過去の手掛かりと歪な協力関係
昼下がりの空の下のように明るくなった地下遺跡。それに聳える城。その外周を沿うように作られた、緩やかな曲線を描く長い階段。低い手すりの向こう側、眼下に広がる城へ近づくごとに背が高くなる建物群。大きく立派な地下遺跡の街並みは、見る者にそれを作った者たちが持ちえた力を時を経て、確かに伝えるほどのものだった。
だが、今はそんな光景を楽しんでいる余裕は一行には無く、長い階段を駆け上がる。その長い階段の終点。その先にあったのは白い石畳で舗装された開けた空間とゴルドニアスカルヘッドのストーンレリーフが中央にある城門。落とし格子が落ちていないそれの向こうにあるのは、城への入り口。扉だった。
「…この城ってさ、今正面に見えてる城の本体以外たぶん土台だよな。白い石材でコーティングされてるから誤魔化せてるだけで」
それを眼前に捉えた時、ふと、リックが呟いた。今の自分たちにとって好都合ではあるのだが、なんだか少し残念そうにして。ロマン。興。それが著しく削がれた様な、少し物悲しい瞳を携えて。そんな呟きに、マロンのライトアイボリーの瞳がロマンチスト、リックの方へと向いた。何処か呆れたような風なその目が。
「なーに言ってやがる。調べる場所少ねえほうが好都合だろうが。のんびり探検しに来てるわけじゃねーんだぞ」
その一言にリックはマロンの方へと視線を向けた後、わかっていると言いたげに唇を尖らせて、その悪い目つきを不機嫌そうに細めた。その直後に今日何度目かのマリグリンの独り言が聞こえ、それを発する彼の方へマロンとリックの視線が行く。
「おいおい、大丈夫か?」
呆れたように己の顔半分に手を当てるだけで、声を掛けようともしないマロンの視線の先、リックは参った様子のマリグリンに声を掛ける。彼は両手を顔に当てて覆い、ブツブツと何か呟いていたが、リックに声を掛けられたことによりそれを辞め、顔から手を放す。それは情けない顔をリックの方へと向けて。
「リックぅ…」
あまりにも頼りなく、余りにも情けない。図体だけはこの中の誰よりも立派であるが、それ故に、相まって格好悪く、矮小に見える。だが、リックは心の片隅でそう思いながらも彼を助けたい。そんな気持ちで心の大部分を満たしていた。
「ちゃんと前見て歩け。そうじゃないとはぐれるだろ?」
甲斐甲斐しく面倒を見ようとするリックに感動したように目を涙で煌めかせ、頷くマリグリン。そんな彼らを先導するように進むマロン。決して狭くはない石畳の通りを歩き、やがて一行は大きな城門の向こうの扉の前へと行き着いた。
マロン先ずその大きな扉の片側に両手をあてて、押してみる。だが、扉はビクともせず、開く気配はなかった。
「…ま、いいけどよ。今更隠すようなもんでもねーし」
この地下都市。その入り口の門を開けた時と同じようにマロンは水の魔法を使って扉の向こう、その先にある閂を石畳の上に落とし、再度扉を押す。リックはフォールドにある両刃の片手斧を両手に取り、マロンをいつでもカバーできるように身構える。
石畳を擦る低い音。それと共に門は開いて行く。それは間も無く開け放たれて、その中へと紋章術によって生じた光の影が滑り込むようにして入り込んでいく。まるで暗がりを求める生き物のように。…紋章術というのは便利なものだ。扉の向こう、明るくなった城のエントランスホールへと続く黒い絨毯の敷かれた廊下を眺めながら、リックは思い、先導する形でその中へと入っていく。
「マロン。斧片方使うか?」
「いんや。ダガーでいい」
廊下のサイドにある手すりの向こうの空間。観賞用と思われる鎧や武器が並べられるそこに目をやりながらリックとマロンは短く会話をし、エントランスホールへと足を踏み入れる。…一瞬背後にある扉を閉めなおし、閂を掛けなおそうとも思ったが、何かあった時の退路。それを塞ぐのはまずいと思ったため、リックはそうしなかった。
