牙城を崩し得る恋心
燦々と照り付ける太陽の光。30階層とは違う爽やかな陽射し。現実世界と寸分の互いのないそれにより、昨日の夜、散々泣きはらしたシルバーカリスはベッドの上で目を覚ます。小鳥の囀り声と風により騒めく庭木の音。耳に届くのはそれぐらいの、それは静かな朝の訪れを感じて。
「――よーし、今日から頑張るぞ」
シルバーカリスは瞳を閉じて己の頬を両手でぺチぺチと二度ほど叩くとベッドの上から降り、支度を始める。脱いだ黒ジャージはきれいに畳んでベッドの上に置き、着慣れた黒鉄色の金属と鮮やかな青い布とスモールマントの装備に身を包んで。有り金が吹っ飛んだことについて、もう未練はないようだった。
縦長の鏡が付けてあるドレッサーの前で己の姿に可笑しなところがないかチェックをし、編み上げブーツのアウトサイドに取り付けられているブーツナイフがちゃんと抜けるかどうか確認してから、腰のベルトに刃の黒いブロードソードの収まった鞘と取り付け、ルツェルンをその両手に握ると、ルツェルンを持ったままでは出られない高さの出入り口の向こうへと進み、廊下へと出た後で背中にルツェルンを背負う。
シルバーカリスは腰にある小物入れに手を入れ、ステータス確認用のパネルを開いて時刻を確認する。時刻は6時50分。もう少しのんびりしてもよかったかもと思いながら、パネルを閉じてまだ起きている人が少ないのであろう建物内の静かな廊下を進み、エントランスホールへと出る。そこから一階を見下せば、噴水の縁に腰を掛けて腕を組み、花子と自分を待っているリックの後姿が見えた。
…見た目は小悪党風であるが誠実さの塊の様な男だ。もっとのんびりすればいいのに。そんな風に思いながら、シルバーカリスは階段を下りていき、リックの前へと歩を進める。
「おはようございます。リックさん」
「あぁ、おはよう。…案の定最後は花子か」
シルバーカリスに気が付き顔を上げ、彼女と挨拶を交わしたリックは緩慢な動きで噴水の縁から立ち上がると軽く背伸びをして欠伸をし、その目元に涙を浮かべた後で爪先を2階へと続く階段の方へと向けて歩き出した。花子はまだ寝ているかもしれないし、起こしに行くのに賛成であったシルバーカリスは、その後へと続く。
「そういえば次の階層の入り口ってどこにあるんですか?」
「モグモグカンパニーの島あるだろ? アレの中央にあるデカい公園の中にある」
「あ~…夜になると特攻服着たバイク好きの人たちが集会しているところですね」
「…いや、それは知らん。そんなの居んのかよ。…こわっ…」
「結構気さくでいい人たちですよ。この前バイク乗せて貰いました」
他愛のない世間話。階段を上り、それを交わしつつ、二人は花子の部屋の前へと行き着く。そしてシルバーカリスが部屋の扉をノックしようと手の甲を手前に軽く引いたその時――
扉が開き、その向こう側からなんだか殴り合った後の様な風貌のマロンが現れた。花子の部屋で一緒に寝ていたのだろうか? シルバーカリスもリックもその姿に驚くが、マロンはいつも通り何事もない様子で二人をその瞳に映すとニカッと笑う。
「よぉ、丁度オメーら呼びに行こうと思ってたところだ。さっ、入ってくれよ。話がある」
シルバーカリスとリックは互いに顔を見合せた後、マロンに招かれるまま花子の部屋へと足を踏み入れる。…部屋の中は大部分が綺麗なままであったが、ベッド周りには本来ベッドの上に存在するはずの枕が二つほど床に投げ出されていて、ベッドの上の羽毛布団や毛布、30階層の情報が書かれた大量の雑誌が乱れた様子でそこにある。その上には衣服をやや乱してうつ伏せに倒れた花子の姿。恐らく昨日の出来事をマロンに話し、それを揶揄われたことによって殴り合いに発展したのだろうとシルバーカリスは理解する。そして、その勝敗はマロンの勝利で終わったのだろうということも。
シルバーカリスとリックは部屋に入って右側にある、円卓の前に置かれた椅子に腰かけ、その間マロンはベッドの方へと進み、ぐったりとして動かないベッドの上の花子をひっくり返し、仰向けにしてその彼女の頬を右手で何度か軽くぺチぺチと音を立てて叩く。
「おーきーろー」
少ししてその音も止み、マロンがベッドから少し離れたところで花子が上体を起き上がらせた。なんだか不機嫌そうな座った目を擦りながら。そしてその碧い瞳にマロンの姿を捕らえると、緩慢な動きでベッドから降りて立ち上がり、彼女の額を人差し指で爪弾いた。
