舞台裏から密かに争いの影を落とす。だが、花子もリックもその事態を対岸の火事として笑ってはいられない。この塩パグ学園島。それが戦火に巻き込まれればマリグリンの確保はさることながら、脱出すら危うくなるのだから。

立体交差僑と言うなんか見ていて私の中の男の子が呼び覚まされる代物。より複雑な形状で多階層だと嬉しい。

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