黒い絨毯が敷かれ、白い石材で作られたそこは縦方向に広い吹き抜けの空間。上方向には4階まで存在する回廊が窺えて、今一行が立つ1階を見渡せば左右の奥。壁際にある二つの大きな螺旋階段に階層ごとの角に接する形で繋がっている。壁には先端が蛇の舌のように二股に鋭く分かれた黒い吊り旗が間隔をあけて吊られており、そこにはウサギの頭蓋骨の紋章が描かれていた。
先ずどこから調べるべきか。マロンとリックが思考しているとマリグリンが独りでに進み、1階の正面に見える大きな扉へと歩き出した。
「マリグリン、1階は最後だ。エントランスホールを遠くから見渡せて、時間に余裕が作れる4階から調べたほうがいい」
そんな彼の背中に気が付いたリックは、重要そうなものがどこにあるか、という観点からでは無く敵の侵入を意識した意見を口にし、マリグリンへと呼びかけた。
マリグリンはそれに足を止めて振り返ると、リックの方へと視線を向けた。何処か勇気を振り絞ったような、覚悟の伺える表情をして。
「今は時間が惜しい。…そうだろう? 多少危険でも手分けして行動した方が良い」
時間短縮を目的とするのであれば一番の意見。用心深く慎重な性格であるリックにとっては、それは賛成しかねる物だった。残り二人がこの城の中にやってきたら。この城の中に危険な敵が居たら。自分やマロンの様なある種の特権。加護を持っているプレイヤーなら何か間違いが起きても死にはしないが、NPCであるマリグリンは死んでしまう。そう思うととても許可できるものではなかった。
「ダメだ。全員の安全を重視しよう」
毅然としたリックの声。それにマリグリンは少しばかり視線を泳がせて迷ったような表情を浮かべた後、リックとマロンの方へ戻った。――リックはマリグリンが本当に効率のために今さっきの事を言い出したのだと信じた風だったが、それを傍らで見ていたマロン。その瞳には確かに懐疑の色があった。
3人再び合流し、4階へと続く2つある螺旋階段の片方へと一行が向かい始めた時、珍しく静かな表情をしたマロンがマリグリンの横顔を見据えた。
「――マリグリン。オメー」
何時になく真面目そうなトーンのマロンの声。その普通ではない様子。確信を見抜くような視線に見据えられたマリグリンは、一瞬だけその表情を本当に静かな、冷たく淡々としたものにした後、愛想笑いを浮かべた。
「なにか?」
なんだか変わる空気。いつも通り。今さっきまでの空気を装った張り詰めた雰囲気が一瞬にしてあたりを支配する。だが、鈍感なリックはそれには気が付かず、3人並んで幅の広い螺旋階段へと足を掛けた。そしてその瞬間、マロンの顔がなんだか悪いことをたくらんだ様な笑みに変わった。
「セラアハトに渡すもの以外に価値のありそうな物ちょろまかそうって思ってたんだろ? 懐寂しいっつー話してたし。でも安心しろよ~、あたしもそのつもりだったからよぉ」
欲望をむき出しにする下衆。そう表現するのが的確なマロンの発言はマリグリンの表情を観念したような笑みにへと変え、彼は鼻からふうっと息を吐き出した。
「…隠しても無駄か。でもマロン。君は話が解りそうで助かったよ」
「まあな。これからちょろまかす物に関しては外には喋んなよ。特にゴルドニアファミリアの連中には。面倒はごめんだからな」
「もちろん。俺たちは共犯だ。片方が裏切れば自分のしたことも明るみに出る。そういう信用があるからこそ俺は君を裏切らない」
「おっしゃ、セラアハトの坊やのお土産を適当に見繕ったら自分らのためのお宝探しだな!」
螺旋階段を上る一行。情けなく頼りない印象しかなかったマリグリンはそのさっきまでの様子が嘘のように、マロンはマロンらしいというか、彼女のイメージに違わぬ反応でリックの傍で会話をし、それを聞いていたリックは苦笑を浮かべる。ただ、リックとしてもそれには賛成であったため、余計な口は出さない。自分たちはゴルドニアファミリアではないし、彼らの仲間でもないのだから。