「いでッ…まぁだ怒ってんのかよ」
「…好き勝手やった罰よ」
マロンはそれを額に受けて額摩りながら非難がましく言うが、花子は聞く耳を持った風はない。しかし、それで彼女の気持ちは収まったようでそれ以降マロンを攻撃するようなことはなく、二人の来客の存在に気が付くとそちらの方へと歩み寄り、円卓を囲う四つの席の内一つを引いてそこへと腰を掛ける。その後で遅れながら最後の席にマロンが着いた。
「それで、話ってなんだよ」
四人が円卓を囲んだタイミングでリックが口を開く。花子とマロンはその言葉に互いに目を合わせた後、花子が口を開いた。
「30階層で物件を探すわ。私たちの新居…いや、フルブロッサムの新たなる拠点を立てるための土地を」
花子のその言葉を受け、シルバーカリスは思い切り嬉しそうな顔をし、リックは30階層で過ごす口実ではないのかと勘繰ったような訝しんだ様な顔をする。
「なぜ30階層に物件を持つ必要がある?」
「アンタってばほんとバカ。30階層見て何とも思わなかったわけ? 1階層より人集まるに決まってるじゃない」
パッと頭の中で思いついた解決案を掘り下げもせずに尋ねてくるリック。お前は遊ぶ口実を欲しているだけ。そう決めつけたような雰囲気で。花子はそれに心底呆れたような顔をし、もっと考えろと言わんばかりの顔で結構キツめな口調の、刺々しい物言いで応戦する。
「1階層から通えばいいだろ?」
「30階層の転送先の島にある停泊場の惨状見なかったなんて言わせないわ。現状船舶の停泊スペースを見つけるのも一苦労な状態よ? これからはもっと人が増える。どうなるか分かるわよね?」
「…フェリーを使えば?」
「二時間に一本とかそういうレベルの? 先に言っておくけど、今後30階層以上の階層で過ごしやすそうな場所が見つかった時のことを考えて、誰もこれ以上船なんて作ろうとしないわよ。きっとね」
円卓の上で交わされる、リックと花子の討論。リックが言い返してくる内容は昨日自分の中で問答した内容であるため、花子は一切の淀みもなく返答することが出来た。そして、リックが花子に言い返せなくなったところで議論は終わる。花子はそれに勝ち誇ったような傲慢な笑みを浮かべ、今この場に居る中で一番精神的にも年齢的にも大人であるリックは、小生意気な花子の物言いにややムカついたように片眉を吊り上げてはいたが、単純に彼女の理屈に納得したようで、それ以上何か言ったりすることはなかった。
「昨日花子にも聞いたんだけどよぉ、シルバーカリス、リック。お前ら良さげな物件の情報とか知らねえ?」
花子とリックの討論が終わった直後のタイミングでマロンが尋ねる。シルバーカリスはその形の良い顎に手をやって少し考えた風にし、リックは考える素振りもなく、早々に首を横に振る。それによってマロンの期待の眼差しはシルバーカリス一点に注がれた。
「――花ちゃんから話は聞いているでしょうから…僕からの情報は役に立たないでしょうけど、現地の知り合いに話を聞く…っていうのはどうでしょう?」
シルバーカリスからの意見。それは、30階層を遊び歩いていた花子の頭の中に閃きを走らせ、新しい可能性を見出させる。モグモグカンパニーの島中央にある公園、そこに夜屯す暴走族風のバイカーたち。ゴルドニアファミリア。水上バイク仲間など…話を聞けそうなのがたくさんいることに。
そしてそれらに行き着いた時、真っ先に思い浮かぶのは昨日出会った青髪の美少年セラアハトの存在。昨日眼帯の衛兵とヤスがゴルドニア島の事についていろいろ言っていたが、あの島の先住民が、セラアハトが島に何か作る分には何も問題ない。彼に金を渡して土地を買い取らせ、そこに家を作って住めばいいのでは? 短い間で花子はその考えに至ると、口元に悪い笑みを作ってリックの方へと視線を向けた。
「ゴルドニア島に家を建てる…これどうかしら? 今私にはその道筋が見えた。シルバーカリスのお陰で」
「いいですね! それ!」
花子はその過程などは説明せず、とりあえず着地地点だけを示す形で提案し、シルバーカリスは昨日の屋台での話は聞いていなかったらしく、にっこりと笑って頷く。リックは花子の視線の理由を理解していないようで、口を一文字に閉じたままテーブルの上に肘を突き、顔を顰めて額に手をやった。その彼と似たような反応をマロンも示す。…シルバーカリス以外の反応を見る限り、やはりゴルドニア島は何らかの聖域、守られた場所のようだ。花子はそう感じつつ、今口を開かんとするリックの方へと視線をやる。