行き着く4階。螺旋階段の天辺に接する四角いエントランスホールを縁取る回廊が見え、それに沿う形で壁側に扉が等間隔に取り付けられている。ただ、自分たちが入ってきた正面入り口の対面に位置する壁にはそれは大きな扉が一つだけ取り付けられていて、その先が大部屋であることを何となく一向に察させた。
「大部屋から行くぞ」
マロンはダガーを両手に、順手に持ちながら一言言うと大部屋に続いているであろうその扉へと進んで行き、異論なかった他二人も続いて行く。間も無くその扉の前に行き着いたマロンは、ドアノブをゆっくりと音を立てないように回していき、回しきった後で音を立てぬよう扉をゆっくりと押していく。
扉の向こうには開けた間。恐らく舞踏会の間か何かであろうそこには、他の部屋から持ってきたのであろう埃の積もった豪華な白い長テーブルが複数並べられていた。部屋の角に何かを焼いたような跡があるぐらいで、それ以外は変わったところはない。それら部屋の中を一目見たリックの頭に思い浮かぶのは作戦会議室と言う言葉だった。
その部屋の中へとお互いをカバーできる間隔を保ちつつ、3人はその部屋へと進む。並ぶテーブルによってところどころ視界は遮られるが、見通せる範囲に敵は居ない。――とりあえず危険は無い。マロンがそう判断し、順手に持ったダガーを逆手に持ち直し、腰後ろの鞘に納刀した時、視界の端にて大きな動きを見せるリックの姿に目が行った。
「ッ…成仏しな!」
マロンとマリグリンがそちらの方へと駆け寄ると、テーブルによって死角になっている場所へと片手に持った両刃の片手斧を振り下ろすリックの姿。彼の見下ろす先には仰向けに倒れた状態で、リックの方へ片手を伸ばす頭以外を青を基調とする布と金属の立派な装備で包んだ動く骸骨。なんとなく敵意のなさそうなそれは間も無くリックが再度振り下ろした斧の一撃により、頭蓋骨を砕かれたことによって沈黙した。
「リックちゃん。大丈夫かよ?…他にもいんじゃねーだろうな」
マロンは頭蓋骨を砕かれて動かなくなったそれと怪我もなさそうなリックを視認すると、一応安否を訪ねながら埃まみれの絨毯の上に両手を突き、テーブルの下を見渡す。
「あぁ、一発頭ブッ叩いたのにくたばらなかったのは焦ったけど。…居そうか?」
テーブルの下を見渡した後で動かなくなった骸骨の前へと寄り、それの胸倉を掴んでテーブルの下から引っ張り出すマロンの様子を見下しつつ、リックは一応尋ねる。マロンの様子。それを見るからに他には何も脅威になりそうなものは居ないのだろうと解りつつも。
「いんや、こいつだけみてーだ」
「じゃあこの部屋の中は安全ってことだな。早速調べるか」
「おう。つっても…装備として良さそうなものはなにもなさそうだけどよ」
「まあな。でも、セラアハトが望むような物ならこの部屋にありそうだ」
マロンと会話をしていると、黙々とテーブルの上を漁るマリグリンの姿がリックの視界の端に映った。まったく逞しいというかさもしいというか。こちらの無事を確認できたその瞬間からか、もう既にテーブルの上にある物を品定めし、それを己の荷物の中に加えて行っている。ここに来るまでに喚いていた彼の事、そして今自分たちを出し抜こうとしている風にすら思えるその図々しい姿に、リックは思わず口元に苦笑いを作った。
そんな彼の足元では動かなくなった骸骨の持ち物を漁るマロンの姿。…死体漁り。余りいい気はしないものではあるが、マロンはそれが気にならないようで黙々と調べている。最近は疑わしいと思うようなことが増えたが、一応ここはゲームの世界。リックはそう己を納得させて埃の被るテーブルへと手を伸ばしかけた時――。
「…!…こいつぁ…!」
マロンが小さくだが、声を上げた。静かではあるが只ならぬ発見をしたのであろうその声に、自然とリックの視線はマロンへと向く。
骸骨の腰回りにある、もう主の腰を巻くことのないベルト。そこに取り付けてあった開いた状態の小物入れ。マロンの手の上に在るのはプレイヤーたちがステータス等を見るときに使う小さな水晶と古ぼけた本。…後者がなんであるか、マロンがなぜ驚いているのか。リックが理解するのに時間はかからなかった。花子とシルバーカリス。彼女たちと一緒に行動することになってから毎日見ることになっていた階層転移の本。今マロンの手にあるのは紛れもないそれだったのだから。
――その瞬間、部屋とエントランスホールを繋ぐ扉の向こうから聞こえる、微かな扉を押すような音。それに一同はピクリと反応を示し、扉の方へと身構えつつ息を殺す。…城は広い。故に今自分たちが居るこの部屋。それをピンポイントに当たってくるとは思えない…と言う考えに至るのは余りにも楽観的だった。敵の侵入に気が付きやすい位置。最も遠い場所。そういった理で先ずここを調べることを選んだのだ。当然相手側も自分達の考えを読み、考えるならばこの部屋を真っ先に目指す可能性は捨てきれなかった。
扉が押されることによって立つ音。それが止んで少しするとマロンは荷物の中に先ほど手に取ったものを押し込み、自分の所持品である階層転移の本を左手に手に取った。開かれるのは30階層の絵が描かれたページ。マロンは迷った様子無くそこに親指を近づけつつ、リックの肩へと対の手を置いた。
肩へ触れるガントレットに包まれたマロンの手。それにリックは反応し、彼女の方へと視線をやる。対の手にある階層転移の本。触れられる己の肩。それらを見るだけで彼女が何を考えているかリックにはすぐ解った。だが、すぐにマロンの指は止まる。開かれたページの絵。その色が灰色になったことを目撃したことによって。
「!」
次の瞬間派手な音と共に蹴破られる出入り口。その向こう側から悠々と現れる、四眼ナイトビジョンゴーグルが装着された戦闘用ヘルメットを被った黒いウェットスーツの女。その手にはセラアハトが持っていたカットラスが握られていて、彼女の傍にはセラアハト達の姿は無く、そしてもう一人いたはずの男の姿もなかった。
「御一人さんで来るかい。随分喧嘩に自信満々のようで」
たった一人でやってきた冷たく、色気のある目つきの女。彼女はマロンの言葉を聞き流しつつ室内の様子を確かめるように顔を動かした後に、マロンのライトアイボリーの瞳をそのマゼンタの冷たい雰囲気の瞳が見据える。
「大人しく指示に従えば痛い目に合わないで済む」
淡々と発せられるその言葉にマロンはフンと鼻を鳴らして笑い、肩を竦めて見せた。呆れたように相手の怒りを誘うような挑発めいた態度で。
「一応聞いてやるけどマロンちゃんにどういうお願いがあるのかな?」
「私の部隊が物資を回収するまで大人しくしていろ。そして集めた物全て没収させてもらう」
小憎たらしく思えるようなマロンの態度にもマゼンタの瞳の女の態度は一切変わらない。ただ淡々と。ただ冷静沈着に、まるで機械のように言葉を発するのみ。ついさっき城の下へと蹴り落とした男の方が可愛げがあったと思えるほどに。顔の大部分が装備で隠れていることもあって、感情を読み解くのは困難であった。
「部隊ってことは結構デカいところかぁ? つかそれならあたしら他の階層に転送してもいいだろ」
「ダメだ。お前らが他の勢力を呼び込む可能性がある」
「後ろめたいことしてるって自覚はあるわけか」
「それはお互い様だろう?」
マロンとマゼンタの瞳の女とで交わされる短い会話。その後にマロンは静かに腰後ろに手をやって逆手でダガーを二本抜き、静かに身構える。集めた物の没収。即ち、ゴルドニア島の土地を得られる権利の没収。ここに来た意味の否定。それだけは避けたいマロンにとって、今この局面。戦って切り抜ける以外方法はなかった。
「やるんだなッ…?」
マロンが身構えたことにより、臨戦態勢になるリック。30階層までの冒険を経て戦闘経験は相応にあるのだろうが、所謂対人戦。花子やシルバーカリスとの稽古をしてはいるが、それ以外のプレイヤーとの戦いは経験があまりないようで、若干緊張した面持ち。口調で彼は言葉を紡ぐ。