「ゴルドニア島はやめとけ。昨日話しただろ。昨日バイト先が襲撃されたって。十中八九襲撃犯の後ろにはデカい組織が絡んでる。そうじゃなきゃバイトの募集始めてすぐの所、大人数で攻められるわけがない」
リックは具体的な反対理由を述べながら、反対の意思を表明する。絶対にやめろ。そうとでもいうような目をして。…昨日見た雑誌。土地利権に絡む30階層の不動産王と化した柴犬チャーム。花子の脳裏に浮かぶのはそれだ。そこからゴルドニア島に拠点を持とうとする木っ端ギルドたちを蹴散らしているのは彼が率いるパンケーキビルディングタバコ産業、タバコカルテルであることが察せられる。だが、花子のその余裕のある笑みは崩れない。
「あたしもリックの意見に賛成だ。あそこに建物立てちゃいけねえってのは紳士協定…暗黙の了解になってるって吉田のおっちゃんが言ってた。協定違反者の制裁を大義名分に中にあるもん全部略奪されるのがオチだ」
暗殺ギルドと接触し、一階層の店を持つNPCを一人残らず始末した人間とは思えない真っ当な発言。まぁ、今の彼女は倫理的にどうこうというよりは自分たちの力量を考えた上で、保身の観点から反対していることは花子は分かっている。だが、その懸念の払拭方法については考えてある。生々しく、倫理的に見てどうかと思う方法であるが。
その場の雰囲気に流され、ゴルドニア島移住計画をあきらめた風なシルバーカリス。その計画を諦めた風の無い花子に咎めるような視線を向けるリック。次の話をしようと口を開きかけたマロン。その三人の注目を集めるかのように、花子は右手を軽く上げる。その口元に何か企んだ様な笑みを浮かべて。
「――ゴルドニアファミリアの構成員…それが開拓した土地、作った家なら…それはあくまでそこの住人の営み。外野が口を出せるものではない。そう思わない?」
三人の注意を集めてからの花子の言葉。シルバーカリスはそれにピンと来ていない様子で小首を傾げてきょとんとした顔をし、マロンは花子の考えていることが分かったようだが、それが可能なのだろうかと疑ったような風だ。ただ、花子の考えていることを1から10までわかった、というわけではなさそうだ。――ただ一人、花子の考えていることが余さず理解できたリックは思わずその顔を歪め、眉間に皺を作っていた。だが彼は黙ったまま確認を取ろうとはせず、その間にマロンが口を開く。
「NPC通して土地買おうって考えてるところまでは読めた。でもできんのか? 持ち逃げとかされねえ?」
土地の値段がどれ程になるかは分からないが、結構な額になると思っているようでマロンは心配そうだ。
「ふふっ…マロン…あるのよ。一種の信用。そうさせる確証が!」
「…昨日運に見放されて無一文になった奴の言うことだと思うと心細ぇなぁ」
気乗りしないマロン。彼女は意気込む花子から視線を逸らし、窓の外へと目を向けると背もたれに背を預け、後頭部に両手をやる。明らかに乗り気ではないそれを花子は瞳に映すが気にした様子はなく、マロンに向けられていた視線は険しい顔をするリックの方へと向けられた。この会話自体を楽しんだ風な花子の視線が。
「客に調子のいいこと言って自分の望むように動かす…相手が男だろうが女だろうが関係ないわよね? ホストさん」
「言っとくけどヤングナイトに居た時にやってた業務は基本的に雑用だ。客相手したのもそんなあるわけじゃねえ」
「そんなのは関係ないのよ。重要なのはアンタがセラアハトに惚れられたって事。惚れた弱みに付け込んで意のままに操るの!」
恋の話。それを感じ取ったマロンはその顔に楽しそうな笑みを浮かべ、身体を円卓の方へと倒し、前のめりになって頬杖を突く。彼女が見据える先には身を引き、苦々しい顔をするリックの姿がある。口を出さずにその話に耳を傾けていたシルバーカリスは漸く花子の考えていることが分かったようで、その意見自体には異議はないようであるが、言い方、姿勢に対してどこか気に入らなそうな顔をする。
「なぁなぁ、花子。セラアハトって誰だよ」