「あぁ、こいつが泣くところ見たくなったんでな」
据わった目つきでマゼンタの瞳の女を見据えるマロンの視界の端には、戦うことを恐れた風に部屋の隅で頭を抱えてブツブツ言い始めたマリグリンの姿。しかし、マロンとリックの2人にそれを気に掛けている余裕はなく、間も無くマゼンタの瞳の女がカットラスを手に前へと床を蹴った。
「――!」
早く、無駄のない身のこなし。軽やかな足捌きであっという間に、音を立てることなく彼女はマロンの前へと接近し、カットラスの剣先をマロンへ向けて進ませる。速く、しかし滑らかな、そんな剣捌きで。
マロンはそれを潜る形で交わし、直角的な動きで更に距離を詰める。視界の端にはマロンの攻撃に合わせるようにしてマゼンタの瞳の女に近付くリックの姿もある。
「おらっ!」
淀みのない足捌きでマロンの周囲を回り込むようにして移動するマゼンタの瞳の女。それへとダガーを振るマロンであったが、その剣先が装備を浅く切り裂く程度。ダメージにはなりえなく、同士討ちを恐れたリックは振り下ろしかけた斧を引っ込めた。それによって二方向から囲んでいた状況が変わり、リックとマロンはマゼンタの瞳の女に向かい合う形になる。
「んだこいつ。レベルあたしとあんま変わらねーぐらいか? 攻撃が速いわ。攻略勢?」
「まさひこのパンケーキビルディングで最も強く、レベルの高い奴らは攻略勢じゃない。何処かデカいところに囲われてるところだ。その女もそうだろうさ」
「リックちゃん物知りね。…仲間が来ねえうちにどうにかしねーとな。次で決めようぜ」
「…解った。お前に合わせる」
呼吸を整えがてらリックとマロンは会話をし、それが終わった後にマゼンタの瞳の女の方へと向け、黒い絨毯の敷かれた床を蹴る。相手はカットラス。一度に2人を処理することは不可能。やられるにしてもどちらか1人だけ。そう高を括って。
マゼンタの瞳の女はその腹の内が解っているかのようにサイドステップし、リックの側面へと回り込むと下から上へと向けてカットラスを振るう。背が低く、故に腕も短く。今その手にある得物も長くはない。そんなマロンの弱点を見抜いたかのような理に敵った、決して同時には攻撃させない立ち回り。場数。それを感じさせてくれるような戦い方だった。――しかし、一つだけイレギュラーな要素がこの戦いにあることを彼女は知らなかった。
「――何ッ!?」
リックに受けられたカットラスの一撃。斧とカットラス。二つの武器の接触点から忽ち這い寄る少量の水。それは素早く彼女の腕へと這い、頭へ向けて登っていく。魔法。それにマゼンタの瞳の女が怯んだ一瞬の隙を突き、マロンは距離を詰め、微かに上がった脇へ向けて水の膜で覆われたダガーを振るった。
「クッ…!」
マロンの放った一撃は装備を、そして浅くマゼンタの瞳の女の白い肌を裂き、その切り口の中へ水が進んで傷口を押し広げる。だが、攻撃を受ける前、後ろに彼女が身を引いていた事によって致命傷にはならなく、彼女はバックステップをして自分達から距離を取った。離れたことによって魔法の水の制御はできなくなり彼女の身体から流れ落ちたが、態勢を立て直す前に止めを刺すと言わんばかりにリックが距離を詰め、追撃をかける。
「そらぁッ!」
振り上げた片手斧。それをマゼンタの瞳の女に振り下ろすリック。だが、その彼の手首はマゼンタの瞳の女の手によって受け止められた。レベル差があるようでリックの腕は動かない。リックは早々に対の手に持った斧を彼女の方へと振る。相手の武器であるカットラスの動きは怖い物であるが、相打ちならばこの小さな戦いの勝利条件を満たせると腹を括って。
「ぐっ…!」
だが、その斧の一撃はカットラスにより受けられた。上質なそれは斧の一撃によって拉げたが、マゼンタの瞳の女のすぐ後ろにある埃まみれの長テーブル。そこへと彼女は己の臀部を乗せて、今自分に迫るマロンの方へリックの身体を足を使って突き出すと、後ろ回りで長テーブルの向こう側へと転がる。それと同時に突き出されたリックはマロンと接触し、マロンに抱きとめられる形で態勢を立て直した。
「セラアハトだったら喜んだろうになァ」
「マロン。お前の身体、良かったぜ」
「うっせ」
マロンとリック。二人はお互いの身体を離しつつ軽口を叩き、視線をテーブルの向こうに立つマゼンタの瞳の女の手にある、もう武器としても攻撃を受けることも危うくなった拉げたカットラスへと向けた。そして二人の口角は上がる。攻撃的に。しかし、油断は無い様子で。
マゼンタの瞳の女は拉げたカットラスを投げ捨て、もともとの己の得物であったスローイングアックスに持ち替えた。さっきよりも余裕のない表情で、マロンとリックの二人を見据えて。
――互いの間合いを詰め、いつ斬りかかるかわからない雰囲気。適度な静けさの中、突如マイクを服の袖で擦ったかのようなノイズ音。それが混ざった。
『ブラボーリーダーから各位。正体不明の部隊の侵入を確認。総員、速やかに撤収せよ。アウト』
静かな部屋の中、マゼンタの瞳の女の装備胸元に取り付けられた、ブローチから発せられる微かに聞こえる無線の声。その声が止んだ後も彼女は微動だにせず、マロンとリックを交互に見据えていた。感情の読めない瞳、雰囲気のまま。スローイングアックスを手に握ったままで。
「――お前らを追っていたのが1人いたはずだが、あれはどうなった?」
先ほどあった敵意。戦意。それが嘘のように鳴りを潜め、彼女は静かにマロンへ問う。彼女の任務。目的が変わったことを聞く者に感じさせるそれは互いに戦う理由。それが無くなったことを意味していた。
「さーな。ここは広いからなァ。迷子になってんじゃねーのか? 今頃心細くて泣いてるかもしれねえ。可愛そうに」
マロンはダガーを腰後ろの鞘に戻すと、己の腰に片手を当てて白を切ったように返答する。口元に笑みを締まりのない笑みを浮かべながら。相手側の反応を楽しむような目を向けて。
「お前らは我々の素性を知らないが、こちらは知っている。そういう意味では一蓮托生。今新たにこの地下都市に入ってきた正体不明の部隊。それに私の仲間が捕まれば――」
「…チッ、わかったよ。この城沿いの道に蹴り落とした。その辺で伸びてるはずだぜ」
もう少しおちょくって遊んでやろうともマロンは思っていたが、マゼンタの瞳の女の指摘。脅迫によってこちら側の持つ弱みに気が付かされることとなった。…全く、痛いところを突いてくる。その表情をバツの悪そうなものにしたマロンは、階層転移の本を取り出す。しかし…
「一蓮托生と言っただろう? 手伝え」
マゼンタの瞳の女はスローイングアックスを鞘へと納め、淡々とした口調、声色で命令する。マロンは物凄く不満そうな、苦々しい顔をし、同じような顔をするリックと目を合わせた後、ため息を一つ吐いた。
「…リック、油断すんなよ~。あたしらはこいつら始末できねえけど、こいつらはあたしら始末しても問題もねえ」
「あぁ。解ってる」
警戒した風なマロンとリックの会話。それを聞きながらもその態度一切変えることなく、マゼンタの瞳の女は扉の出入り口を顎でしゃくって歩き始め、マロンはその背後を距離を取って続き、リックは部屋の隅で震えていたマリグリンを連れてからその後を追う。
マロンとリック。ゴルドニアファミリアと正体不明のウェットスーツの部隊。そしてまだ見ぬ新勢力。複雑怪奇極まる地下遺跡の中で結成される利害の一致だけで出来る一時的な協力関係。どちらも己の身柄をまだ見ぬ新勢力に発覚させないために。この誰かの持ち物である土地。それに不法に侵入し、物資を盗んでいたという事実。その足跡を消し去るべく。
敵対勢力との共闘っていうのは何故あんなに良い物なのだろう。敵対勢力同士の戦いも好きだがな!
あっ、私の作品を追ってくれている数少ないお前たちよ…待たせたな! 良ければ「オルガのグルメin異世界」の方も見てみてくれよな!