「私たちと歳あんまり変わらない男子よ。それが結構可愛い顔しててね、リックにお熱みたいなのよ。眼帯さんみたいにNPCっぽくないNPCなんだけど」
盛大に話が脱線する予感。弾むマロンの声は聞く者にそれを感じさせ、話を戻すどころか花子はそれを煽るかのように丁寧に背景を説明する。にやつきながら、リックを横目で眺めて。そして間もなくマロンが席から立ち、リックの肩に腕を乗せるとにやつきながら絡み始めた。
「ホストクラブで働いて女食い物にしてたと思ったら次は男かァ。わっりい奴だな~、リックちゃんよォ。よっ、色男! このこのっ!」
「ちがうっつの…っ…脇腹を突くなッ」
リックの肩に手を回し、横腹を人差し指で突くマロンとそれに身を捩るリック。マロンはいつも通りといった感じであるが、不機嫌そうに反発するリックはマロンに密着されていることに対し、気が気ではなさそうだ。
「んで、どこまでやったん? …ここまで行った?」
マロンはリックの目の前に両手を出すと左手の親指と人差し指で輪っかを作り、そこに右手の人差し指を差し込んで前後にそれを動かして見せる。見る者に卑猥なものを連想させるそれは、下ネタに耐性のない初心なリックと花子の顔を真っ赤に染め上げた。ただ一人シルバーカリスはそれがなんだか分かっていない風で花子とリックの反応に小首を傾げている。
「お前っ…!」
思わず言葉を詰まらせるリック。それを見るマロンはとても楽しそうににやついている。
「破廉恥よっ…破廉恥ッ! やめなさいッ、そういうの…さっさと話戻しなさいよッ、バカッ」
そういう話は極力避けたいのか、花子は拒絶反応を示す。ムッとした顔を逸らし、チラチラとマロンの方を伺いながら恥ずかしそうに。どことなく落ち着かない様子で。
もう少し揶揄ってみたかったマロンであったが、花子の指摘を受けてリックから離れると先ほど座っていた席へと大人しく付いた。依然にやついた顔のまま。円卓の上に頬杖をついて。
「んー、なんだかよくわかりませんけど…他にどうしようもなさそうな時はセラアハトさんに相談してみるってことでいいんじゃないですか? 別に嫌なことをしてもらおうってわけでもありませんし、騙そうってわけでもないんですから」
今すぐにでも花子に絡みそうな様子で彼女を見るマロン。脱線の予感を感じさせるそれを見て、今この四人の中で今一番冷静であろうシルバーカリスが話を仕切り始める。その場の三人の顔を見回しながら。
「とりあえず30階層に行きましょう。食事なんかは現地で各自済ませるってことで。マロンちゃんは今日来てくれる人たちを起こして準備を。僕たちは先に30階層で待ってますから」
シルバーカリスはさらっと話を纏めると、腰の小物入れから階層転移用の本を取り出し、それを開いてアクアマリンの海と砂浜の絵が描かれたページに触れてその姿を消した。間も無くリックも同じようにして30階層へと転移し、取り残された花子とマロンは互いの顔を見合わせた後、花子は装備があるマネキンの方へ、マロンは部屋の出入り口の方へと移動する。
部屋から去り際、マロンは振り返り、黒革と骨とマントの装備を腕に抱える花子を見ると揶揄うような笑みを浮かべた。揶揄うような悪意、それを感じて花子は片眉を吊り上げる。まだ頬を紅潮させたまま、いつも以上に余裕のない顔で。
「お前って滅茶苦茶初心だよな。可愛いぜ」
「うっさい! エロマロン! さっさと出ていきなさいよッ!」
去り際のマロンの言葉。それに花子は顔を再び顔を怒りと恥ずかしさとで真っ赤にし、力いっぱい吼えて、マロンはケタケタと笑いながら逃げるかのように花子の部屋から出た。
「まったく…」
漸く静けさを取り戻す部屋の中、花子は肩肘張って閉まり行く扉を見据えた後で腹を立てたままではあるが、黒ジャージを脱いで着慣れた黒革と骨とマントの中装鎧に着替えていく。やがて着慣れたそれに身を包み、ドレッサーの前で変なところがないか確認した後、グラディウスの柄と腰後ろの大振りなダガーの柄に触れて位置に違和感ないこと確かめると、小物入れから本を取り出し、それを開いて30階層の絵に触れた。
ベッド周りが散らかった部屋の中、聞こえるのは小鳥の囀り声と優しく吹き付ける風の音。それに揺れる庭木たちの騒めきだけ。その静けさは花子と仲間たちの一日の始まりを静かに物語っていた。
結局のところ全部ホモでは…?(唐突)